タグ:古代 ( 735 ) タグの人気記事

古い音






この施設は日本語の古い発音を聞くことができる場所だったけど、

ある時から聞けなくなった。


そのまま何年も経って、

時々、また復活していないかな、と訪れてみるけど。

もうこのまま聞けないのかな。




本や少ない動画を頼りに、

古い発音を口に出してみるけど。

もう少し発音したい。体系的に知ってみたい。

まだ真剣度が足らないのだ。
by moriheiku | 2015-02-02 08:00 | 言葉と本のまわり

中世芸能の発生 456 国家神道 天皇


つづき


母方のご先祖様は、中世期、今住んでいる所に定着した。
中世頃の先祖の方々について話す時母は、
ちょっとケンカが強かったような人たちのようよ(小声)と言っていた。

はは~~ん。
中世、戦国期の人の移動を考え、また後の時代を考えると、
母方のその辺が察せられる。
野武士山伏系か。

義経弁慶たち一行が山伏姿に変装して頼朝の探索からのがれ
東北までたどり着いたのは、
中世期、勧進などする聖、山伏、僧のような人々が
当時日本中をたくさん歩いていて、山伏の変装が違和感がなかったから。

こうした人々の中には、各地の、
母の家のあたりのような地方の山あいに定着していった人も多い。
中世期には多かった。

こうして土地に定着した人々の中には、勢力をもつようになっていったりして、
戦国時代につながっていく。

山間に山伏系の神楽が残っているのは、
こうした人々が各地を歩き、時には定着していった名残だ。
・2009-09-26 中世芸能の発生 206 山伏の延年
・2009-04-16 中世芸能の発生 108 武士の狩猟民的性質について
うわー、あかんやないの


ともかく、そうした経緯で母方の家系は今の土地に定着し、
それから代々、土地のとある神社のある山を守(も)りをする役をしている。
神主さんではない。
こんときの消防車はその役のために用意された)


母たちの話によると、その神社のお祭りや行事にあたって、
江戸時代までは明治時代からのような特別なことはなかったそうだ。

明治より前は、ほったらかしじゃないけど、その、
なんと言ったらいいのか、
今の宮内省にあたるところから使者でいらっしゃる方も、
使者の方から渡される品々も、
質素簡素、というのじゃないけど、その後とくらべればそういうものでね、と。

母が曽祖父母や祖父母から聞いた話では、
大政奉還から明治になって、それまでとがらりと変ったそうだ。

急に、使者の方々の挨拶(装束も)や行事が大きくなり、
御即位など特別なおりに賜る記念のお品は、
飾りの付いた短剣とか豪華なものになって、
その家の人はびっくりしたそうだ。


ああそれは。
天皇の神聖の強化のための、国家神道の流れだったのだ。






法律で、天皇を君主と明記しようとすることには、やはり違和感がある。

名前のなかったもの、名前のつかなかったものに名前をつけた時、
意味は限定され、変質して固定するから。
あまねくあるものの象徴としての存在から離れたものになる気がして。

しかし世界に通じるものにするためには明文化することが必要なのかな。
むずかしいことでわからないけど。



私は、神道は、
古来広く行われてきた生活態度と一体だった民俗信仰、習俗が、
宗教として社会化され体系化されていったものと考えている。
それでも神道に文字による教義は基本的にはない。

神道につながっているものは、
古来の日本の自然風土と、
そこで暮らしてきた日本人に生活態度のようなもので、
あまねくありつづけてきたもののように思う。


天皇はある時代から存在されている方々だけれども。
排除などされることなくこの国で長くつづいてきた天皇という存在のありかたは
これまで続いてきた日本人と日本という国のありかたのあらわれ。
その表出。

だから天皇というありかたは、
日本の歴史、風土、精神性全てと結びついていると日本人には感じられるし、

天皇という存在と天皇のありかたの否定は、日本人にとっては、
日本の歴史、風土、精神性全ての否定と結びつくのだと思う。

そこを狙って抹殺しようとする中朝の意図はすごいと思うけど。

ともかく外国の人々にはそのあたりがわからないことが多いみたいだけど、
時の権力者の王とはちがうのだ。
王様は国そのものもでもないし、自分たちの一部でもない。

また、上下関係をつけることで物事を判断する人々にはどうしても理解されないようだが、
日本人にとって神聖なものとは、
上にあるものでなく、あまねくあるものなのだ。



日本に限らず、
他国の長く続いてきた王家や、
ある国に続いてきたその国の人々が尊重する象徴的なものを
否定したり貶めたりすることは、
その国のありようの全てを否定し、貶めるのと同じだ。
ものや人への自然な尊重の心がある人ならば慎むのでは。
国でなくどこかの土地でもものでも人でも。




たまに、国家神道時代の天皇への崇敬の形が、
大昔からの天皇への崇敬の形と同じだと考えられている意見をみかけるけれども、
やっぱりそれは少し違うのではないだろうか。

案外長い時代を日本の一般の人々は、
おてんとうさまが見てる、って感じで、
何事か知らないけどありがたいと感じられるようなものやおてんとうさまのようなものを心に置いて
生きてたと思う。




お釈迦様も像を作るなと言いのこしたように、
様々な宗教がその初期には、偶像を作ること、偶像を祈ることを禁じた。
しかし多くの宗教がや、がて偶像を作り偶像を通して祈るようになった。





ただ実感の中で生きて、
むしろ意味や存在を限定するような像や教義、そして名前も、
ほんとうは必要ないのだ。

(と思う私は日本の神道的な考え方をしているんだろうか。)






