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酒屋



「新酒の酒粕、あります」
サッシのガラス戸に張り紙。

かつて商店が並んでいた通り。
こちらもぱっと見て酒屋さんとはわからない酒屋さん。

雪を払って、傘を置き、
お店のおじいさんに、
「新酒の酒粕を下さい」

量をどのくらいにしよう、400グラムくらい買おうかな。
って思ってたら、

「1キロでいいね」
と、冷蔵庫からポリ袋に入った1キロの酒粕を出して来られた。

「はい。」

わー、1キロ。
温かい粕汁、何回作れるかな。



「今日はへんな天気だねえ」

「ほんとに」

何回も何回も交わしてきた会話だろう。

雪の日にこの中でこんな会話をすると、
ここに住んできた人みたい。
by moriheiku | 2011-02-14 08:01 | つれづれ

床屋



古い街道脇の道を通った。
細い通りだけれど、かつては商店が並んでいたようだ。
映画のセットのような店のつくりが混じる。


ところどころささくれた焦げ茶の木枠のガラス戸の奥に、
タイルばりのカーブのある流しがあった。

あ、ここは床屋さん。
今も。


ガラス戸に白く書かれてたお店の名前は
ほとんどはげてしまって読めない。

お店の名前が読めなくても床屋さんと一目でわからなくても
かまわないんだろう。

昔からのお客さんと長く一緒に年をとってきただろうから。
by moriheiku | 2011-02-14 08:00 | つれづれ

市の立つ日





市の立つ日に、市に行った。

昔からづつく市。


かつては植木が多く出ていたそうだ。


現代は植木の露天は少なく、

露天に広げられた草花に雪がつもって、

植木の花は、みぞれのような雪の下に凍って透けていた。
by moriheiku | 2011-02-13 08:01 | 歴史と旅

水の旅



つづき


都祁で水音を聞いて、
泊瀬の上流を下り、宇陀の芳野(よしの)川を上流へたどった。

吉野川の川上で、速い瀬に立ち、
宮滝から象の小川を少しさかのぼって、
その先の吉野山の、青根ヶ峯下の水分で雨にあった。


私は天皇の系譜に特に興味はなくて、
ただ身体に、水や自然を呼びたかっただけだけど、

都祁で長田王の山辺の御井の伝承地を通り過ぎ、
小夫で天武天皇の娘で壬申の乱後に
伊勢の斎宮となった大伯(大来)の名残の化粧壺を見たのをはじまりにして、

まわった土地が土地だけに、その時代の周辺にふれることになった。

古来の鵜飼の意味の実感も増した。



水の道は、土地の筋。

土地の筋は、古い道なのだ。



吉野で水から山へ思想が移ったところで、帰宅。



川をさかのぼりくだりしながら、

同時に時代を行き来した。






・2009-02-28 波の跡


・2010-10-17 水の旅 都祁 山辺の御井





・2010-09-02 中世芸能の発生 353 ことほぎ 自然
・2010-08-30 中世芸能の発生 352 滝 木綿花
by moriheiku | 2010-11-04 08:00 | 歴史と旅

水の旅 吉野 金峯山寺




つづき


水分神社から下っているうちに雨は小雨になった。

吉野葛のお店で、みんなへのお土産も買って、自分にも買った。

吉野の本葛と葛のお菓子。お干菓子はきれい大好き。
お、お、お、重・・・。こんな、重くなるんなんて。

お店に併設の、以前にほんの数回訪れたことのあるカフェ風で
見晴らしのいいお店で、葛切りとお菓子とお茶をいただいた。


雲が切れて青空がのぞく。
雨が上がった金峯山寺は人が沢山訪れていた。

吉野山の中心の、修験道のお寺。
秘仏の御本尊が公開中で、同時にイベントがされていて、
お堂に上がる時靴を入れる袋で金峯山寺マークのエコバッグをいただいた。

受け取った護摩木にお願いごとをどうぞ、とのことで、
迷って一つ書いた。


御本尊の前でお坊様がお話をされているところだった。
お話しはもう終わりの方だったけど、端っこの方で少し聞けた。
お話に、真剣な心に向き合う気持ちがする。

宗教ってなんだろう。と思った。
自然の中で行をする修験道。
自然の中で何事かを感得していくという点を、
少し共感できる気がするけれど。
(でもそんなふうに思うのは修験道に対してあまりにも僭越だけど。)

