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水かき



午前中、雨が降った。

鉄橋から見おろした引き潮の、
河口の水は案外澄んでいた。


冬の間あんなにたくさんいた鴨は、
二月、光が変わると、
今年は梅の花より先に北へ渡っていった。


波に浮かんでいるわずかに残っている鴨の、
水をかくオレンジ色の足が見える。
鉄橋の上からも。





あとしばらくしたら、
上流に降った雨水が土など運んできて水は濁る。
by moriheiku | 2013-02-28 08:00 | つれづれ

目だけでわかること



あっという間に入れ替わる潮汐。
今は満ち潮、この前この河口を通った時は引き潮。

もうしばらくしたら、
上流の山に午前中に降った雨水が土などと一緒に流れてくる。


色んな水が交わるこの河口は栄養豊富で、まだシジミが獲れる。
魚や鳥も来る。様々な命を養っている。







・2013-02-06 日本の命の概念
大陸的な考え方では、命はもっぱら動物、また植物の生命のことを指す。
(今は日本人にもこれに近い考え方だろうか。)

古来の日本の命は、
古い詞章や和歌、古来の風習にみえるように、
その生命力、圧倒的な力、横溢するエネルギーのことを、命と感じていた。

したがって、山にも岩にも命がある。
滝も水の流れも、風も、命そのものだ。
光も、音も。何かの中におこる力や性質自体も、
と昔の日本人は思っていた。


ごく古い時代の日本のこうしたイノチの感覚は、やがて、
日本における精霊やタマの概念になり、日本における神の概念になり、
仏教が入ってからは民俗信仰と習合した仏の概念になっていった。
日本の信仰の流れ。

かつて命はエネルギーのようなものに概念されていたので、
古い時代の日本では、命の概念で生物と無生物は分かれない。
(有情無情に分かれない。)

したがって日本では、
森羅万象に命があり、森羅万象に神が宿り、岩にも木にも仏がいるとされてきた。
古来の日本の神の概念と、大陸的な神の概念とは違う。

こうした古来の命の感覚の流れから、
日本では、例えば人工物である刀も、刀の持つ力・性質を神として祀ることになり、
何かの中の鎮まらない力、あらぶる力も、神となっていった。

日本の神は、たとえば「全知全能の神」という観念とは異なる。
あたりまえだけど・・・。
by moriheiku | 2013-02-27 08:00 | つれづれ

とぐろ




あの山の三角にだけ、とぐろを巻いたようにすっぽり、暗い雲が座っていた。


ここは晴れてるけど

あの山の向こう側は雨かなと思ったら、

山の向こう側の人は、全然降らなかったと言ってた。
by moriheiku | 2013-02-26 08:00 | つれづれ

再生



先日録画した『ニューシネマパラダイス』。
眠る前ほんの少しだけ観ようと再生。

あ、短尺版のほうだった。
長尺のディレクターズカット版のほうが私は好きみたい、
複雑さを超える思いの強さが、ラストシーンの昇華に一気につながるから。

と思いながらも、
何度観ても泣く。


最後まで観た。

電子レンジで温め過ぎた大きいゆたぼんをおなかに入れて、
いつのまにか画面にひきこまれていたら、

熱すぎたゆたぽんの熱で、おなかに赤い血管の網目模様が残った。

トト。
by moriheiku | 2013-02-25 08:00 | つれづれ

ジャイ子



私 「ね、ジャイ子ちゃん(ジャイアンの妹)って、本名ある?」 

○ちゃん 「知らないけどあるんじゃない。なんで?」 


今、チャイコフスキーのこと思い出して、パッと

チャイコフスキー → チャイコ → ジャイ子 って連想したんだけど、

それは言わないでおこう。

・・・な~んてことは私にはできないので、速攻でわけを言った。


ジャイアンの本名は剛田武。

今ネットで見てみたら、
ジャイ子ちゃんの本名は明かされていないそうだ。
ジャイ子ちゃんと同じ名前の女の子がいじめられないようにという
配慮からだという噂。


他、一気にジャイアン一家に詳しくなった本日。
by moriheiku | 2013-02-16 08:00 | つれづれ

私の遊び



たとえば古代の人々にとって、
古墳に刀をおさめたり古墳の壁に刀を描くことは、
刀に宿るエネルギーをそこへ満たすことで魔を切り払って
死者の死後の旅を守る意味があったと考えられる。

