<   2012年 12月 ( 14 )   > この月の画像一覧

サザンカ


空気の冷たさで鼻の中がいたいので、
マスクをして駅の途中の郵便局へ。

裏の道の、緑の息の強いお庭の横を通って、
やっぱりマスクをとってしまった。

このあたりの冬は、ぴかっと晴れている。

目を細める光。

冷えて澄んだ空気に、サザンカの香りが混じる。

これは十一月をとおに過ぎた、
十二月の終りの香りだ。
by moriheiku | 2012-12-28 08:00 | つれづれ

音のように輝いている



少し遠回りして、川の横へ。
橋をふたつ下る。

せせらぐ水面が、キラキラキラキラキラキラキラキラキラ、
音のように輝いている。


浅瀬の洲の、
茎も穂も白くなったススキの群れは、逆光を透かして、
たくさんの、きなりの光の玉のようだ。


振りかえると、緑の山と上流に続いていく川の水。

ここがきれいで、ここが好きで、私はここに住むことに決めたんだ。
by moriheiku | 2012-12-27 08:00 | つれづれ

梅のつぼみ



青い空を見上げる梅のつぼみが、丸く赤みをおびてきた。
by moriheiku | 2012-12-26 08:00 | つれづれ

京都とんぼがえり



予約していませんけど、と訪れたお店は、
もうお昼のお食事のはじまりの時間を大分過ぎていたので、
入ることができた。

中庭の隣の席。

テーブルから見える細めのこの木は
よくイタチが遊びに来るようで、
以前ここから二、三度見かけたことがあったけれど、
この時イタチはこなかった。

デザートは温かい黒蜜のくずきり。

帰りに滋賀で下りて寄り道をしたくなったけど、
もう黄色い光もくすみかけて、
あっという間に日暮れだから、
そのまま帰った。
by moriheiku | 2012-12-25 08:00 | つれづれ

ノイズの間



二台前に使ってたiPod nanoをスピーカーにつないだ。
何の曲どのアルバムを入れていたかな、と思って。

別の部屋に行って掃除機をかけていて、
もう小さく音楽を鳴らしつづけていることも
すっかり忘れていたら、
掃除機のノイズの間からはっとする音が聞こえた。

iPodを鳴らしたままの部屋に行った。


私は、この人の音が好き。

はじめて聞いた時から。

色んな音の合間をぬって、
耳を通って、心に滴が落ちる。

どこにいても、聞きとるよ。

ご高齢で、たぶんもう来日されないけど。
by moriheiku | 2012-12-24 08:00 | 音と笛のまわり

梵鐘の国



礫川全次さんが、
高田保馬の歌と、
同じく高田保馬の大戦末期の金属の供出によって除夜の鐘が聞けなかった話を
紹介されていた。

戦争中は大寺でも鐘の供出はまぬがれず、
近隣の鐘の音の他に、
大晦日の夜の除夜の鐘の放送がなかった時期があったそうだ。

各地の除夜の鐘の音を継いで放送することは、
戦前からあったことを私ははじめて知った。
考えてみたこともなかった。

(現在の『ゆく年くる年』の中に聞く鐘の音のようなものだろうか。)
思えば、それは、
現代より戦前のほうがふさわしかった。



礫川さんがブログ記事で紹介された高田保馬の文によると(※)、

“数年まへまでは大晦日の晩、除夜の鐘の放送があつた。私も其夜には、各地から送らるる放送の鐘の音をきく為に深夜まで本をよんでゐた。年の少い子どもたちを間際になつて起しもした。足許〈アシモト〉の知恩院のかね、百万遍のかね、遠くは上野寛永寺、長野の善光寺、近江の三井寺、越前の永平寺など方々の鐘の限りもない音色が次々に伝へられて来るのを、緊張弛緩の感情の波をうねらせながらにきいてゐた。”


“仏教の信念がどれだけ実生活を支配してゐるか、それにはいろいろの見方もあるであらう。けれどもかつてのその隆昌の形は今もなほ、此鐘の音に残つてゐると思つた。しかしふりかへつて見ると、日本の全国が一面からいふと鐘の国であり、仏教の国である。”