もしも自然の中に気付くという共通点があるとしたら、
こうして信仰を持ち日々励んでいらっしゃる方々と私の決定的な違いは、
私は自分に特別な加護があると思えないところだろうか。

他のすべてと同じように空気を吸い栄養をいただいて生きる。
それ上の特別な加護は自分自身にはおこり得ると思わないところだろうか。

加護のありなしは他と同等。
虫のように鳥のように生きて死ぬ。それで十分私には上等すぎる。


ただし加護を意識しない分、私はとても不安定だ。
そして切実な願いをもたないほど、今私はぬるく、生きているのだろう。



金峯山寺エコバック。護摩木ストラップ。
さすがデザインが、男、って感じ~。

修験道。男の国かな。




つづく
by moriheiku | 2010-11-03 08:00 | 歴史と旅

水の旅 吉野 吉野水分 雨



つづき


吉野山に泊って、翌朝は、
少し登って西行庵と金峰神社へ行こうと思った。

晴天が続いたが、今日は雲がかかってる。

坂道の横には光るような緑の苔がついていて、
水気を感じる。


朝にちょうどいいくらいの坂道。

歩きはじめると、途中、道標で見る距離と時間が、だんだん長くなってく。
?直線距離と実際の歩く距離の違い?

宿泊したところで西行庵と金峰神社へ行くつもりだとお話ししたら、
バスで近くまで行くと思っていらしたようなので、
思ったよりは時間がかかるかも。
さほど遠くないからいいわ。

今日は帰る日。


上千本付近は自然の中に義経や南朝の伝説の碑や史跡が点在してる。
のんびりしているような、でも視点をずらすと
すぐそこに昔の人の息づかいや熱気があるようなふしぎ。


吉野の水分神社に近いあたりで、ついに雨がぱらぱら落ちてきた。

他に観光客はだれもおらず。
吉野水分神社の鳥居近くのお家の犬が、道の先の真ん中で、
ずっとこちらを向いて吠えつづけてる。

私ぜんぜんあやしくないのよ~。
白い犬。あなた紀州犬?

犬大大好きー。

あららリードがついてない。若干心配かも。
犬もあやしむ?ほど、やっぱり今時期は観光客は少ないみたい。
どうしてかしら。桜が咲いていなくてもとても面白いと思うのに。


脇の家のおじいさんが出ていらして、周囲をほうきでお掃除。
もしかして犬があんまり吠えるので用心のためいらしたなんてこと、ある?

横を通る時「おはようございます」と言ったら
へっ、おはようだって、へっへっ、みたいにおっしゃって、
あああいさつするんじゃなかった、、、。
あいさつするだけでなんだかこちらが傷つく人って、居る・・・。

宮滝ではあいさつされていたから、ゆだんしてた。

犬は、よーし、なでちゃおうかなと近づいたら、お家に入っちゃった。残念。




吉野の水分神社の手水の水の口は、竹が上手に伐ってあって
自然の龍のかたちになってる。

手と口をすすいで、雨避けにカメラに巻いたタオルで、水気を拭いた。


門を入ると回廊がぐるりと巡らせた社殿がある。
古く色の褪せた木肌の建築に、紙垂がわたっている。

建物に、こちらもずいぶん古い御神輿が置かれていた。
御神輿の屋根もぐるりと紙垂が取りつけられている。

風化が進み御神輿は少し傾いているが、
かつての威勢や敬虔さが、現在に透けて見えるようだ。



雨はやまずに、小雨から雨らしい降りになった。

大きい蚊をよけながら、
門の下のベンチに腰かけて、空と山と霧と樹と雨を見ていた。

この上の金峰神社と西行庵周辺を歩くのは無理かな。

あとほんの15分くらいで金峰神社につくかも。
小雨を待って行きたいけれど、今日は帰る日だから。



宿泊したところでいただいた吉野周辺のガイドマップを拡げてみたら、
この少し上、行こうとしていた金峰神社西行庵と金峰神社は、
宮滝から見た青根ヶ峯の頂あたりなのだった。