万葉集  石走(いはばし)る垂水(たるみ)  白木綿花(しらゆふはな)に落ち激(たぎ)つ
・2010-09-02 中世芸能の発生 353 ことほぎ 自然
・2010-08-30 中世芸能の発生 352 滝 木綿花
万葉集に、
白くさらしたふっさりした木綿(ゆふ ゆう)が、木綿花と言われて
滝の飛沫に例えられることには、心が躍る。

急流を駈ける水が
岩にあたって白い木綿(ゆふ ゆう)の花のように咲きつづけるうつくしさは、
自然のエネルギーそのもの。

万葉人の目に、ふっさりした白い木綿(ゆふ ゆう)が振るわれる姿は、
そのように映っていたのだなあ。

上記の歌は、詠み人の感慨であると同時に、ことほぎ。

言わなくてもことばの中に自然のイ(威)があり、
これまでも、これからも、くりかえし咲きつづけるイノチの祝福がある。

万葉人が見飽きないと歌に称えた泊瀬吉野の滝の木綿花(ゆふはな)。

今も山間を駈けくだる水を見れば、
その音に、細かくあたる水飛沫に、山と水の匂いに、木綿花のように咲きつづける水に、
心は躍って(激(たき たぎ))って息を吹き返す。

山に行きたい。





・2012-09-13 中世芸能の発生 447 一ノ瀬、二ノ瀬、三ノ瀬 滝 こぶ取りの翁




・2011-01-27 中世芸能の発生 379 根元
白い水










母の通った幼稚園史  明治、大正、昭和の園児たち
・2012-12-22 幼稚園史

母方の人々  いざ江戸   忠義と消防車  桜の文化
・2013-08-20 消防車 忠義 桜

母方の人々  牛を連れて帰る
・2013-08-21 牛と退職金 幕藩体制の終了

母方の家の言い伝え  母屋は無事だった・・・
・2011-04-07 国土の保全 知恵と伝承

↑母方のエピソードあれこれ。
夫婦で浄瑠璃にくるった代のこととか、
学者のふりをした泥棒にだまされたはなしとか、
打ちたいけど、

あ、父方のはなしも打ちたい気がするけど、


でもそれより、早く松と鹿のこと、打たねば。

めちゃくちゃでもなんでも。

私はそれが打ちたい。ずっと。




つづく
by moriheiku | 2013-08-23 08:00 | 歴史と旅

中世芸能の発生 455 貨幣 勧進 大仏造営


つづき


幕藩体制の終了で、母方の当主さんが江戸から地元へ戻った時、
(今でいう)退職金の一部が牛だったという。生きている牛。
貨幣より前の、物がやり取りされていた時代を、少し身近に思った。



日本人にお金とお金の概念が知られはじめた初期には、
貨幣による物の流通は定着しなかった。
租税もお金で納めるのでなく物だったのだから。

物の交換になれていた人々は、
物とは違って、
それ自体の価値ではない価値で流通するお金というものによる流通の不思議さを、
お金にまつわる不思議な力と理解した。

そのため人々はお金を、不思議な力のあるものとして、
お金が手元に来てもお金として使わず、祀って大切にし、
実際には相変わらず物での流通がつづいた。
初期の貨幣は祭祀の場所から出土している。

奈良時代に富本銭が鋳造されたが、
経済活動の貨幣としては出回らなかったようだ。

中世になると、経済活動の中での貨幣として宋銭が流通している。
市で出回っていたようだ。
でもまだまだ経済全体では物での支払い物の交換の方がメジャー。


時代が下るにしたがって、
布教と寺社運営のための社寺の勧進活動が盛んになっていった。

奈良時代は作善として、労働力の提供が多かった。
その提供された労働力が集合し多くの土木工事が行われた。

人々は神仏に救いを求め、
滅罪や亡者の鎮魂のため、また徳を積み往生を願い、勧進作善に参加した。

一人一人の小さな作善を集めて大きなものをなすということにも、
宗教的に重要な意味があったのもその理由だ。

行基のような優婆塞(私度僧)達が、勧進で人々をいざなって盛んに行った
橋を架ける、道を作るなどの大規模工事は、
宗教的思想の実践でもある会福祉事業。

井戸を掘り、池を作り、道を作り、橋を作る。福祉施設を作り運営する。
後の時代までも勧進の僧、聖たちの多くが、
土木工事のプロデューサーでもあったゆえんだ。

自然居士 勧進の優婆塞 プロモーター ヒーロー 芸能
・2008/09/25 中世芸能の発生 29 勧進聖 自然居士
・2008/07/21 中世 07 芸能の独立
お能の設定にはこうした立場の人々への共感があるようだ


貴族は布施として物や写経を喜捨して後生を祈ることができたけれども、
民衆はささやかな物と、あとは自分の労働力を喜捨、作善とし、後生を願った。



聖武天皇は大仏を建立するにあたって詔(みことのり)を出し、
全ての人々に大仏造営の参加を呼び掛けた。
一枝の草、一把の土を持ってと。

全ての人が参加し一つの何事かを作り上げることは、
当時の仏教の実践でもあり、
古来の信仰を映した国のありかたの理想でもあった。

聖武天皇は官の認めた正式な僧でない私度僧の行基に、
大仏造営の協力を依頼している。

行基は、仏教を説き各地で福祉と大規模土木工事等を行い、
民衆の支持を広く集めていた。

聖武天皇が、朝廷が取り締まる対象ともなる私度僧の行基に
大仏建立への協力を依頼したのは、
単に行基のもとに集まる大勢の労働力だけをあてにしただけのものではなかった。