戦争が終わって70年近くたった。

今、戦争による鐘の供出がなくても、
人々から鐘の音は遠くなった。

仏教からも、
天(あめ)の下、国土と人々の隅々まで満たす除夜の祈りからも、
静かに鐘の音を聞く敬虔な心持ちからも、
遠くなったんだろう。


何事もなければ数百年はほとんど変わらない音を鳴らす鐘。
戦争と、人の心の変化と、どちらが鐘の音を消すのかなと思った。


(※)1/31 どなたの引用かわかりずらかったかと思い少し追記いたしました。




・2012-12-20 梵鐘の音 除夜の鐘
代々寺院の梵鐘を作ってこられた鋳物師の方が、
つく鐘の「ごーーー~~~~~んーー…」の音は、
仏の御恩(ごおん)の音を連想されるような音にとおっしゃっていた。

古典を見ると、梵鐘の音は、
清らかさの極まる音として日本人の耳に響いてきたようだ。




梵鐘の響きと無私
・2013-01-10 中世芸能の発生 450 除夜の鐘 清め祓い 大乗の音
かつては、
年の明ける前の大晦日の夜に、
清らかな除夜の鐘の音を隅々まで響かせて、

自然も土地も(国土草木)人も清まって、
新しい年を迎えようとしたこと。

それは古来の習俗からやがて神道につながった祓い清めの意識であり、

仏の御恩を国土に満たそうとした日本の仏教の、
大乗の意識でもあり。

しかし現代では、祈りはごく個人的なことがほとんどで。

他者や自然を祈ることは、個人を祈ることと同じことだと思うのだけれども。

どこへいってしまったんだろう。

除夜の鐘の音に、かつてあった、大乗の意識を聞いていた。




・2012-12-19 中世芸能の発生 449 類感とダジャレと伝統文化
梵鐘の音に聞く、日本人の類感的思考。
by moriheiku | 2012-12-23 08:00 | 音と笛のまわり

幼稚園史



ぱお(実家)に寄った。
母が子供の頃通っていた幼稚園の幼稚園史がテーブルの上にあった。
「結構面白い」(by母)とのことで私も見てみた。

昭和の終りに近い頃までが一冊の本にまとめられている。
日本では幼稚園は明治時代からあったそうだ。
幼稚園史には、年毎の集合写真と、園児と先生方の名前、
それからイベントやコメントなどその年書かれたものの抜粋が
少しづつ掲載されている。

私は昔の子供というと、
女の子はおかっぱか三つ編み、
男の子は坊主頭のようなイメージがあった。

けれどそのイメージは間違ってた。

戦前の子供たちは、
男の子も女の子も様々の髪型をしていた。
分け目もさまざま、髪のまとめ方もさまざま。

服装もきれいで、例えば大正時代の制服(園服)?のエプロン?の下には、
美しい柄の着物や洋服を着ていた。
男の子も女の子もエプロンにはきれいなリボンが縫いとめられていた。


古い時代から新しい時代へ、ページを追っていった。

年毎の幼稚園の発行物から抜粋したイベントやコメントが面白い。
ある年のコメント、
「お約束。帰り道に桃を買って帰る人がいます。買って帰らないようにしましょう。」
という内容の寄り道注意のコメントが、当時のことばづかいで書かれている。
園児が寄り道?!園児が桃を買って帰る!って。桃って!
と楽しい。

「大相撲の巡業を見に行って、欠席多数」のことが度々書かれてる。
みんなそんなにお相撲を見に行ったのね!幼稚園を欠席して!
当時人気の力士の名前も見える。お相撲って大人気だったのねー。