ああ昨日の宮滝のあそこから、
象(きさ)の小川(喜佐谷川)をさらに上流に登ると、
今居る吉野水分の上、金峰神社や西行庵になるの。

今、昨日見ていたあの同じ頂あたりに居るのか。


吉野と宮滝は、なんていうかカラーが異なっているから、
同じとちっとも気付いていなかった。

私いきあたりばったりでいろいろなことを見逃しているけれど、
次は、次に来ることができたら、宮滝から青根ヶ峯を通って、吉野へ下ろう。



水分神社のベンチにしばらく腰かけて、山の霧を吸いこんでいた。


スピリチュアル好きな人は、この雨を、
もっとこの神社に居なさいという自分への神様のメッセージだって解釈したり
するのかな。

文学的な心の人は、この雨を後醍醐天皇の涙だと感じたりするのだろう。
今日は、金峯山寺で、
吉野で亡くなった南朝の後醍醐天皇の法要が行われるのだと
宿泊したお宿で見かけた。
今頃、ちょうど法要のさなかだろうか。


私は、解釈はいらない。

ただ今雨が降っている。





つづく
by moriheiku | 2010-11-02 08:00 | 歴史と旅

水の旅 宮滝 桜木神社



つづき


桜木神社は、めずらしい屋形橋で、喜佐谷川を渡ったところにあった。

さやさやさやさや川の音がつづいている。


小ぶりの朱の屋形橋を写真に取っていたら、
「もっと先に、写真にいいところがありまっせ」
と通りかかった地元の方が教えて下さった。

喜佐谷川沿いを歩いていた時どなたにも会わなかった。
一台だけ脇を通り過ぎて行ったトラックの方かな。

そっか。

ありがとうございます。

あたしは、ただ水を見にこよう、と思い立って吉野にきた。
何も知らないまま来た。

そしたらもう全然、時間なかったの。
来てみたら吉野(古い時代の吉野 東吉野村 宮滝周辺)は
あまりにも歩きたいところが多すぎて、ほとんどまわれていないくらい。
あたりまえのような良いところにたくさん触れずにいると思うの。


この喜佐谷川の先は喜佐谷という集落があるそうだ。もう今回は行けない。
さらに上流にたどると、あの頂に、青根ヶ峯に至るのかな。

あの峯の方から、水を集めながらできた水流は
象(きさ)の小川(喜佐谷川)になってあの夢のわだの
吉野川に音を立てて落ちる。



桜木神社は、壬申の乱の時、大海人皇子(天武天皇)が
桜の木に隠れて身を守った伝説があるそうだ。

桜木神社の案内板には
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桜気神社

 万葉の香り高い象(きさ)の小川のほとりに鎮まるこの神社は、大己貴命少彦名命、それに天武天皇をお祀りしています。大己貴命少彦名命は、古くから医薬の神としての信仰があつく、特に初代紀伊藩主大納言徳川頼信公は、たびたび病気平癒を祈願しています。
 天武天皇がまだ大海人皇子といわれていたころ、天智天皇の近江の都を去って吉野に身を隠しましたが、あるとき天皇の子、大友皇子の兵に攻められ、かたわらの大きな桜の木に身をひそめて、危うく難を逃れたという伝説があります。のち大海人皇子は勝利を得て(壬申の乱・六七二)明日香の浄見原に都を定めて、天武天皇となられたのです。
 このあと吉野の宮(宮滝)に行幸されると、篤くこの宮を敬われ、天皇なきあとは、ゆかり深い桜木神社へお祀りしたと伝えられています。
 
 皆人の恋ふるみ吉野今日見ればうべも恋ひけり山川清み

と万葉歌にもあるように、そのかみの大宮人は、吉野川を船競い、あるときは草摘みに、又あるときは神に祈るため、この辺りへもたびたび歩を運んだことでしょう。
 そう思うだけでもこの辺りのたたずまいは、万葉の抒情がそくそくとせまってくるではありませんか。                吉野町観光課
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その頃までに吉野では、
すでに桜の木が神聖な木であるとする認識があったのかしら。