聖武天皇にとって、行基とそこに参加する人々のようなありようが、
華厳の教えや、古来の民俗信仰にある
無数の個あるいは森羅万象が結び合い一つの世界を成しているという理想の世界に
かなうものだったから。

行基
・2010-05-10 中世芸能の発生 305 勧進と芸能
作善 芸能の芸術化




行基とそこに参加する人々のありようは、
聖武天皇の願った国のありかたの理想に近かった。

聖武天皇にとっては、
どんな方法でもいいから大仏を完成させるのではなく、
人々が広く大仏の建立に参加することに意味があるった。
そのための詔の一文だ。

大仏の造営に皆自発的に関わった人々が実際どのくらいいたかはわからないが。


こうした大仏建立の例に見られるように、
奈良時代には労働力を喜捨とすることはめずらしいことではなかった。




古来の信仰の体系をベースにして渡来の制度をあてはめた律令制度は、
社会・思想の変化にともなって、奈良時代後期には崩壊しつつあった。

神祇信仰と租税の徴収
・2008/09/05 中世芸能の発生 05 神祇信仰と租税徴収
律令制度の崩壊 芸能者の立場の変化
・2010-02-05 中世芸能の発生 269 「神聖」の観念の変化


律令制度の崩壊により寺社は、それまで受けていた国による庇護を失った。
寺社は寺社維持のため、自身での経済活動が必要となった。

大きな寺社は貴族同様各地に大規模荘園を所有しそこから利益を受けるようになるが、
平安時後半には荘園制度も崩壊。
不安定な時代、戦乱も続き、社寺が焼かれたり壊されたりもした。

そのため、もとは仏の教えを知らせ、
人々を仏教にいざなう布教のための勧進活動は、
寺社の維持のため喜捨を募ることにより重きが置かれるようになった。

布施や喜捨の内容も、
仏教の慈悲の実践としての
(今でいうところの)社会福祉活動)への作善、労働力の提供よりも、物へ、
物よりもお金、へと変化していった。
※融通念仏 リンク



僧や聖、比丘尼他、彼らのような宗教性を帯びた人々が
各地を巡って行った勧進の活動は、
より人々を招くことが必要。

経典の教えを知らせ、霊験を説き、
人々の信心と同時に喜捨を募るため行われた勧進の芸能、歌や語りなどは、
より耳目を集めやすく共感(と喜捨)を得やすいものへと工夫され、
勧進の芸能化、興業化が進んだ。

中世芸能の担い手 説経 唱導 勧進 
・2009-05-25 中世芸能の発生 133 俗の土壌
・2009-05-28 中世芸能の発生 136 優しい誤解

後生を願い救いを得たいと勧進の場に集う人々を信仰に招くため、
勧進をする側は、難解な経典の内容を、
人々にとって身近な話題に置き換え物語化したり、
派手になったり、涙を誘ったり、
訴えかける抑揚や動作をつけたり、洗練されたりして、
芸能がさまざまに展開していった。



天岩戸の神話のアメノウズメノミコトのあそびや神楽に象徴されているるように、
古くは芸能は、
あらゆるものを活気づけ、命を活発化、再生させることが期待された
タマフリの実感的習俗だった。

古い時代の対象に直接働きかけ効果を期待された呪術的性質のもの。
・2011-06-19 中世芸能の発生 400 遊び 神楽

霊や神仏の概念ができてからは、
イノチを活発化させる芸能は霊や神仏をよろこばせなぐさめるものにもなった
(結果として荒ぶる霊や神仏は鎮まるという考え方 鎮め、鎮魂)。

イノチを活気づけるたまふりや神仏や霊にささげる呪術性宗教性を帯びた芸能は、
人々の生活や願いとともに、広く一般化していった。


平安時代に京で猿楽が、それまで一対で行われてきた法会と離れ、
猿楽だけで単独に上演された記録などある。
芸能は、布教のための俗化をしながら、
同時に宗教から離れていくことになった。

宗教と芸能が未分化だった時代は過ぎて、芸能は、
人々へ宗教の周知の役割を持ちながら 同時に宗教と芸能の分離を内包している。
それは、芸能から芸術への分岐にも見える。
・2010-12-01 中世芸能の発生 368 今様

芸能のはじまりの性質上、
完全に宗教と芸能が離れるのはまだうんと後だけど。



信仰や宗教と分離していった芸能。
喜捨されるお布施も、
信仰の意味での作善や喜捨でなく、
芸能への対価になっていく過程。


勧進の僧や聖の行う土木工事も、
民衆の自発的な小口の作善を集め皆で行うことに意味があるという段階から、

徐々に、物やお金による大口の喜捨を募って、
それを労働者に支払うものに変化していった。




経済活動が、
労働力や物の交換と流通の段階から、
貨幣の流通の段階に進み貨幣経済が定着するでには、
結構時間がかかってる。

宗教にかかわる経済は、
経済全体の変化のうちの一例にすぎないことだけれども、
ともかく貨幣経済が浸透には、
社会と意識の変化両方が必要だったんだ。




・2008-06-10 『身毒丸』 折口信夫 01
「田楽法師は、高足や刀玉見事に出来さいすりや、仏さまへの御奉公は十分に出来てるんぢや、と師匠が言はしつたぞ。」
田楽法師。護法童子の名を持つ人。
宗教者の末に連なる芸能の人たち。
遍歴し勧進する芸能する人たちを描いた描写。




