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しめる



「しめる」とは、ゆっくりになること、と教わった。


音を「しめる」と聞くと、私はつい速いほうに反応してしまう。

弦楽器の弦を絞めると音は高く、はりのある緊張感のある音が鳴る。
また、ゆるんだ弦よりも軽やかに弾ける。

スケートでスピンをする時、
こう、身体を締めると、スピンがぎゅんと速くなる。

私の「しめる」はそういう感じで、
しめると聞くと、私はつい速いほうに反応してしまう。


でも、先生に、お能の「しめる」は、
力が加わる感じだとうかがった。

お能には、ゆるむということはあまりないそうだ。

「マンリキ系?のような」

「それよりブレーキだね。
ブレーキはしまるでしょう、
ブレーキは圧力がかかって重くなってゆっくりになる」


ああ!そうか。そういう感じなんだ!


いつも思う。
先生は賢い方だと。
お仕事柄だろうか。



私には新しい「しめる」の感覚。
私の中になかったこと。

とても新鮮なこと。
by moriheiku | 2013-01-14 08:00 | 音と笛のまわり

カラフル



雅楽器にふれる機会があった。

龍笛と神楽笛と高麗笛をさわらせていただけた。

もっとも興味のあったのは笙だったけれど、
リードの部分など見せていただいてはじめて知ったのだけれど、
それは繊細な繊細なつくりと作業をされている大切な笙であったので、
さすがにさわらせていただくことはなかった。


さわった龍笛は、私にとってはドラム缶を吹くようだった。
唇のところをあてる穴のサイズも大きく、
指の穴も私の指の巾ではふさがらない。音出ない。
その笛は、肺活量の大きい人向き、とのこと。

神楽笛は、なじみのあるサイズ。
三本の中では違和感はない。
でも私にはスムーズに吹けたりはしない。

高麗笛、
わあ、これが舞楽の中で空中にヒュンヒュンと聞こえるあの音の笛?
それとも神楽笛かも。
高麗笛はピッコロのよう。細くて小型。
穴が一つ少ないのでびっくりしちゃった。


順に吹かせていただいる時、
その日知り合ってお話ししていた方の順番になって
その方が笛を構えたら

「フルート!」

まるでフルートを吹くようだった。
体や笛のかたむきや指や唇や、なんだか全てが。

その方は小学校からクラリネットを始められたそう。
学生の間はずっとクラリネットをして、
フルートも時々されていたとのこと。へええーー。



その日さわらせていただいた龍笛、私は音ほとんど出ないんだけど、
女性でもボーボー音を鳴らしていらっしゃる方がいらして、
わー、皆さんすごいー、とつくづく感心した。

経験したことのある方もいらしたけど未経験の方も
はじめから音が鳴ってすごいーと感心しどおし。

子供たちに舞楽の舞を教えていらっしゃる方や、
色々な方がいらした。


私、自分の笛の他、笛をさわったことなかった。
他の笛はどんなだろう、一度吹いてみたいなってずっと思っていたから
とてもうれしかった。

こういう風にして吹く、と、
持ち方や口の位置など教えていただけたこともすごく楽しかった。

カラフルな時間だった。


それで帰りの電車のシートで、
私は基本的なことも何も知らないこと、

数年間何をしていたんだろうと思って、
涙がぱたぱた落ちた。










泣いたり笑ったり怒ったり喜んだり。
カラフル。
by moriheiku | 2011-04-13 08:00 | 音と笛のまわり

行きあたりばったり



お稽古の終わりに先生が、

この教室ではこの曲までしかしないことと、
獅子や三番叟などもっと難しい曲は、先生について習ってください、

とおっしゃった。



普段お稽古の時は、拍子をつけていただく数秒前まで
先生はご自身のお稽古をされている。
お稽古が終わると数秒後にはご自身の勉強に戻られる。
会話はもちろん暑いですねなんて言うこともないけど
ここはそういうものかなと思ってる。
だから先生が何かを話されるのは私にとっては常とは違う。



先生に習って下さい、って。
知ってる先生いないけど。

お稽古の曜日や日時、場所、
そもそもどんな先生が素人にお稽古をしていらっしゃるか知らない。




今の曲を習い始める時、一度先生が、
この教室ではこの曲まで、
あとはここまでの繰り返しになりますとおっしゃった。

それで、素人はこれ以上はしないのかなと思った。
そして私は、たぶんここでこれまでを繰り返すのかなと思ってた。


けど。よくわからないな。
やめろってこと?