おっとりした風情の、
かわいらしい子供時代だ。

しかし戦争が近づくと、
コメントの記述に、教科書に出てきたような事件の名が多く混ざってくる。

やわらかくあたたかだった子供たちの服装は、
ほんの数年で、みるみる地味になり、
女の子の髪型はおかっぱ、男の子たちは坊主頭になった。

足を包んでいたブーツやきれいな草履にかわって、
下駄のような履物が増えた。

白いスーツに蝶タイ、ハット姿の先生も消えた。

写真全体から香り立つ、やわらかく暖かな雰囲気はなくなってしまった。

これはほんとに戦争前の子供たちと年頃の子供たちだろうか。
子供たちの顔もきびしい。

背景の庭の木々もやせている。


水のような染み変色のある集合写真がある。
戦争で焼けずに残った集合写真。なんとか探したそうだ。
集合写真が見つからないままの年もあった。

また、集合写真の中に、
名前の欄が空欄の、名前のわからなくなった子供たちがいる。
子供たちの名前は、生き残った人たちの記憶をたどったそうだけど。


戦争が終わると、どんどん現代に近づいた。
現代の私たちにとっても違和感のない幼稚園児の姿。
高度成長の時代を過ぎて、豊かな時代に入る。


あの戦前の、写真からただようわらかいあたたかみのある子供たちは、
戦後はいなくなった。

豊かな時代になったはずなのにどうしてだろう。

昔は軍需景気などあっただろうか。
年を召された方々が、大正は一番良い時代だった、とおっしゃるのを
何度か聞いたことがある。

幼稚園史の中の戦前の子供たちを見て、
それはこのことなのね、と思った。


園児たちの集合写真と名前が載っている本。

かわいらしく、かわいらしく、また重い、時代の推移が見える。






母方の人々  いざ鎌倉江戸   忠義と消防  桜の文化
・2013-08-20 消防車 忠義 桜


母方の人々  牛を連れて帰る
・2013-08-21 牛と退職金 幕藩体制の終了
by moriheiku | 2012-12-22 08:00 | 歴史と旅

離合集散



以前SさんとIさんが「会社の会議があるから」とお休みされた時
私ははじめてSさんとIさんがこの会社の人でないと知った。
プログラマー専門の会社からいらして、
ここで長く開発の仕事に就かれている専門分野の方たちだった。
その日の会議とはプログラマーの専門会社の会議のことだった。

ZさんとMさんは地図会社ゼ○○ンさんから。
ゼ○○ン本社支社とこちらを行ったり来たり。
こちらに来ている期間はホテル住まいをされている。

秘書さんお2人は派遣されてきている方。
部長のOさんと係長のUさんはこの会社の人。
プログラマーの中のお一人Hさんは、
この社員と思っていたら派遣の方だった。
SさんとIさんとは別会社の。

この会社自体、社内研究部の一部門を法人化した会社で、
ある会社の部のひとつであると同時に、別の会社でもある。

ITS(高度道路交通システム VICS)の開発の時は、
国や官、省の人たちと係わり、
民間の仕事では民間会社の方々がいらっしゃる。

システムが組み立てられ膨大なデータの入力が必要な段階になると、
専門の派遣会社さんから数十名単位で人が派遣され、
ベースとなるシステムに一気に
(と言っても少なくとも数か月はかかる)に具体的なデータが加えられ、
システムが具体的な顔を持つ。

このデータ入力の段階になると
社内(部内)の人口密度は一気にふくれ上がる。
同時に、その時の内容に適した構成で
それぞれ用いるコンピュータがだーっと組まれて、
コンピュータ密度も急上昇。

その時期が過ぎれば組まれたコンピュータはばらされ、
波がひいて静かな海に戻るように、人の数もひいていく。



SさんとIさんは素敵な方々で、
身なりも華美ではないけれど洗練されたところがある。

Iさんは4人もお子さんがいらっしゃるそうで、海がお好きで、
休みの日にはご家族で船に乗っている。
落ち着いた真面目な雰囲気。
iPS細胞の山中教授にほんの少し体育会のにおいを加えた感じ。

Sさんは明るくIさんより一見調子よさそうに見える。
が少しお話するだけで頭の切れがシャープなことが感じられ、
明るさとお人柄のあたたかさに華が加わる。

SさんとIさんはどこか似た雰囲気を持っていらっしゃると思ってた。
お二人のマシンが隣り合っていることや、同世代だからかなと思ってた。
けどそうじゃなくお二人は、同じ会社所属だから似ていたのだった。

生粋のこの会社の方々は、もう少し地味というかラフというか。
ゼ○○ンさんは、また違う匂い。

色々なところからやってきた異なる経歴や環境の人々が、
同じ場所でひとつの仕事をする。

こういうのはほんとにおもしろい。
わざわざ観察しているのではないけれど、
同じプロジェクトに参加している人々でも、
各々のベースによって、こんなに雰囲気が違う。
いろんなお話、聞ける。知らないこと、興味深いことばかりだ。