静御前 白拍子
・2010-08-24 中世芸能の発生 346 しづやしづ しづのをだまき くりかえし
祝福芸。ことほぎ。
呪術的芸能から世俗的芸能へ。
それにともなう芸能する人々の立場の変遷。





全然歴史を知らない私。てさぐり勉強しはじめた頃。
あー成長しない。未だ終わらず。

遍歴する芸能者と商売 傀儡子と櫛 櫛宋銭と唐人(宋の商人)
・2009-01-30 中世芸能の発生 57 遍歴する人々と外国
中世の市には宋銭が流通していた。
宋銭は、日本列島の北から東南アジアまで広く流通していたそうだ。へー。 

勧進 経済の多様化 宋銭
・2008-09-25 中世芸能の発生 28 勧進

供御人 遍歴する人々の経済活動 宋銭
・2009-01-24 中世芸能の発生 53 供御人


こうしてみると、
貨幣が流通するようになった時期と理由が、少しだけわかった気がした。
2013年の今頃。




もー、一気に書いてめっちゃくちゃ。

あとでゆっくり打ちなおそ。



つづく
by moriheiku | 2013-08-22 08:00 | 歴史と旅

消防車 忠義 桜



母方の建物は古く、今も広い土間がある。
その土間の一角に、大型の古びた箱型に車のついたのものがもうずっと置いてある。
あれは何と聞いたら、
母が子供の頃にはもうそこにあったそうだ。
それは昔の消防車のようなもの。
大きな箱型の中に水を入れ、手押しの柄で水が出るしくみ。

母によると
あれが前回動かされたのは、江戸から明治に移ってそうたたない頃。
幕藩体制がなくなり新政府がはじまって、当主はここ地元に戻ってきていた。

ある日江戸(東京)で大きな火事がおきていると聞いた当主は、
江戸が、お上(かみ)が大変だと、
すぐに消火のためこの手動消防車?を押して江戸(東京)に向かったそうだ。

「行くまでに、火、消えてるって!」(私)

当主は○○街道を江戸へ向かった。

「舗装してない道を、この車輪(木製)で!」(私)

「そうそう。○○峠も越えてね。そのあと○○も越えなきゃいけない」(母)

ここから東京は遠いの。
箱型の中に水が入っていない状態でも、押すにはかなり重いだろうこの昔の消防の車を。
何日かかかるだろうに。何人で行ったの。一人?

けれど街道の途中○○あたりで、江戸(東京)の火が鎮火したことを聞きおよび、
当主はそこから引き返してきたそうだ。
また消防の車を押して(あるいは引いて)。

屋敷に戻った時、消防の車は土間のその位置に置かれた。
以来ずっとそこに置かれたままだって。長っ。


もとはこの周囲に火事がおきた時、消火に使うため用意された。
以降動かす必要のなかったことは幸い。

今となっては笑い話のようなかなしいような顛末を聞きながら
「アハハハハハ」と笑ったけれど、

それは現代の私ののほほんとした感覚だからってことも、同時に感じてる。


当時の忠義の心のせつなさ、まっすぐさを思う。
結果的に長く戦がなかった江戸時代、
歴史の本や情報で当時の断片を見ると、
お城勤めばかりでなく日頃は畑を耕したり内職をしたりして日常を過ごしていた武士たちでも、
心身と技を鍛えることをやめておらず、
武士とその家族も、いざ何かが起きた時には、
身を捨てる覚悟があったことを思う。



桜の花は、

春の農耕の開始と、良い実りへの期待と結びつき、
満開のめでたさであり、
流れる時の一瞬を生きて死ぬ、くりかえし流転する、人やものの命と重ねられ、
武士においては、表に出さない覚悟の花でもあり。

桜は時代を生きた人々の思いと結んで、多くのモチーフになってきた。

桜の原産地はどの国かで桜の文化の起源や優劣を競い言い募るなど、
文化とは何かの実感のまるでない、ピントの外れた行為だ。




江戸や明治の人たちは、
中でも年配の方々の口から聞けば、ほんの数代前。
昔のおとぎ話の登場人物でなく、隣で息をして、
笑ったり食べたり悲しんだり、日常を共にした人たちの話は、
今生きている人のことを話すのと変わらない、生きた人々の息吹きがある。




年上の人のお話 

やけどに味噌を塗った話
・2011-08-21 立ち話

母の通った幼稚園史  明治、大正、昭和の園児たち
・2012-12-22 幼稚園史

母の家の言い伝え  母屋は無事だった・・・
・2011-04-07 国土の保全 知恵と伝承

母方の人々  牛を連れて帰る
・2013-08-21 牛と退職金 幕藩体制の終了
by moriheiku | 2013-08-20 08:00 | 歴史と旅

生きものと土地




用事で京都。
市内をタクシーに乗って、少しうとうとし、
目を覚ました時タクシーが東西南北のいったいどちらへ向いているかわかんない。
けど運転手さんの頭の横から、フロントガラスの向こうに東山が見えると、
ふーと身体が落ち着く。

東山の山々のシルエットを描けといわれても描けないし、
東山のふもとの左京区に住んでたんだから、
東山のシルエットを俯瞰することはあまりなかったはずだけど、

身体のどこかに、東山の気配が刻まれていて、
東山を見ると私の何かは落ち着く。

風光明媚な嵐山の、西の山々を見てもなんともない。

東山について心では特に何にも思っていないのに、
土地は身体に刻まれてる。

比叡山の形だってどうだったかなってくらいだけど、
北東の比叡山の形をみれば身体は満ちる。



今住んでいるところは、
今までで一番長く住んだことになるのかも。

ここでたくさん学んだ、ここに育てられたから、
ここの虫や草や石や川のように、
私はここで生きてここで死ぬ。

他の人に、わからない、と言われる。


国を捨てる人の思いはどういうものだろう。
ちぎれるような思いか、刻まれたなつかしさか、憂鬱か、
自由な未来へ向かおうとする渇望か。
どうしようもできないいろんな思いがあるんだろうな。