ここまでで卒業するものかしら。教室の新陳代謝も上がるし。
いやん、古い垢みたい。



子供のころからしてるお稽古事はあるけど、
こういう経験なくてさっぱりわからない。


うーん。いくら話をしないといっても、
先生に聞かないとわからない。
(うかがっても私わからなそうだけど)

どんな選択肢が私にあるかしら。
今考えられる範囲の選択肢は、

a) 笛をやめる。
b) 同じ流派の先生に、最初から習う。
c) 同じ流派の先生に、続きを習う。
d) 別の流派の先生に、最初から習う。
e) (今の教室で引き続き習えるとしたら)今の教室で最初から習う。


私はすごく下手。けど、笛を習いたい。
だから。

f) お能の笛でなく雅楽(の笛)を習う。

っていうのも。

あ、いとこのかんくんとこ、
週一回○○神宮の人が来て雅楽教えてくれてるって言ってた。
でも曜日が。



伝統文化のお稽古って、同じ流派でも、
よその先生に習っていた人を受けれること好まれないことが多いし。
(こういうのは散々見てきた)

他流派を習っていた人を教えて下さる先生、いらっしゃるかしら。

下手で練習する時間が少なくても、習ってもいいものかしら。

もっと難しい曲は、どんな曲?習ってみたいなー。
こんなに下手でもそれは教えていただけるのかな。
また、どのくらい上手になったら習えるもの?

今のお稽古も入門コースだけど、実際のとこ
お能のこと何も知らないと笛のお稽古もわからないんだと思ってばかり。

お能を全然知らない者を受け入れて下さるところ、
あるといいな。


全国の教室一覧でもあれば私にも習いやすいけど。
こういうのって、もう縁というか、私にはおみくじと一緒だ。


考えてもわかんない。
一度先生にうかがって、で、もしかしてまたガツンと痛い目にあって、
どうするか決める。


笛を習い始めたのだって、ほんと、たまたまはずみだもん。

私の興味のある思想の変遷は、
高級で抽象的な思想でなく庶民の文化に根付いているもので、
それは雅楽より申楽に見えるから
雅楽の笛よりお能の笛のほうがいいと今は思うけど。

たとえ雅楽の笛にかわっても、どうなっても、
きっとまた違う地平が見えるよ。


行きあたりばったりの人生よ。
by moriheiku | 2010-06-09 08:00 | 音と笛のまわり

中世芸能の発生 308 個の意識の強まり 摩擦熱




つづき


先日行ったピアノ協奏曲の演奏会。

ピアノ独奏者は、自分の演奏に懸命で、
同じステージで同時に同じ曲を演奏している指揮とオーケストラは、
ピアノ独奏者にとってただ合図にみえた。


ピアノはけなげな演奏だったけど。

ピアノだけでもないオーケストラだけでもない、
ピアノと指揮とオケが交わって一つの曲があらわれるような
協奏ではなかった。


同じ曲、だけど別の音楽。
ステージ上でピアノとオケの音楽は交わらない。


同じ週に別の演奏会で、
素晴らしいピアノ協奏曲を2つ聴いたばかりだったから、
音楽の対比に驚く。




交わらないコンチェルトを聞きながら、
私のお稽古の笛みたい。と思っていた。

『神楽』のお稽古で、もう先生の拍子に合わせない。 と思った。
聞かない、汲まない、と思った。

息をできるだけ続かすことだけをして、
拍子は遠い伴奏のように聞いて、吹いて終わろう、と思った。




文楽の三味線の鶴澤清治さんが、

太夫と三味線は合わないもの。
道が違うのでそのせめぎ合い、すり合わせ、
摩擦熱みたいのがくるのがおもしろい、というようなことを
話していらっしゃるのを聞いた。
火花の散るような緊張感のある舞台を僕は目指していますから、と。