それと近い時代に、役行者が桜の木に権現を彫ったことも、
木だったらなんでもいいということはなかったと思う。

他の木でない、檜(ヒ ヒノキ)でもないし、
桜である理由があったのではないかしら。


桜木の聖性の意味を考えさせられる。

桜は「サ」の接頭語がつくが、
一概に稲作との関連のみから神聖視されたようには思えないことだ。



美しい青い川の柴橋周辺も、ダッシュで、見れるところをまわった。
ああ、まだまだほとんどまわりたいところほとんど歩けてない。




宮滝の方々は、とても親切だった。

道路を渡ろうとしていたら、横を通りかかった原付バイクの女性が、
フルフェイスのヘルメットの下から「こんにちは!」とにこにこして下さり、

廃校になったという小学校の地下に遺跡があるとうかがって、
その敷地の外に立って宮滝遺跡の史跡の看板を見ようとしたら、
看板にカタツムリがついてて。

私は関節のぽきぽきした虫は全~然平気だが、
こういうナメクジ系(うぅ~~~~)はすごく苦手で、かっ、かっ、固まっていたら、
道の向こうからどうしたと声をかけて下さって、
大丈夫、大丈夫(笑)、と言われたり、

桜木神社の帰りに通り沿いの家の方々が玄関先でお話しされていたので、
前を通る時に「こんにちは」と会釈をしたらにこにこと挨拶して下さったり、

観光客はもちろん、ほとんど人に会わなかったけど、
会った方々はまあ、通り過ぎる方、通り過ぎる方、
みなさんにこにこしてくださったのはとても印象的だった。
道の反対側からも。

このあたりは原付バイクでもフルフェイスのヘルメットが標準装備なのかしら。
フルフェイスでも「こんにちは」と言って下さるの。




歴史資料館を下ったところにある手造りの醸造所で、
自分用に薄口醤油と生みその白味噌とこうじ味噌、
みんなへのお土産用にもろみ味噌と金山寺味噌をいくつか購入♪

こちらもにこにこ。やさしそうなかた。

どこかでお目にかかったような、、
ゲゲゲの鬼太郎に登場するメガネのサラリーマン?のような、

ううん、ちがうわ、あ、そうそう、
ゲゲゲの鬼太郎に登場するメガネのサラリーマンに似てる友人の友人に
面影が似ていたのだった。

わーー重ーーーーーい!手がちぎれそう~~~~。ムリ~~~~~。
よくばりすぎ~>< 宅配で送ろう・・。 




つづく
by moriheiku | 2010-11-01 08:00 | 歴史と旅

水の旅 宮滝 象(きさ)山



つづき


手前が吉野川。あれが象(きさ)山。あちらが三船山。その奥の方向に青根ヶ峯。

歴史資料館を下って南の柴橋を渡る。

変化のある広い川。両岸に白っぽい岩が続く。エメラルドの水。

お天気がよかったためか、
水に光がとおって、きれい。

ダムもなく、
山深く、水の豊かな頃、
建物のなかった昔はどれほど美しかっただろう。
夢のように水音を美しく聞いただろう。

万葉歌のイメージどおり。

大宮人も船で遊んだ夢のリゾート。



象(きさ)の小川はここ?
吉野川に落ちる水の喜佐谷川を、少し上流へ歩いた。

小川の岸は細い針葉樹ばかりだ。

山辺赤人の、

万葉集 巻第六 九二四
み吉野の象山(きさやま)の際(ま)の木末(こぬれ)にはここだもさわく鳥の声かも (924)

象山の木々にたくさんいた姿の見えない小鳥の声は、今は聞こえない。
細い小川の水音を聞きながら歩いた。


日がかげってきて暑さがやんだ。
象山の木々の下になって、地面もぬれている。

誰にも会わない。




つづく
by moriheiku | 2010-10-31 08:00 | 歴史と旅

水の旅 宮滝 鵜飼



つづき


岩や瀬の風が肌を吹くよ。速い水を見て身体は息を吹きかえす。
私はよく水の筋をたどる。上流へ。
岩の間を落ちる水だ。


もう時間なくなっちゃった。
今度はもっと時間をとってこのあたりを歩こう。支流も歩こう。
ここ蟻通(丹生川上神社中社)を起点に、高見川に沿って木津へも行こう。



東吉野村の道沿いに、
維新の魁に散ったという「天誅組」の足跡が数多くあった。
私の知らない歴史。東吉野村の別の景色を見ている人々がいる。


日本オオカミの像の横を通った。
見渡す限り針葉樹の植林の山山山。
一気に進んだ植林。山々を覆う針葉樹。

くりかえしくりかえし命を続けてきた木々も、
そのもともとの木に生きてそれに成る実など食べてきたオオカミの餌になる動物も、
大規模な植林で一気に無くなっただろうと思った。