これは執着か。

だって刻まれてるんだもん。
私はその一部で、それは私の全部で、分かてない。
感情より前のものということだけなんとなくわかる。
理性で考えれば、良い場所ならどこでもいいと思うのだから。


たぶん犬や猫のテリトリーとか、
渡り鳥が毎年同じ方向へ行くための構造とか、鮭が川に戻るとか、
そういう動物の、普通の構造に似た、生きるための仕組みなんじゃないかな。






・2009-11-13 山
今はすっかり市街地で交通量も多い古くからの道を歩いていて目を上げると、
その先には、ある山のピークがあり、
この道はあの山の頂の方角を目指していた。

この道を歩く人は、あの山の頂を目印に道を歩いていたことがよくわかる。
道は山の麓を通ってさらに先へ伸びる。

こうした道はそこここにある。

現在この道の左右にはビルや建物が建ち並んでいる。
信号や建物に目が行って、道の先の
建物の間になった山の存在感はとても薄い。
今の人にとって道の目印は建物や標識。

建物などなかった昔は、
島や岩、山や木などが目印になった。

海上からも、陸でも。

人や車通りのうんと少ないごく早朝に家を出る日は、
山が息をしているように鮮やかに、晴れやかに見えて、
私もうんと先のあの山の頂を見て歩く。
by moriheiku | 2013-08-14 08:00 | 歴史と旅

クスノキ

上までヤマフジが巻き付いて、
今時期は木の表面にたくさんのヤマフジの豆が下がってる
大きなクスノキを見上げた。

立派なクスノキ。
無数の葉を濃い緑に茂らせているクスノキ。


この木の前でこの木が立派だと感じるのは、
ヤマフジのような別の木に体を貸すことに犠牲や奉仕を重ねるからではなくて、

まず、ただただ、
ねじれのある太い幹、大きく張った枝
無数のつややかな葉をつけているクスノキに、命の力の発揮を浴びる心地だから。

立派だなあ。すごいなあ!

感嘆するし、圧倒的なすごさにこわくもなるよね。



樹木の多かった日本では、
巨樹は、命の力の発現そのもので、
人は巨樹に、圧倒的な祝福感と畏敬の念を抱いてきた。

宗教が形作られていくと、
こうした特別な木には標(シメ)を張って祝うようになっていった。

このパターンはもちろん巨樹に限らない。
今も自然物を対象にして多く見られる。




私たち(日本人)の信仰の根元は、
教義から始まっているのでもないし、
タブーから始まっているのでもない。
教祖から始まっているのでもない。

取引がはじまりでもなく、約束がはじまりでもなく、
ただただうした自然の実感が根元にあって、

それに社会性や形式、様々の宗教の衣をまとって分岐していったものが
いまに至るまで古来の日本の信仰のかたち。



あちこちでこうした木々に穴をあけて、
薬剤を流しこみ枯らす思いは何だ。
by moriheiku | 2013-08-13 08:00 | 歴史と旅

中世芸能の発生 454 共鳴 融通念仏



つづき


新聞をいくつかざっと読んでいた。
小澤征爾さんのインタビュー記事があった。

小澤さん。
“「みんなで響きをつくる快感を、若い時に一度でも味わっちゃうとね、一生音楽にとりつかれちゃうんです。社会人になってからも、アマチュアのコーラスに熱中してる人、いっぱいいるでしょ。美しいハーモニーのなかに、自分の声がとけこんでいる。そう実感することに、人生の本質のようなものがあると僕は思う」”


子供の頃の音楽の体験も、今の私の一部になってるんだろか。

“美しいハーモニーのなかに、自分の声がとけこんでいる。そう実感することに、人生の本質のようなものがあると”


いつも響きの一部ような、自他の境のない感覚がある。
こういうのは、理性より前にある、人間の感覚の根っこの方にあるものだと思う。


もの人は共振共鳴する。



子供時代の音楽の経験の名残か。
・2009-09-22 海中
・2010-03-17 井出くんの音
・2009-11-06 息を合わせる




念仏の響きが溶け合って和合する。融通念仏の発想も、
そうした感覚が影響していたと考える。

自然との共振共鳴 声の和合 融通念仏 
・2010-08-25 中世芸能の発生 348 神「を」祈る 融通念仏
万葉集では「神“に”祈る」ことを「神“を”祈る」という。

万葉集に神を祈る歌は数多くあるが、
現代の表現のように「神“に”祈る」を書かれたものは一首もない。

後の時代から現代にいたるまでの表現「神“に”祈る」の場合、
神は自分から分離して「対象」になっている。

それより前の「神“を”祈る」は、神と自分が分離していない表現。

自然がひびけば自分もひびく(はやし)。
大昔は、自他の境のない、主客のない感覚があったと思う。

境がないから「対象」とならない。
自然との境のない、個々に相対化しようのないものだ。

自然と人の距離ができ自然を体感することから離れ、
身体感覚より優先するものができいって、
自他は分離していく。

自然と密だった原始的、実感的な信仰の時代を過ぎ、
やがて哲学的、観念的な思想を持つ宗教が誕生し、
風土や身体感覚を超えた精神的な救済へ向かおうとする。


日本の信仰の特徴として、
木も石も全てのものに命が宿っている、とか、
森羅万象全てに仏性がある、という考え方をあげられているのをよく見る。

私はそれは、
一人につき一つ心臓があるような、個別に神仏が宿るイメージでなく、
もともとは自他の境のないイノチの実感からきていたと思う。

念仏が溶け合って和合する融通念仏の発想も、
そんな感覚が影響していたと考える。




・2009-08-30 地続き
地鳴りがするような感じの土地に行けば、自分の身体が響くし。
あたたかい日があたっているのは、
自分の身体があたっているのか、土地があたっているのか、
虫が鳴いているのは、
自分のどこが聞いているのか鳴いているのか、
わからないような感じがすることがある。