こうした何かにある力にあずかる意識は、
さらに時代を下ると、
神仏のお守りを身に着けることで神仏の霊験に“あやかる”とか厄をよける
という意味にも変化していく。

このように、激しいエネルギー、横溢する生命力で満たすことで
結果として魔、穢れは祓われるという概念と、
もともとのタマフリやケガレ(気枯れ)の観念は同じ根。

古い時代からの、類感の習俗の水流だ。


日本で、
祭祀の道具や古墳の壁画などに描かれた呪術的意味のある画が、
やがて松や鶴など目出度いものを描く吉祥の祝福の障壁画になり、
美しさで心を動かす画になり、
禅者の到達した禅的境地を映す画になり、
現代では画家の心象を描く絵になり、等々、

絵画の変遷と分岐の経緯を感じる。


これら思想・文化の変遷。

私はその根元にあるものと、
それに重なり、影響を受け、混ざりあう思想や文化の変化のさまを、
動く天気図の中に立って見ているように、

実感しようと、

ただそれだけ




私の遊び 実感の遊び
・2009-03-01 草の息
私はずっとそのあそびをしてる。
by moriheiku | 2013-02-15 08:00 | 歴史と旅

鳥の家




今年、ぱおの小道のこちら側のコブシのつぼみは、
あまりヒヨドリとメジロに食べられてない。

小道のこちら側のモクレンのつぼみは、
いっぱい食べられちゃったー。

どうしてだろう。

小鳥たちは食べ物に困っていないだろうか。
小鳥たちに住み良いだろうか。
by moriheiku | 2013-02-14 08:00 | つれづれ

ひとつめの梅の花


目は白梅の花を探すのに忙しく、
車内で本を読めない。

電車の中や電車を待つ時間は、私の読書タイムなのに。


昨日は咲いていなかったあの梅の木に、
今日は一度に白い花がいくつも咲いた。

だから、ほとんどどの木も咲いていなくても、
あの木は?あの木は?
と心が探して、
ちっとも本は進まない。





今日から新緑まで、花を追う日々。





・2008/03/23 春の黄の花木 マンサク
まず咲くマンサクは、
早い春から、黄色の糸を束ねたような花が咲く。

少し前まではどこにでも見られた花木だそうだが、
身の周りにさっぱり見ない。
人の手の入る林によく見られたそうで、
人手が入らなくなったためか、伐採が進んだか。

冬から春に移る色のかすれた山に、
黄金色の糸がひらひらとつく枝に、
豊穣のほを見ていた
by moriheiku | 2013-02-13 08:00 | つれづれ

シャコンヌ



私、笛で鳴らない音が出たらいい。

自分で好きと思う音、鳴ってみたい。

いいと思う音が鳴るのは、どういう気持ち?



あと、バッハ ヴァイオリン無伴奏。パルティータの2番、弾きたい。
シャコンヌだけでもいい。
難曲。ボウイングわからない。


それから、バッハのあの曲を。できたらチェンバロで。
音が周りに響くから、ここへはピアノをもって来られない。

電子ピアノを、買おうか。



私が、何かを、したいと思うなんて。
by moriheiku | 2013-02-12 08:00 | 音と笛のまわり

演奏会



私「あのね、コンサート、
  バッハとピアソラとドヴォルジャーとラフマニノフと、
  あとたまにチャイコのヴァイオリンの時だけでもいいよ。」 

○ちゃん「それはムリ」 

私「でね、あのね、マーラーの時は呼ばなくていいよ。」 

○ちゃん「うん、でもムリ」 

私「あとクレーメルは行くの」 

○ちゃん「うん」

私「けっこう王道を言ってみたつもりなんだだけど・・どう?」 

○ちゃん「そうだけどムリ」 

私「うん・・・」 


私「そうよね、作曲家より演奏よね。結局」 

○ちゃん「そうそう」 


○ちゃんはなんでも良く聴けてえらい。
私は好きな演奏の時はうんとひきつけられて、
たとえ好きな曲でも、演奏にひかれなければ、
あとは眠たくなったり、演奏に怒って起きてたりしてる。しょぼーん。
by moriheiku | 2013-02-11 08:00 | 音と笛のまわり