山は人に対して辛抱強い。



下流の宮滝へ移動。少し山を見晴らす場所になると、いつも目に入る峰がある。

近い山々の後ろに少しかすんだ頂が、ある時は川のこちらから、
ある時は少し上がった高台で気付く。目に入る。

宮滝では、まず吉野歴史資料館へ行ってみた。
高台の資料館から川の向こう、遠くに、
ここからも見えるあの三角の頂。



吉野歴史資料館。おもしろい!
まだまだ吉野初心者の私に、すっごく勉強になった。
他にお客さん、どなたもいらっしゃらない。

粘土に縄模様の棒を押しつけて縄文を作る教材で、
さかんに縄文を押した。
こういう教材を作る会社があるのね。
販売ルートや販売数はいくつだろう。色んな仕事がある。

このあたりでは縄文時代カワニナという貝で文様を付けたそうだ。
やはりさかんにカワニナで粘土に紋をつけようとしたけど、
なんで?文様にならない。
むずかしいー。


吉野歴史資料館では、縄文弥生から奈良時代まで古代の吉野が紹介展示されてる。
興味津々。

縄文遺跡の出土品の分布から、
吉野川の下流域で生活していた人々が
暖かい時期だけ豊かな自然を利用するために
上流の宮滝周辺へ移動してきていたことが考えられるそう。


サチを求めて川沿いをたどって移動する暮らしは、
まるで古い鵜飼のようだ。


ここで神武天皇の時代に語られているように、
2000年くらいあるんじゃないかとも言われる日本の鵜飼の歴史。
その中で、船に乗って漁を行うようになったのはごく最近のこと。

古い時代の鵜飼は、鵜匠が鵜をつなげた緒を持って
川沿いを行ったり来たりした。


ああ鵜飼は、古いな。とても古い。
鵜飼、鮎、河の魚をとる人々は、特別なんだ。

鵜飼は古い時代と結びついた漁だったんだ。
サチ。古い時代の贄。
古い時代のイノチの元。

だから古い民俗を脱しようとする時代、鵜飼は特別罪深いものにもなった。



あ、あの山。あのどこに居ても目につくあの嶺は、青根ヶ峯なのね!
展示を見てようやく気づいた。
この辺りの水源の、信仰のいただきだ。

吉野の離宮の縮小版モデルがある。大きい離宮。
発掘調査から、宮滝の斉明天皇の離宮は
青根ヶ峯を真南に見るように作られていると考えられるそうだ。
なるほどーーー。

このあたりをめぐっていると、ものすごく青根ヶ峯が意識される。
写真では遠くに小さく見える△だけど、実際は印象的に目に入る。
山々が見える晴れた日に、東吉野をまわれて、とってもよかった!


聖武天皇の離宮になると、青根ヶ峯を真南に見る角度からはずれた造りになる。
つまり信仰の移行があった。



常設展示の他に秋季展で、柿の葉ずしと釣瓶ずしの展示がされていた。

おお、『義経千本桜』のすし屋の息子、いがみの権太が!
そうそう、吉野の、すし屋の、だった。

宮滝から吉野挟んでもう少し西、下市の。
釣瓶ずしってこういうのなのね。
釣瓶ずしのあの釣瓶、すし桶の実物って、これなのね。泣かす悪党、権太の心。
物語に一気にリアリティーが出た。展示を見られてラッキー。



こちらで発行された本を拝見したくて、事務所に声をかけた。
2冊購入。もっと買えばよかったー。ここでしかない本。もっと読みたい。
すぐ近くに住んでいたら読みに来れるのに。


万葉集歌に詠まれる、象(きさ)の小川にいよいよ行くぞ!おーーー!

事務所の方に、歩いてまわれる距離ですか?とうかがったら、
丁寧に教えて下さった。
郵便局のところを・・などなど。感じがよくて親切なかた。


その日の夜、歴史資料館のパンフレットを見ていて気が付いたんだけど。
歴史資料館の入館は、土・日・祝日以外は、
入館予定日の1週間前までに事前予約が必要。最少人数は4人以上とのこと。

私、入館できない条件を完全に満たしていたのに、
歴史資料館があるじゃな~~~い♪って知らずに行って、入れていただいてたのだった。
そしてすっごく充実し資料館を楽しんでいた。ありがとうございます!