つまり人も自然なので、
自然とは地続きなのだ。

自然にかぎりなく埋没する、没入したいということは、
自然と地続きの身体の自然な衝動としてわかる。




共振 共鳴 共感 と信仰の始まり
・2008-06-03 自然と我 06
自然に畏敬の念をおぼえ、
自然のありように、止まずときめくとき、

原始的な感覚が、身体を通じて、意識の底からのぼってきて、
具体的に何を祈るということはないけれども、

自、他の意識をはっきり分かれる前は、

自然や、
後の時代の神仏に祈る時は、
同時に、自分の中の自然を祈っている。

日本の信仰のはじまりに、
そんなところはなかったか。




「美しいハーモニーのなかに、自分の声がとけこんでいる」に似た感覚。
・2011-09-01 中世芸能の発生 411 こもる こもりく 参籠 たたなづく青垣
やまとはくにのまほろばたたなづくあおかきやまこもれるやまとしうるはし
大和は国のまほろば たたなづく青垣 山籠れる 大和しうるはし

幾重にも重なる青々とした山の中で、もう私は無くなって、
青い山や自然の一部になっている感じ。

芸能のテーマともなっていった長い時代の、こもって再生する、
という日本の思想の原点には、

共感、共振、共鳴、(類感)という
すべてのものにあるごく基本的な性質があったと思う。




原始宗教。 人類学者フレイザーは、呪術を共感呪術と考えた。
・2009-12-07 中世芸能の発生 259 類感 感応
人生哲学としての思想体系を持った宗教でない原始宗教の始まりは、
特に身体感覚と密接だったと感じている。

どろどろどんどんと地が鳴るような土地に立つと、
私の身体の細胞も沸き立って地鳴りがするよう。
ぴちぴちしたところに行けば、こちらもぴちぴちする。

身体は、土地に感応し、季節に感応する。

感応は、土地や季節ばかりでない。

音やリズムに同調し心が乗ることもそのひとつだろうし、
極めて日常的な
やわらかい日にあたって心がほどけたり、よい香に気持ちが静まること、
葉の鳴る音に心がざわめいたり、
うるさい音に精神が尖るのも、同じことだろうと思う。

自然物や人工物以外にも、人の発する声やことばの音調にもそれはあって、
例えば意味のない声であっても、
やさしい調子で言えばやさしいことばと同じ、やさしさが伝わり、
楽しい調子で言えば楽しいことばと同じ、楽しさが伝染する。

逆にどんなに丁寧な内容のあることばでも、
ののしる調子で言えば、それはののしることだ。

とまあ身近すぎる感応の例はともかく。

人類学者フレイザーは、呪術を共感呪術と考えた。
その呪術(共感呪術)には、類感呪術と感染呪術があるとした。

あるもの対して与える影響はそれに類似したものにも及ぶ(類感呪術)。
接触があったものは接触がなくなってからもつながりや作用が及ぶ(感染呪術)。


おめでたい場面でおめでたい言葉を言うこと、
逆に不吉な言葉をつつしむこと、
おせち料理に、だじゃれのように、
まめに暮らせるようにと黒豆、などと言われて作る習慣も、
類感のマジックを期待されたものだろう。

近代現代でも、
出征する兵士に渡された千人針の布は、感染呪術と言える。
またテレビで超能力者が行方不明者のスニーカーを手に持って
行方を探すなんていうのも感染呪術の一種で、
呪術の気持ちは現代にも忘れ去られてはいない。




梵鐘の響きと、もの人の共鳴  
・2013-01-10 中世芸能の発生 450 除夜の鐘 清め祓い 大乗の音
かつては、
年の明ける前の大晦日の夜に、
清らかな除夜の鐘の音を隅々まで響かせて、

清らかな梵鐘の響きに自然も土地も(国土草木)人も清まって、
新しい年を迎えようとした。





共振、共鳴、響きから展開した習俗  音や響きの利用と呪術化 (芸能化)
・2010-06-15 中世芸能の発生 324 後戸 後堂 しんとくまる
仏殿の後戸の芸能。
正月の修二会、修正会。呪師のオコナイ。
哲学的、抽象的な思想の芯にある古い習俗は、身体感に基づく。



つづく
by moriheiku | 2013-03-04 08:00 | 歴史と旅

私の遊び



たとえば古代の人々にとって、
古墳に刀をおさめたり古墳の壁に刀を描くことは、
刀に宿るエネルギーをそこへ満たすことで魔を切り払って
死者の死後の旅を守る意味があったと考えられる。