長くしていたお稽古事では、
各地から幅広い世代の方々がいらっしゃっていた。

私は近い同世代の多い時間に行っていたけれども、
それでもあの方は東京、あの方は大阪、あの人は名古屋のほう、って、
見た目でもわかった。

東京からいらしているある女性がすてきで、
関西(当時住んでいた)とは違う、東京の人ってすてきと思っていた。

ということは、私は、子供の頃東京に住んでいたことがあるけど、
東京とはもう遠い人ということなのだった。




カーナビの仕事をしていた時、
民間企業と国と、両方と仕事をしていた。

民間企業の仕事の対応の速さに対して、国の仕事は何もかもがとても遅かった。
しかしそれは、まるで見上げても上が見えないほどの巨大な重量のタンカーのようで、
一度進んだら小さな力では止まらない。

国との仕事は先の見えないような印象もしたが、
そうして長い時間かけてITS(高度交通システム)やVICSができたわけで、
国や自治体の仕事は決して止まらないという思いを重量感とともに持った。






カーナビの仕事から
・2011-03-29 自然と人 わざわいもなぐさめも
・2009-10-24 中世芸能の発生 229 地図
・2006-12-07 『もし右や左がなかったら』

地図で見ると人の居住と生活のベースとなる条件は、
ほとんど自然と地形に依存している。

現代の私達が住む場所を選ぶ時、
交通の買い物の利便性や、福祉教育の充実などを重視する。

ただそもそも、その希望が適う市町村は、
多くが自然発生に似て、自然条件の許すところにできている。

大きな街も、広域を俯瞰で見れば、
自然や地形の適するわずかな場所に吹きだまりのようにできている。
ひとつに道は水に沿い、山に沿い、地形に沿って地表をめぐっている。

現代の日常生活では見えずらいが、
人の生活や文化はベースの部分で、大いに自然に依存している。

一方、古来の地図とは別の、現代の地図であるコンピュータ上のデータの地図。

一方通行の時間帯等の入ったデータ状の地図に見えるものは、その街の設計。
データの地図には、
街をどのように守り、どのように人や物を行き交せ、街をどのように発展させていくか、
具体的な視点がみえる。
自然の上にのせた人の意思だ。

データの地図に、
それまで意識していなかった街や国を設計する意識の片鱗に
触れている気がした。
by moriheiku | 2012-12-21 08:00 | つれづれ

梵鐘の音 除夜の鐘



梵鐘を作る方のお話を聞いていた。

お住まいは滋賀の鋳物が盛んだったかつての村で、
中世以来梵鐘を作る仕事が続いているそうだ。

梵鐘(お寺で鐘楼に釣り下げられて撞木でついて鳴らす釣鐘)の梵は、
文字通り梵語の梵で、意味は辞書の通り。


古典を見ると、梵鐘の音は、
清らかさの極まる音として日本人の耳に響いてきたようだ。

なんとなく『徒然草』の「およそ鐘の音は黄鐘調なるべし」を思い出し、
べしって…、無常の音、祇園精舎の音って黄鐘調?妙心寺の鐘が、
なんて思ったりするけれど。

鋳物師の方が、
つく鐘の「ごーーー~~~~~んーー…」の音は、
仏の御恩(ごおん)の音を連想されるような音にとおっしゃっていた。


お寺の鐘の音を身近に聞かなくなった現代では、
梵鐘の音は年に一度、
テレビで聞く百八つの除夜の鐘の音ということも珍しくない。

薬師寺のご住職が
戦争で南方に出征して亡くなられた方々のお弔いに、
小さな梵鐘を持って行って現地で鳴らし、
亡くなられた方々の魂をなぐさめる旅をされたお話など聞いた。

今鋳物師の方は、先の震災で失われた梵鐘を作っていらっしゃるそうだ。
震災がなければこれまで通りあと数百年も変わらぬ音を鳴らしただろう梵鐘は、
流されたり火事の高温で溶けたりして失われた。