大夫の竹本住大夫さんが、

競い合いではいけない。でも
どちらかがどちらかに合わせるとか、そういうのと違う、
ということをおっしゃっていた。


こうした方々は、合わせようと思えばいくらでも合わせられるけど
あえて合わせようとしないので、

私はひどく下手だし、先生の前では息できず、吹くだけでいっぱいで、
芸能の方々のように合わせられるけど合わせないみたいなことは遥か遠くにいる。

けど、私はお稽古で、
合わせないように。先生の音につられないように。と思った。




私はつられやすく、影響を受けやすいところがあるのかな。

私はものや周囲の影響を受けるばかりで、
それがそのまま自分の気分に反映されることはあるかも。
自分の個性がないと感じたことはないから気付かなかったけど。

もっと自分をしっかり持たなきゃいけないのだろうか。
私はそれに興味がないのに。

それは良いの?悪いの?そうしたら痛みは減るの?





伝染させることによって相互に効果を及ぼそうとした古い時代の
原始的呪術性の強い芸能は、
ものや人がつながりあっている実感があたりまえに前提にある。

田植神事やことほぎ、家ぼめのような予祝は、
あらかじめ望ましい状況を演じほぐことで
物事がその通りに進むことを期待して行われる呪術の展開だ。

ものや人がつながりあって影響しあう実感がなければ予祝の効果は及ばない。
ものや人がつながりあって影響しあう実感がなければ、
そもそも呪術などありえない。

ものや人が無意識に溶けあい融通し合っている世界だったのだろう。

こうした感覚というのは、
昔の楽器の音や、古い和歌やことばの音にも感じとられる。





三味線の鶴澤清治さんがおっしゃった、
合わないものの摩擦熱。

竹本住大夫さんのおっしゃった、
競い合いではいけない。でも
どちらかがどちらかに合わせるとか、そういうのと違う、
ということ。

こうした方々のことばを聞くと、
原始的呪術的な古い芸能が、芸術へ移行する過程には、
ものも人もそれぞれ別の、個になる過程があったと思う。

自然に合ってしまうことをひとつ越えたところにあるもの。


芸術の意識が出てくるのと作者名が出てくることは、
重なるように見える。

自然との結びつきをひとつ越えて、個の意識の強まりがあって、
芸能は新しく芸術になったのか。





私はたまたまお能のはやし(囃子)の笛を習ってる。
お能は知らず、ただ音を出して聞いてるだけの、ごくプリミティブな段階。


鶴澤清治さんや竹本住大夫さんのような芸能の方々の意識に見えるのは、
生命力を伝染すること伝染させることである原始的で素朴な「はやし」の概念から
一歩踏みだした芸術の意識だと思う。


こうした方々のことばを聞いて、少しづつ、
身体が目覚めてく。






・2007-04-18 はやし
・2009-12-10 中世芸能の発生 262 はやし 分霊




・2008-06-03 自然と我 06
・2008-06-02 自然と我 05 デカルト
・2008-06-01 自然と我 04 古代の信仰
・2008-05-31 自然と我 03




・2009-08-16 中世芸能の発生 187 和琴







つづく
by moriheiku | 2010-05-13 08:00 | 歴史と旅

中世芸能の発生 307 古浄瑠璃 猿楽




つづく


少しづつだけど伝統芸能に接する機会を持つようになって、
雅楽、浄瑠璃、琵琶、猿楽(能楽)などの系統の違いが
以前よりはくっきりわかるようになってきた。

たとえば古浄瑠璃も猿楽(能楽)も
同じ伝説を題材にしているものもあって、
どちらも日本古来の仏教より前の民俗信仰、
さらに信仰の概念以前の自然感が底辺にある。

古浄瑠璃も猿楽も説経唱導の、
日本化された仏教の、仏の功徳を語る。

古浄瑠璃や平曲(琵琶)などは、仏教の説経唱導の語り物としての色が濃く、
対して猿楽(能楽)は、より原始的な宗教、
古い時代の民俗信仰の流れである ことほぎ たましふり たましづめ の、
論理的な思想を持つ宗教以前の原始宗教(呪術、呪師系)の名残が濃い。
原始宗教の名残りというにはまるで
神仏を語る一枚の薄皮の下はそれそのものとみえるほどに。隅々までそのものに。