鵜飼 古来の神聖 御贄

狩猟は「栽培以前」ではないこと。
・2009-09-23 中世芸能の発生 203 狩猟 採取
鵜匠の山下純司さんがテレビで、
魚は育つものでなく、湧(わ)くものだったと、
とおっしゃっていた。

むかしむかしのこと。

栽培したり育てたりしない。

川の魚は、太陽と水と森の養分だけで、無限に湧いて、
我々(人)はそれをとって食べて生きた。

それがサチ、命の力でなくてなんだろう。

季節に木の芽が芽吹くように、河に魚が湧く。
現代の山下さんのひとことを通って今にいきいきとあらわれる感覚。

昔、山河のものを食べることは、そうしたサチをいただくこと。
命の力を身体にうつすことだった。

山河や海での狩猟や採取は、
栽培以前、でなく、

栽培とはちがう、
くりかえす自然の生命力に対する深い気持ちがあっただろう。

鵜匠の山下さんのことば。
実感のある人のことばに、感覚の口が開(あ)く。
まるで古代の芸能のようだ。



漁の喜び  毎年訪れる季節への期待  万葉集  鵜飼  
・2009-09-06 毎年に鮎し走らば
自然の中で漁する喜びは、
毎年おとずれる季節の木の芽を採る喜びやめでたさに似ていたと思うから。
それがどうしてそれほど罪深いものとされてしまったものか。

家持のこの歌のみずみずしさ。

夏の鵜飼漁。
毎年訪れる季節への期待。
旅情。
肌に季節の川辺の風が吹くようだ。




・2010-03-04 中世芸能の発生 291 サチ 弓矢 狩人 開山伝承


殺生と地獄 中世の鵜飼 今様歌 遊女
・2009-02-11 中世芸能の発生 67 船の上の遊女 お能『江口』
鵜飼はいとほしや 万劫年経る亀殺し 鵜の首を結ひ 現世はかくてもありぬべし 後生我が身をいかにせん
哀しい歌ね。

“ 鵜の餌に、万劫も生きる亀を殺し、鵜の首を結んで鮎を吐かせている。現世はそうしても過ごせようが、後生はその身をどうするのだろうか。亀を殺したり、鵜を酷使する鵜飼は来世には地獄に落ちるというのに、その生業に勤しむ鵜飼をいとおしい、と詠んでいる。”

同じく梁塵秘抄の遊女の歌。
淀河の底の深きに鮎の子の 鵜といふ鳥に背中食はれてきりきりめく いとほしや

鵜飼の罪の深さは、遊女自身の罪の深さに思われるのだろう。
遊女が船の上から見た、川底の、鵜に食われてきりきりもがく鮎の姿は、
自分自身にも思われたろう。

きっと我が身も、地獄に落ちるのでしょう。そう思ったのだろう。

遊女であることはあなた(遊女)の作った罪ではないのに。
いとおしや。



殺生の罪 鵜飼 お能
・2009-01-27 中世芸能の発生 56 お能『鵜飼』 非人
御贄を扱う鵜匠のような立場の人たちは、
自然の旺盛な命のこもる贄を首領にもたらす役目があって、
そういう贄を得て天皇の命が強化されるという考え方があった。

やがてそうした原始的呪術的な思想は衰え、
古代的神聖な天皇や神々の権威は薄まった。
民間にも広まった仏教が殺生を禁じていることからも、
山のさちをもたらす鵜飼も、
仏教の戒と照らせば
殺生を生業とする業の深い人々と見られることにもなった。



・2010-06-22 中世芸能の発生 331 罪業感 今様
・2010-08-17 中世芸能の発生 339 差別の始め
・2010-02-04 中世芸能の発生 268 古代における聖性とは

・2010-08-22 中世芸能の発生 344 倭文(しつ) つまらないもの




山の頂の印象
・2009-11-13 山



狩猟は残酷か?
・2013-02-07 中世芸能の発生 451 『ぼくは猟師になった』 殺生 肉食 イオマンテ
著者の千松さんは若手猟師さん。
猟をする暮らし。狩猟についての目線。

『ぼくは猟師になった』についてと、
説話集、今様歌、猿楽能など、古典や史料の中に見る、
日本の古来の肉食と、
新しく入ってきた仏教思想の殺生肉食の戒の狭間のきしみについて。