復興もまだまだ進まない中で、
人々が、亡くなった方々の魂をなぐさめる清らかな梵鐘の音を求められたことに、
胸を打たれる。

また鋳物師の方のどの梵鐘も心を込めて作っていらっしゃることが、
貴い。

菩薩行。 手が合わさる。





お寺の鐘の「ごー~~ん」という音を仏の「御恩(ごおん)」の音と
聞かれてきたことは、

例えばおせち料理で、
料理や材料の名に似た意味を重ねて幸いを願うように、
似たものに似た意味を重ねていくという
昔からの、ごく日本的な発想(類感的思考)の典型。


こうしたものの中には、そこまで欲深くなくても、というものもあったり、
時には浅はかだったり、駄洒落に聞こえるものもあるけれども、

その底の方にはいずれも、
人々の切実な願いがあって、

いいあらわすことばを私は持たないけれども、
その切実な願いを、
いとおしいような、美しいもののように思う。





ふくらすずめ
・2009-10-28 中世芸能の発生 233 ふくらすずめ
おせち料理の豆が「まめに暮らせるように」、
たつくりは田作り、昆布はよろこぶ、栗が勝ち栗などと言われて、
おせち料理のいわれは今ではまるでだじゃれのように思う。
けどそれは、昔の人の、
恵みと感謝の奉げもので、
それらの力の伝染を願うマジカルなことへの期待だったのでしょう。

似た言葉、似た意味を重ねることで、
そうなりますように、っていう祈り。予祝のような。

この可愛いふくらすずめの鈴も、
鈴とすずめ、ふくらと福来、米のあるところに雀などの
いくつものおめでたい意味とイメージを重ねて
幸福が願われてきたんだろう。

昔の人たちがそうした行為をやめずにずっとしてきたことの、
絶えない動機、
ことばにならない切実さが心を打つ。







梵鐘 釣鐘 お寺の鐘
・2012-12-23 梵鐘の国
“仏教の信念がどれだけ実生活を支配してゐるか、それにはいろいろの見方もあるであらう。けれどもかつてのその隆昌の形は今もなほ、此鐘の音に残つてゐると思つた。しかしふりかへつて見ると、日本の全国が一面からいふと鐘の国であり、仏教の国である。”




梵鐘の響きと無私
・2013-01-10 中世芸能の発生 450 除夜の鐘 清め祓い 大乗の音
かつては、
年の明ける前の大晦日の夜に、
清らかな除夜の鐘の音を隅々まで響かせて、

自然も土地も(国土草木)人も清まって、
新しい年を迎えようとしたこと。

それは古来の習俗からやがて神道につながった祓い清めの意識であり、

仏の御恩を国土に満たそうとした日本の仏教の、
大乗の意識でもあり。

しかし現代では、祈りはごく個人的なことがほとんどで。

他者や自然を祈ることは、個人を祈ることと同じことだと思うのだけれども。

どこへいってしまったんだろう。

除夜の鐘の音に、かつてあった、大乗の意識を聞いていた。




・2012-12-19 中世芸能の発生 449 類感とダジャレと伝統文化
梵鐘の音に聞く、日本人の類感的思考。







横溝正史の金田一耕介シリーズの『獄門島』。
瀬戸内のある島(獄門島)に、戦争中供出した釣鐘が戻ってくるシーンがあったっけ。
正装した長老たちが鐘を出迎えに港に出ていた。
「よくつぶされずにかえった」とかなんとか。
この小説も今となっては昭和の鐘のありかたの記憶のひとつか。

ついでに。横溝正史 金田一耕介のシリーズ 『八つ墓村』に見る昭和の民俗。
・2012-08-02 中世芸能の発生 441 八つ墓村 フォーク 伝統芸能
『八つ墓村』に妙蓮という人物が出てくる。
村人からは濃茶の尼(こいちゃのあま)の通称で呼ばれている。
(同じ尼と付いてもお寺の梅幸尼さんじゃないほう。)

妙蓮、濃茶の尼という名前。南無妙法蓮華経、尼。
仏教的な名でも、装束は巫女姿であることは、
ずいぶん古い時代からの信仰の習合の系譜そのまま。
by moriheiku | 2012-12-20 08:00 | 音と笛のまわり

中世芸能の発生 449 類感とダジャレと伝統文化



つづき

お寺の鐘の「ごー~~ん」という音を
仏の「御恩(ごおん)」の音と聞くように、
日本人は、似た音のものには似た性質が宿る、と思ってきた。

数字の四(よん、し)と死(し)を重なるもの捉えたり、
地名の北(きた)を喜多(きた)と換えて意味を幸いに置き換えたり、
トンカツ食べて勝つぞ、とか、めでたいの鯛、だとか。