笛のお稽古をはじめて、お能には近づかない、と思った。
どうせわからないとばかにされながら、見せていただくなんて、と思ったり。

でもほんとうに私はお能を知らないのだから。
お稽古で感じることを、感じよう、と思った。

それはお能ではないけれど、
私には貴重な音の経験。
音の記憶の体験。



でも時々かすめる猿楽(能楽)の中世的表現の下に、
古来の原始的な感覚が隅々まで厚く生きて流れているのが見えるので、

原始的な感覚のようなところをひたすら追っている私としては、
笛を習い始める前みたいに素直にお能を観にいけていたら、
もっときれいに、いろんなことをたどることができた気がする。

しかたないわ。
この遠回りは、自分の責任!

こういうのもいいでしょう。



短気なチクショー感溢れるこの文章。いっけなーい。

私も、心とつながったほんとうのことばを使って、
ほんとうのことばとつながった行動をしなくては。






・2009-12-13 中世芸能の発生 265 田児(たご 田子)の浦ゆ



ホカヒ人 コトホギの系譜
・2010-02-15 中世芸能の発生 296 ヨム 和歌を詠む(よむ) 芸能




つづく
by moriheiku | 2010-05-12 08:00 | 歴史と旅

音の信頼




つづく


悪いところはこちらから言う、とのことで、
お稽古では穴をおさえる指の数と唱歌と見本だけをうかがう。

先生にもう何年も質問してないと思うけど、
どうしてもわからないことを1つ聞こうとすること、
そこまでいけないのかな。

どうしてすぐに怒りのウロコにさわってしまうんだろう。

しかも質問しようとした時点でウロコにさわってしまうから、
質問したいことと違うことでズタズタになるだけで
結局聞きたいことは聞けないし、解決もしない。

何してるんだろう、私。

でもこういうのって、生徒によるところがあるのでしょう。
生徒に合わせた指導。




笛のお稽古を始めてすぐ、
先生はこの教室のお稽古ってなさりたくないのだろうなー、と思った。

能楽師さんは御自身がお能をされたいのであって、
ここのような教室の素人に教えることは、
もっともなさりたくないことに入るように思われた。

いつも勉強を積まれて精進していらして御立派だけど、
不本意なことをしていただいていると感じるのは、情けないことだ。

実際のお考えは知らないけど、
伝統文化のお稽古事でそんな風に感じたことがたまたま初めてだったから
情けないけど、
そんなことは、思えばありそうなことだった。


ただ、先生方のような専門家にはいやな用事、手ごたえのないこととしても、
私にとっては意味のある機会なので、
そこで学べることを学ぼうと思った。



何かに対処する方法は千差万別で、
何が正しく何がいけないということはないと思う。

私自身は、解答を言う言わないという意味でなく、
誰かの疑問に真っ直ぐにこたえないことは、核心を避けること、
その人に真っ直ぐ向き合わないことだと思うので、
ひどくばかにされている気がしてしまう。

けどなさりたくない用事で10分くらいのお稽古で
低レベルなことにはつきあってられないでしょう、と思う。

もっと大事なことがある、って。



もう拍子に合わせない、と思った。
汲まない。 聞かない。 
遠くの伴奏を聞くように拍子を聞いて笛を吹いて帰ってこよう、
と思ったことは、
笛のお稽古でいいのかわるいのかわかんない。

どっちだってかまわないだろうと思う。


私は遠回りをして、今
葉を見ないで木を見ることを習ってるのでしょう。





学生の頃、友人が私に、
周囲の言うことを聞きすぎると言ってくれた。

そのことを思い出してる。



お稽古で、目の前で、
バシバシ鳴っている大きな音につられないことは
私にはすごく難しいけど。

つられない練習。聞かない練習。





私は下手で、自分の音はすごくへんな音。
それを少しづつでも直したいけど、
笛のお稽古はそういう向きにはいかない。
どこかにまっすぐ前を見て進む笛のお稽古があるんだろうな。

私の笛のお稽古は、自分のだめなところばかりを見るお稽古。
直に私の知りたいことにはつながらないけど、
たぶん私は、笛のお稽古でひっかかるところを通して、
私の問題点を習ってるみたいだ。