こうした何かにある力にあずかる意識は、
さらに時代を下ると、
神仏のお守りを身に着けることで神仏の霊験に“あやかる”とか厄をよける
という意味にも変化していく。

このように、激しいエネルギー、横溢する生命力で満たすことで
結果として魔、穢れは祓われるという概念と、
もともとのタマフリやケガレ(気枯れ)の観念は同じ根。

古い時代からの、類感の習俗の水流だ。


日本で、
祭祀の道具や古墳の壁画などに描かれた呪術的意味のある画が、
やがて松や鶴など目出度いものを描く吉祥の祝福の障壁画になり、
美しさで心を動かす画になり、
禅者の到達した禅的境地を映す画になり、
現代では画家の心象を描く絵になり、等々、

絵画の変遷と分岐の経緯を感じる。


これら思想・文化の変遷。

私はその根元にあるものと、
それに重なり、影響を受け、混ざりあう思想や文化の変化のさまを、
動く天気図の中に立って見ているように、

実感しようと、

ただそれだけ




私の遊び 実感の遊び
・2009-03-01 草の息
私はずっとそのあそびをしてる。
by moriheiku | 2013-02-15 08:00 | 歴史と旅

街道の市(いち)


今年も街道の市(いち)へ行った。

昔ながらの酒屋さんで、
お料理に使う美味しい新酒の酒粕を、去年の倍買った。

街道に並ぶ屋台の間を通って、髪に屋台のにおいがついた。

植木の出店はにぎわいのおわりのほう。ここは大人ばかり。


一昨年は、みぞれの下に咲いていた、あの清潔な白梅の花は、
まだ丸い蕾だった。






◆ イチ  の 「イ」

・2012-02-13 中世芸能の発生 425 市(イチ)のイ
古代の市(イチ)は、ミチ(道)を通って、
文物や人やさまざまのものの交錯するところで、
イノチやチカラ、つまり活気のあつまるところと考えられた。
古代の人は活気を、一種の力と考えていた。

「イチ」(市)の語を構成する「イ」の一音節は、
元来、
生命力・霊力の横溢する状態を意味。

その「イ」の音のイメージは、
たとえば今も「厳(いつ)」「いかし(厳し)」の語に感じられるように、
たけだけしいほどの
自然の生命力(昔の人にとっては呪力、霊力でもあった力)の横溢。

人々はそういう性質や力をやがて霊威・神威と考えるようになって、
元来の「イ」の性質を表す「イ」という一音節が
様々の神聖なものをあらわす語に用いられていったと考えられる。
(古代における神聖とは、生命力・霊力の強さ
・2010-02-04 中世芸能の発生 268 古代における聖性とは


「イ」を語根とすることば
----------------------------------------------------------
いか・し 【▽厳し】 (大辞林)
(1)霊威が盛んである。神秘的な力に満ちている。
(2)たけだけしい。荒々しい。

いつ 【▽厳/〈稜威〉】 (大辞林)
(1)神聖であること。斎(い)み清められていること。
(2)勢いの激しいこと。威力が強いこと。
----------------------------------------------------------
いつ・いち【厳】 → 「いちはやぶる」 → 枕詞の「ちはやぶる」

例えば厳島(いつくしま)神社のある厳島(いつくしま)は、
「イ」の横溢する島。と、ことばの音から感じられる。
同時に、厳島(いつくしま)という言葉の中に「イ」があるのだという感覚。
・2008-10-03 中世の人の感性


元来、日本の「イノリ」(祈り)とは、
抽象的な神に敬虔な願いを捧げるような新しい祈りでなく、
たけだけしい「イ」を宣(ノ)る強い行為であったこと。
・2010-06-05 中世芸能の発生 320 祈(イノ)リ イ罵(ノ)り

このように古い時代の「イノリ」は、
強い行為によって効果の伝染を期待する身体的実感を元にした行為で。

それは、自分から分離した遠ところにある抽象的な神などの存在に祈るものでなく、
イノリの対象が自分とつながっているという、
自他が分離していない、したがって伝染する、という
身体的実感に基づくものであったことがことばや歌からもわかる。



他、「イ」の性質を含む行為の例  斎(い)む 忌(い)む 祝う 呪(いは)う
・2010-02-06 中世芸能の発生 270 イハフ
・2010-02-07 中世芸能の発生 271 イハフ言葉 イハフ行動
・2010-02-08 中世芸能の発生 272 マツル
・2010-02-09 中世芸能の発生 273 イム




◆ イチ  の 「チ」

・2012-02-14 中世芸能の発生 426 道(ミチ)のチ
・2010-02-11 中世芸能の発生 274 イノチ ユリの花
漢字より前からの古い時代の「チ」の音を含む語、例えば
「ミチ」(道)、「チ」(血)、「チチ」(乳)、「ヲロチ」(大蛇)、「イノチ」(命)、等々は、
「チ」の音のあらわす種類の性質を内蔵するという感覚に基づき
「チ」の一音節を語根としたことば。

イノチ」は「イ」の「チ」であって、
「イ」は生命、「チ」はチカラ(力)。

例えば「イカツチ」(雷)は「イ」変化の「イカ」つ「チ」。
「カグツチ」は「カグ」つ「チ」。
「チ(血)」「チチ(乳)」「ミチ(道)」「ヲロチ(大蛇)」他、
これら名詞は生命力・霊力をしての「チ」の性質を内蔵するという観念に基づく。

また「チカラ(力)」は「チ・カラ」で、「カラ」はウカラ・ヤカラのカラと同じ。

つまり「チカラ」は「チ」そのもの、霊力・霊威の観念を顕す語とみられる。

昔、租稲・租税を「チカラ」と言った。(例:主税寮 ちからのつかさ)
今も秋祭りでその年の初めの収穫を神前に奉ずるが、
それは最も「チ」に満ちていると考えられていた最初の収穫を神(王)へ捧げ、
繁栄を願う(イハフ)行為だった。