似た語に似た語を重ねていく。
似た性質のものに似た性質のものを重ねていく。
類似したものに類似したものを重ねるのは言葉に限らない。

※類似したものを重ねていった例
・2009-10-28 中世芸能の発生 233 ふくらすずめ
・2010-05-05 中世芸能の発生 304 仏塔 心柱 刹柱


前からのものを消し去ってしまわず、
似た意味をひたすら重ね習合していく日本人の思考の性質。

このことは単にダジャレ的あそびにとどまるものじゃなく、
その心情には、続いてきた類感的思考と類感的感覚があり、
その感覚を現代の日本人も持っている。


日本人が、似た音のものには似た性質が宿る、と感じてきたことは、
とても根深い。

これをことばに見てみるなら、

漢字を用いるより前からある古い日本のことばは、
まず「性質を表す一音節」があり、
それを語根として
名詞、動詞、形容詞などに展開していったものがある。
語根となった一音節は固有名詞ではない。

例えば「ヨ」という一音節と、「ヨ」を語根として展開したことば。
世 代 夜 黄泉(よみ) 常世(とこよ) 詠む(よむ) 寿詞(よごと) 暦(こよみ) 他・・
・2010-02-12 中世芸能の発生 293 ヨ
並べると一層わかりやすく感じられると思うが。
性質の一音節「ヨ」の音を含む語から、
「ヨ」とは、単に時間や時代のことでなく、
くりかえす命のイメージのものであることがわかる。

例えば「チ」という一音節と、「チ」を語根として展開したことばでは、
・2010-02-11  中世芸能の発生 274 イノチ ユリの花
「イノチ」はもとは「イ」の「チ」であって、
「イ」は生命、「チ」はチカラ(力)の意。

「イカツチ」(雷)は、
「イ」変化の「イカ(いかめしい、や、いかついなどに変化)」つ「チ」。
「カグツチ」は「カグ」つ「チ」。

「チ(血)」「チチ(乳)」「ミチ(道)」「ヲロチ(大蛇)」等々
「チ」の音を語根としてできたことば。
共通する「チ」という性質を内蔵する。

また「チカラ(力)」は「チ・カラ」で、「カラ」はウカラ・ヤカラのカラと同じ。
つまり「チカラ」は「チ」そのもの。
「チ」性質は「チ」という一音節の音からだけでなく、
展開したことばの群れの共通性からも理解できる。

昔、租稲・租税を「チカラ」と言ったことにも(例:主税寮 ちからのつかさ)
「チ」の性質がよくあらわれている。


例えば「ホ」という一音節と、「ホ」を語根として展開したことば。
「穂」「ほぐ(祝ぐ)」「ほめる(褒める、誉める)」、
「ほれる(惚れる)」ということばは「ホ」の性質と印象がよく理解できる。
・2008-08-13 「ほ」を見る。
稲の「穂」は、「ほ」の出現であり、
豊かにみのった「ほ」の結果だ。

等々。(参考:土橋寛、折口信夫)


上記のようにことばについては、、
似た音のものは似た性質を内包する(その性質そのものが宿る)という感触は、
日本語を使う日本人にとってまったく根拠のないことではない。
類感の感覚は生きている。



日本の芸能の始まりの根っこ近くに、
予祝や命を活気づけるたまふり、ことほぎをがある。

「君が代」もその末のものだが、
自然の盛んなものめでたいものに重ねて命を祝福しする行為は、
かつての祈り(呪術)であり芸能だった。

(ここで言う祝福は、
 祝福芸の祝福と同じもの(よごと、家褒め、等)。
 自然の生命力の強いもの立派なものに寄せて
 命を祝福する(ほぐ、ことほぐ)行為。
 あるものに在る強い性質を伝染させて、
 命を活発化させようとする行為。
 祝福して命が活気づく、結果魔ははらわれる、という意識だ。

 それが精霊や神や魂の概念ができて後は、
 精霊や神や魂をほめて喜ばせその霊威を活発化させることで、
 その霊威を受ける、という考え方に変化していった。

 ※精霊や神や魂をいじめて暴れさせて活発化させるのもあり。)