笛を習い始めて数年。
笛のお稽古に対するこうした印象は、
習い始めに感じたこととまるで変わっていないことにおどろく。

どうどうめぐり。




新しく習う部分のメロディーを先生が見本で吹かれることがある。
お稽古で、いつも教えて下さる先生と、
その先生と交代でほんの時々いらっしゃった先生方の笛の音を、
ちょっぴり聞くことがある。
それぞれ全然違う響きがして、感動する。


普段教えて下さる先生が、
習うところのメロディーの見本に笛を吹かれたのを初めて聞いた時、
茜色の空みたいだと思った。
びゅーびゅー吹きあがるような音に、ヒラヒラしてみえたのは、
先生の装飾のような音だったんだと今は思う。

その音を信頼している。





お稽古のご褒美。大きい先生がお稽古にいらした時。
音に聞く記憶。
・2008-10-03 中世の人の感性



つづく
by moriheiku | 2010-05-09 08:00 | 音と笛のまわり

合わせない



つづく


目の前でビシバシ鳴る先生の拍子を聞かないように。
自分の心の中でリズムを刻んで笛を吹けるように。

そう思って、『神楽』は
メトロノームと心の中で一定のリズムを刻んで練習した。


でもお稽古では、特にある部分からどうしても合わなくて。
序の、3行目の終わりから4行目にかけてのどこかでうんとずれる。
それで5行目もずれる。

ここの拍は、きっと、そこまでのように一定じゃないと思う。
拍がわからないと掛け声がいつあるかも私にはわからなくて、
掛け声を合図に吹くこともできない。
序の3行目の終わりから4行目にかけての拍、知りたい。


でも私、この序の拍子は、
一番はじめに丸ごと覚えた実際よりすごく間の長短した拍の唱歌と、
自分がちゃんと吹けなかったために
いっそうずれまくったお稽古の序しか聞いたことがなくて。
実際にかなった良い例を知らないので、どこがどうずれているのかわからない。
それで、どこをどうしていいのか、ぜんぜんわからない。



毎回、序が合ってないと注意があった。
お稽古では一度だけ通して吹く。
吹き終わったあとは合っていないとおっしゃるのみで、
どの部分がどう合っていないなど具体的な指導はないため、
わたしはどこをどうしていいのかわからないまま、
ここが一拍短い?ここが半拍長い?と毎回別の間違ったことをして、
毎回できない。