つづく
by moriheiku | 2010-10-30 08:00 | 歴史と旅

水の旅 東吉野村 鮎



つづき


短い限られた日にちでめぐる東吉野村。吉野川の上流。

この日歩く起点にした丹生川上神社中社は、
水や雨の神をおまつりしてきたところだそう。

御祭神は罔象女神(みづはのめのかみ)。
天武天皇の時代には、
「人聲の聞こえざる深山吉野の丹生川上に我が宮柱を立てて敬祀らば天下のために甘雨を降らし霖雨(長雨の事)を止めむ」(丹生川上神社中社の御由緒より)
と御神教があり神社が創られたとのこと。

つまり宮柱(建物)を建てる以前から、祭祀が行われてきたなど、
意味のあったところだろう。


丹生川上神社は、奈良時代の間は厚い崇敬を集めたそうが、
都が京都に遷都した後は忘れられ、
社の場所はわからなくなっていた。

明治になって調査が行われたところ、丹生川上神社と考えられた場所は三か所。
(現在の丹生川上神社上社、中社、下社)。

今回東吉野を歩く起点とした丹生川上神社中社は、
雨師神社(雨師明神)、後に蟻通神社(蟻通明神)と呼ばれていたが、
上記のようないきさつを経て現在は丹生川上神社(中社)とされるようだ。



境内に吉野離宮碑があった。
ここも吉野の離宮跡と考えられたんだ。

神武天皇聖蹟の碑があってクラクラした。

ああそうか。

昨日、芳野(よしの)川をさかのぼりながらまわった宇陀は、
神武東征の大きな舞台であった。
大伴家持の祖先は、その功労者だった。

私は大伴家持が好きだから、思わず、
この祖先を思って志を保とうとした家持の気持ちに入れこみたくなったけれども。
しかしその時は、

神武東征に興味のある人にとって宇陀は、
古くからの地名も残る興味の尽きない土地でしょうけれど、
私はヤマト王権や天皇の系譜に興味はないから、今それはスルー、

と思ったのだった。


しかし、東吉野村は、
ヤマト王権が大和を制圧する直前のキーとなった場所だった。

「従其八咫烏(やたがらす)之後幸行者、至吉野河之河尻、時作筌有取魚人」
八咫烏に先導され、神武天皇が熊野から吉野へ入る。
吉野で会った魚を取る人。鵜飼のような鮎を取る人々だろうか。
鵜飼の祖と言われる。

宇陀のえうかしとの戦いを目前にし、
神武天皇は丹生川上で厳瓮(いつへ)を川に沈め、
魚の浮き沈みで勝利を誓った。(魚で占い → 鮎)

そして神武天皇一行は、宇陀の兄猾(えうかし)を討ち、
長髄彦を討ち、大和に入って橿原で即位した。(古事記・日本書紀)


ストーリーの随所に出てくる大伴家持の祖先の名。

宇陀から東吉野の景色。

水の流れや白い水しぶきに身体をわきたたせながら、

当時あれほど詠まなければならなかった、
ここを起点に心を奮い立たせ氏の士気を保とうとした家持の歌に映る家持の心を
どこかに重ねている。






記紀に残る神武天皇のこうした神祇の神々への祈願方法は、
複雑化した呪術の発達そのもの。
万葉集の歌の中に出てくる神への祈願方法と同じだ。

万葉の時代も後期に入ると、
いくら呪術を発達させ、複雑化した呪術(神祭り)を念入りに行ったところで、
最終的に心は救われないのだと、人は気付いていく。



イノチを活発にする自然との共感は、
それを望むがあまり、複雑に技法化し、かえってイノチの根源から離れていった。

技法ばかりに目を奪われ、根源を忘れた。


長い時間かかって、人は、
イノチをゆする根元に帰る。




・2010-08-16 中世芸能の発生 338 メモ
・2010-05-05 中世芸能の発生 304 仏塔 心柱 刹柱




大伴家持 かわいそうたぁ、すきだってことよ。
・2009-12-12 中世芸能の発生 264 いや重(し)け吉事(よごと)
・2009-03-17 「奈良の世の果ての独り」
・2009-09-10 時の花
・2009-09-09 清き瀬を馬うち渡しいつか通はむ




つづく
by moriheiku | 2010-10-29 08:00 | 歴史と旅