盛んに葉を広げる瑞々しい草花を身近につけたり、
お目出度いことばを使うことで、
それらにある盛んさ目出度さは伝染して、命は活気づくのだと思われていた。



今、力士の四股名でキラキラネーム?っぽいのもあるけれど。
お相撲取りの四股名に
立派な山(富士とか)や雷とか竜とか海とか付けられてきたのは、
やはり名前の中に宿っている山や雷の強い性質が、
力士に映る(伝染する、宿る)ことを願われてのこと。

現代はうんと考えた名前を子供につける。
はじめに生まれた子から一郎、次郎、三郎、最後の子にしたいから末男、
ってことはあまりない。

工夫した子供の名前は、名前に願いを盛り込んでいるからで、
当たり前かもしれないけど、
名前が子供に影響すると信じられているからそういう行為をする。

たまに盛りに盛った名前と現代の名づけ事情を見ると、
むしろ類感的感覚が、偏って肥大しているようにも見える。



ともかく、現代の日常のはしばしに
類感的感覚が残っているのを見ると、
根深いなーと思う。



日本の伝統的な芸能のごくはじまりのほうに、
命を祝福する祝福芸がある。

祝福の芸能の系譜は、類感の感覚に基づいて、
様々の思想や文化を習合し展開していったもので、

日常の中にひらひらと顕れるダジャレのようなことばと意味の重なりを、
ずっと変わらない私たちの類感の一片として、興味深く思う。




類感とは
・2009-12-07 中世芸能の発生 259 類感 感応
・2010-05-15 中世芸能の発生 310 くすり 呪術




日本人が似た意味、似た性質のものを、
願いとともにひたすら重ねてきたこと。

おせち料理 ふくらすずめ
・2009-10-28 中世芸能の発生 233 ふくらすずめ
おせち料理の豆が「まめに暮らせるように」、
たつくりは田作り、昆布はよろこぶ、栗が勝ち栗などと言われて、
おせち料理のいわれは今ではまるでだじゃれのように思う。
けどそれは、昔の人の、
恵みと感謝の奉げもので、
それらの力の伝染を願うマジカルなことへの期待だったのでしょう。

似た言葉、似た意味を重ねることで、
そうなりますように、っていう祈り。予祝のような。

この可愛いふくらすずめの鈴も、
鈴とすずめ、ふくらと福来、米のあるところに雀などの
いくつものおめでたい意味とイメージを重ねて
幸福が願われてきたんだろう。

昔の人たちがそうした行為をやめずにずっとしてきたことの、
絶えない動機、
ことばにならない切実さが心を打つ。




類感から宮中儀礼への展開

菜摘み
・2012-11-27 中世芸能の発生 448 花の思想 いけばな
春に力のこもったみずみずしい草を摘むという、
万葉の時代よりもっと古い時代からの命の願いに満ちたこの素朴な習俗も、
他の諸々と同じように、大陸の春に薬草を摘む行事の意味などを重ね、習合しつつ、
宮廷の儀式にも整えられていった。

左近の桜・右近の橘  正月の鏡餅の上に載せるダイダイ(橙)
・2011-02-20 中世芸能の発生 381 時じくの香の木の実 橘 菓子

お花見 国見、山見、鳥を見ること の習俗  
・2011-02-24 中世芸能の発生 382 ビターオレンジ ダイダイ(橙)




祭りにおける類感の習俗

相撲の四股(しこ)
・2009-05-13 中世芸能の発生 131 だだ 足踏み
お相撲は塩まいて、紙垂を垂らして、弓取って、
あの力足(四股)は、
命をゆさぶり活気づけるたまふりと、鎮める鎮魂の足踏み、

東大寺 修二会 だだ 呪師走り
・2010-06-15 中世芸能の発生 324 後戸 後堂 しんとくまる
祭礼で大きな音や乱声でイノチ(霊威)を活発化させる。
また芸能で喜ばせて霊威を活発化させる。
霊威が活発化した結果として、魔もはらわれる。=ご利益がある。



似た性質のものを重ねていったもの。
・2010-05-05 中世芸能の発生 304 仏塔 心柱 刹柱
・2011-09-25 中世芸能の発生 414 笠の民俗  傘 衣笠