ずっと神楽ならそれでいい。
完全にはできなくても、少しづつでもよい方へ向かえたらと思った。


吹きながら、わからない間違った、と思うと動揺して
いっそう息できなくなって悪循環になるから、
悪循環のもとを切りたいな。

いつも特にずれる序の3行目の終わりから4行目。
実際吹く時の拍子とメロディーを一度聞くことができれば、
まとめて解消できそうに思った。



それで、序の、
拍の間が、掛け声で伸び縮みしていない拍子と唱歌をうかがえたらと思って、
ある日先生に、
序がわからないのですが、序の、と言いかけた。

途端に、先生は、
鼓や太鼓を習わなければわからない、とおっしゃった。
そうか。と思って、わかりましたと答えた。


さらに先生は、
鼓や太鼓などができなければわかる訳が無いこと、
それなら鼓や太鼓を習ってくださいという話だということを
3度くらい繰り返しおっしゃり、

私はその度、わかりましたとこたえて、
先生が繰り返し話される間、
わかる訳が無いともうわかったから、
もうもう聞きたくない、聞きたくない、聞きたくないと思った。



鼓や太鼓を知らないこと、
どうしてここまでおっしゃるのだろう。
知らずに聞こうとしたこと、
どうして私はここまでばかにされているんだろう。

もう何年か何も質問していないと思うけど。
ひとつ言いかけたこと、どうしてそんなにイラっとされるのだろう。


わからないと言ったのは、先生を否定したのではないし、
ただ毎回できない部分を少しづつでも解決したいと思ったけれど。
質問以前にアウト。

こうした疑問は、ばかの考え休むに似たりで、
鼓や太鼓やお能を知りもしないでできないと発言すること自体、
どうせ、って感じのものなんだろう。

私の後ろに、先生がこれまで出会われたたくさんの
私のようなもののわからない者たちを御覧になってるのかもしれない。



先生方にとっては、生徒が何かひとつできてもできなくても、
同じできないに変わりないだろうけど。

私はできるようになりたいと思う気持ちをばかにされることはきらい。




ただ、先生はイラっとされながら、
大事なことをおっしゃっているのだろうと思った。

できない序を合わせようとすることの方がもっと不自然。
それよりも序はずれてしまったとしても、
序の後の出だしを合わせることの方が大事。
とおっしゃっていた。

もっと大事なこと。

それはきっと笛にすごく大事なことなんだろうと思った。
それは私にも大事なんだろう。



でも、毎回注意されたていた場所で、直したいと思った場所、
それは、わかるわけがない、鼓や太鼓などができなければわからない、って。


だまし討ち、いうことばが浮かんだ。

だまし討ちみたいに感じられた。

だまし討ち、なんていうことば。
時代劇の中で聞くようなことばで、
自分が、心の中だけでも使うなんて思わなかった。
こんな風に思うなんて。 自分がショック。

どうして私は、こんなことばを。

私は火を吹くように短気だ。悲しい。



痛い思いをしても、結局、知りたかったことはわからない。

もう合わせない。 と思った。
先生の拍子に。

なーんて、これまでも合ったこと一回もないけど、

なんていうの、、もう  汲まない。  かな。
聞かない。




笛のお稽古で浮かぶ笛を吹く時の問題点は、
やはり私の問題点で、

ひっかかる点は、
きっと私にとって大事なんだと思う。
(ああ結局聞いてる、聞かない、と思っているのに。)



逃れようのない切実な痛みに比べたら、
こんなことを痛い思うことがどうかしらと思うけど。

笛のお稽古ってすごく小さなことでもズタズタになる感じ。

痛い思いしないと、
私はものをわからないのかな。



つづき
by moriheiku | 2010-05-08 08:00 | 音と笛のまわり

聞きたいもの 聞きたいこと




インドの声明(しょうみょう)が日本に入り、
声明の節に、日本的なイメージと名前がついた。

ユリ、ソリ、マクリ他。
声明からきたそれらの発声が、
平曲やお能他、日本の伝統音楽、伝統芸能に広く使われてきた。

一年くらい前から、少しづつだけど、声明のCDを聞く。
けどそれらの発声が全体のどの部分のことかよくわからない。

どういった表現なのかわからない。

それらは、例えば単に大きくとか揺らすとかの
記号的な指示の意味だけでなく、

日本的な情緒が投影されている表現の名称のようなので、
それぞれをわかって聞いてみたい。


でも門外漢の私にはまだほとんどわからないまま。

いとこのかんくんはお坊さんなので、
かんくんに聞いてみようかなと思ったけど。

かんくんは雅楽をするけど、声明の話は聞いてない。


それに、かんくんと次に会うのは、たぶん
自分自身も含め、身内に不幸が起こった時。

そんな現在、祖母が昏睡状態に。

もしかしてかんくんと会う日も近かったりして・・・。




中世に盛んだった幸若と曲舞は早くすたれて、
現在ではほとんど見ることができない。
しかしお能の中に、少しだけ残っている。



もしもまた、
今回いらした先生に教えていただく機会があったら。


少しだけ、ダメもとで、
ユリ、ソリ他はそれぞれどういう発声か、とか、
幸若などは、何という曲(演目)の中によく見えるかなどうかがってみたい。



あーでも聞きたいこと書いて持ってないとダメ~。

だって、いつ先生が交代されていらっしゃるかわからないし、
いらしたとしても吹いた後は酸欠で、
何を聞こうとか思い出すどころじゃないから。


レアすぎる機会だった。





声明
・2009-09-12 中世芸能の発生 200 声と身体
・2009-09-13 中世芸能の発生 201 陀羅尼 三昧
・2009-09-11 中世芸能の発生 199 「聲明」と「声明」
by moriheiku | 2009-10-04 08:00 | 音と笛のまわり