「チ」を語根とする動詞の「チハフ」は、「チ」の恩恵的な働きを意味する。
また「チハヤブル」は、「チ」が烈しく活動する意で、
「チ」には、恩恵的な働きと、破壊的な働きとの両面がある。

語源的には、
チは、力そのもの。

静でない動的なありかた、チの性質そのものがチ。



イチの分配。厄除けのおまんじゅうの分配。去年の市。
・2012-02-15 中世芸能の発生 427 厄除けのおまんじゅうの分配
・2012-02-12 中世芸能の発生 424 市(イチ)
by moriheiku | 2013-02-09 08:00 | つれづれ

中世芸能の発生 453 日本の命の概念



つづき

日本の古来の命の考え方は、
大陸から入ってきた命の考え方とは違う。

大陸的な考え方では、命はもっぱら動物、また植物の生命のことを指す。
(今は日本人にもこれに近い考え方だろうか。)

古来の日本の命は、
その生命力、圧倒的な力、横溢するエネルギーのことを、命と感じていた。

したがって、山にも岩にも命がある。
滝も水の流れも、風も、命そのものだ。
光も、音も。何かの中におこる力や性質自体も、

と昔の日本人は思っていた。


ごく古い時代の日本のこうしたイノチの感覚が、やがて、
日本における精霊やタマの概念になり、日本における神の概念になり、
仏教が入ってからは民俗信仰と習合した仏の概念になっていった。
日本の信仰の流れ。

かつて命はエネルギーのようなものに概念されていたので、
古い時代の日本では、命の概念で生物と無生物は分かれない。

したがって日本では、
森羅万象に命があり、森羅万象に神が宿り、岩にも木にも仏がいるとされてきた。
古来の日本の神の概念と、大陸的な神の概念とは違う。


こうした古来の命の感覚の流れから、
日本では、例えば人工物である刀の持つ力・性質を神として祀ることになり、
なにかの中の鎮まらない力、あらぶる力も、神となっていった。

日本の神はたとえば全知全能の神という観念とは異なる。あたりまえだけど・・・。


日本の信仰の行為ないし芸能の行為の根本は、
こうした力に伝染する(=あやかる)ことを期待するもの。
またはその力をなだめ、慰めコントロールしようとするもの。

神威の満ちた祓い串で穢れを祓う行為も、
寺社で神仏にささげるため行われる法楽の芸能なども、
願いをかなえようとする重いとともに複雑化形式化したが、もともとはそれだ。

寺社で買うお守りなどの授与品は、
その横溢する力の及ぶものを受け取ることで
その力が自分に伝染しますように(=あやかりますように)と期待した、
遠い昔からの人々の切実な願いの行為の伝統だ。

お相撲さんにぴちぴちさわるのも、
お相撲さんの晴れ晴れとした強いイの伝染を無意識に期待してのことと思う。



現代の日本人も、大樹のもとでその生命感に圧倒される。
ぴちぴちした新鮮な食べ物を食べると、元気になる気がする。
とどろくイナヅマと閃光に、恐怖したり興奮する。
やわらかい香りに気分は落ち着き、
力士の体のぶつかり合いや超人的なスピードで走る走者心身は湧き立つ。


日本におけるイノチとは何か(何だったか)
自然の中に一歩入ったり、万葉集や古い詞章を少し聞けば、身体でわかる。


こうした古来の命の考え方をベースに置かずに、
日本の神を議論するのは、おかしいと思う。



神の系譜を追っても、けして信仰の本質にはたどりつけない。むしろ離れる。

古い芸能も同じこと。




神について説明もできず、説明もせず、
靖国神社などに勝手な理屈解釈でねじこまれるばかばかしさ。

なぜたったそのくらいのこと政治家さんがたは説明しないのだろう。






万葉集歌にみるイノチ
・2010-02-11 中世芸能の発生 274 イノチ ユリの花
「イノチ」は、「イ」の「チ」でのことで、
「イ」は生命、「チ」はチカラ(力)の意。

「イ」の印象は、たけだけしい厳(いか)しの語でイメージしやすいだろうか。
例えば「イカツチ」(雷)は「イ」変化の「イカ」つ「チ」。
「カグツチ」は「カグ」つ「チ」。
「チ(血)」「チチ(乳)」「ミチ(道)」「ヲロチ(大蛇)」他、
これら名詞は生命力・霊力をしての「チ」の性質を内蔵するという観念に基づく。

また「チカラ(力)」は「チ・カラ」で、「カラ」はウカラ・ヤカラのカラと同じ。
つまり「チカラ」は「チ」そのもの、霊力・霊威の観念を顕す語とみられる。

イノチとは、「イ」の「チ」。強い命の力。




・2013-01-11 君が代 03
日本の古いことほぎの伝統。
そのおまじないのような、切実な祈りの習俗。

ことほぎは、自然に寄せてイノチが盛んで栄えることを祈る。
横溢する自然の命の祝福がイノチに反映するように願われた。

ことほぎの特長は、
周囲と無関係に個人を祈るものではないということ。

つながりあっている森羅万象、国土草木(山川草木)、全てのイノチが、
共に盛んであればこそのもので、
共に盛んで長く栄えることを祈る共栄の思想に基づく。

これは抽象的で体系化された思想ができるより前からの、
自然で素朴、原始的な、身体的な共感の感覚に基づくいている。
こうした類感の感覚が日本文化のベースにある。

という伝統の末にある「君が代」について。




つづく
by moriheiku | 2013-02-08 08:00 | 歴史と旅