神楽をご存じのこと



先日のお稽古は、
いつもの先生じゃない先生がいらっしゃった。

これまで二、三度
教えていただいたことのある先生。


今習っているのは『神楽』。
この日は神楽の序からこいあいどめで終わるまで。


先生が拍子と掛け声をはじめられた。
その「テレツク ホーーー (ツ)」、
で吹きはじめることを私は知らず、
出ることができなかった。


金春流だと「ホーー」、
観世流だと「イヤーー」で出るのだそう。

それではと「イヤーー」で始めて下さった。


??
こちらも、いつもの先生の教えて下さった出方と違う。。


違うんだけど、
先生が吹きはじめを合図して下さったから入ることができて、
そのまんま吹いた。


不安に思っていた序は、思いきりだめだめで、
そんなのに合わせて下さりそのまま次へ。



最後まで先生の勢いにつられて吹いた。

直りのところで、
神舞のメロディーになって、
ほんとに直った感じがした。

神憑りのするための神楽から、
神が憑いて神舞へ。


神舞は楽しいなー。大好き。
速いからかも。




楽しかった、けどうまく吹けるわけじゃない。
吹き終わった後はすごい酸欠。

伸びすぎの音など、
具体的に注意点を教えていただいた。

そうか。
そういう風に切れるように気をつけよう。
そうしたら、息つぎがもう少しできるのかも!



この日いらした先生は、
前に「何でも聞いてください」とおっしゃった。
それで、もしまたいらっしゃることがあったなら
いくつか質問したいなと思ってたのに。

吹いた後は酸欠でくらくらしていて、
質問したかったこと、思い出すどころじゃなくて。

ただ、苦しかったから、
「私が苦しそうな音がするのは、自分が苦しいからですか?」
とだけうかがった。

すると先生は、
「そんな音しない。余裕だなと。」
とのこと。

え…。
酸欠で、全身がびりびり。
吹いたあとは実はよく周囲が見えないほど、
ぎりぎりなのに、どうして。。



前に大きい先生がいらした時、
軽く吹いている感じ、一所懸命吹いてる感じがしない、
っておっしゃった。

『神楽』の最初の方にいらしたまた違う先生に、
息だけでいっぱいいっぱいで
どう吹こうとか他には何も考えられません、と言うと、
えぇ~?みたいな感じを(もっと品よく)されていた。


どうして一所懸命吹いてるように聞こえないの。

音が弱いせい?

せめて息を続かそうとだけ思うけど続かず、
出遅れてしまったところだってある。
ぎりぎり、余裕なしなのに。

どうやったら、一所懸命吹いてる音が鳴るの。



神舞になるところのタイミングや、
留メのタイミングや速度がわからない。

それでも最後まで吹けたのは、
つくづく先生が、
普段教えることのない生徒にも合わせて
拍子をして下さるからだと思う。




お稽古が終わるのを後ろで待っていらしたおじいさんが、
先生に今のは何という曲かを尋ねられた。

「神楽です」と先生
「昔からの、あの巫女さんのする神楽です。」
とおっしゃった。


ああ、そうか。
先生ってすごーい。

神楽のことをちゃんとご存じで。
そういうことが身についていらっしゃるから。

さすが芸能者。


私は、神楽について、ほとんど何も知らなかったので。





・2009-08-01 中世芸能の発生 182 芸能の始め
・2009-09-30 中世芸能の発生 207 里神楽



・2009-07-31 『神楽』 序
・2009-08-06 神楽→神舞  一滴
by moriheiku | 2009-10-03 08:00 | 音と笛のまわり

声の中の記憶




お能のこと知らない私の吹く笛の音は、
ただ指づかいのとおりに穴をふさいで出る音。

先生方の、唱歌の声と笛の音は、
お能の音。


日本の歌い物、語り物の声をあれこれ聞くと、

先生がたの唱歌の声も笛の音も、
その発声、発音は、
声明(しょうみょう)の入って変化した後の音。


奄美地方の歌手がどんな曲を歌っても、
どこか奄美地方のこぶしというか、
そういう歌声になることがあるように、

先生がたの唱歌の声も、笛の音も、
お能の音がする。

それだけ感じても、
プロだって思う。

お能国の住民。


音の中にも、先生がたの中にも記憶がある。





・2009-08-15 中世芸能の発生 186 朗詠調

・2007-06-28 言語のレッドゾーン
by moriheiku | 2009-08-22 08:00 | 音と笛のまわり