・2010-02-14  中世芸能の発生 281 青幡(あをはた) 旗 幡 ハタ
ハタの華麗なものとしては、東大寺の開眼会のような、
仏教の幡(ばん)のひろめくさまを空想する。

あれは大陸のものではあるけれども、
昔の人々は、必ず、
古いハタのひらめくさまを重ねて感じていたものと思う。

時代が下り、賀茂祭、射礼のあれに、染(し)め木綿(ゆふ)、
五色の垂(しで)を垂らしたこと、

今も葬列の先頭の、髭を長く残した花籠や、
竿に細長い白布を長く垂らすのも似ている。

遠い昔のハタのイメージは、
例えば、鯉のぼりの一番上の吹き流しに、わりによく残っているだろうか。

ひらひらとひるがえる幡に私たちの心身はゆさぶられる。





土橋寛(著)『日本語に探る古代信仰』
・2010-07-07 中世芸能の発生 335 固有名詞にならないもの
「ヒ」「チ」「ニ」
「ヒ」「ヒレ」「ヒロメク」「火」「檜」「ヒラヒラ」「タマシヒ」

昔、タマシヒ(魂)は、そのものにある性質、天分や才能のことを言った。
学問や知識の才とはちがう。

タマシヒ(たましい)は「タマ」し「ヒ」、つまり「タマ」の「ヒ」で、
はっと注意をひくような「ヒ」の性質を含む。

はっと注意をひくような感覚を生むもの、
はっと注意をひくような感覚の、一音節の「ヒ」は、

単独で用いられることはなく、
語根となって、多くの名詞や動詞を形成している。

「チ」「二」「ヒ」等一音節の語は、固有の物を意味しない。

それは性質、つまり昔の人が感じたところの霊質や、霊力や呪力のことで、
それら一音節は、なんというか、動的な感覚のものだ。

血(ち)とか丹(に)とか火(ひ)とか、
道(みち)とか命(いのち)やにふやにふぶやそういう語は
基本的な「チ」「二」「ヒ」等一音節の示す性質(霊質)の
あらわれている固有物や動きのあるもので、
それらの性質(霊質)があるから、
「チ」「二」「ヒ」の音を含んだ名で呼ばれたと思う。



峠(とうげ) 手向け(たむけ) たわむ たわ越え(たわごえ) 
・2012-09-11 中世芸能の発生 445 峠(とうげ) 手向け(たむけ) たわむ たわ越え(たわごえ) 性質語から名詞他へ
キ(木) 毛(ケ) キ・ケ(気)





車のナンバー 縁起かつぎ
・2008-10-19 ナンバー 今日の会話
あの車のナンバー、しわしわ 48-48 だって。
しわしわはちょっとね。
よろよろ 46-46 もどうかな。
しなしな 47-47 もいやね。
もちもち ならいいかな。
でも数字がないね。
むちむち 61-61 (むいちむいち)ならあるよ。
むちむちは、、 ちょっとやかなあ。





花。

万葉集の時代 花を贈ること。大伴家持。
・2010-02-11  中世芸能の発生 274 イノチ ユリの花
咲く花に重ねて命を祝う行為。
酒は薬。


いけばな 昔の人が花にみていたもの。
・2012-03-17 中世芸能の発生 431 春の野
万葉人が、
うつくしいとは、色や形の面白さでなく
それぞれの姿の中に見出される生きようとしているそのエネルギーを
うつくしいと捉えていたこと。

日本人は自然に命を寄せ重ねてきた。
観念を重ねたのでなく具体的な、身体の、実感の重なり。
池坊さんは、植物にふれることで、
古い時代の日本人の感触を共有されてきたかたなのだろうと思った。




草木に寄せて祈る
・2010-02-14 中世芸能の発生 295 奄美のユミグトゥ(ヨミゴト)




寿詞 よごと。
新しい年のはじめの、新春の今日を降りしきる雪のように、
新(あらた)しき年の始(はじめ)の初春の今日降る雪のいや重(し)け吉事(よごと)
・2009-12-12 中世芸能の発生 264 いや重(し)け吉事(よごと)
この歌は、
家持がそれまでに詠んだ初春の寿歌よりもっと。余計のない、
直接的な、祈りに満ちた
ことばの発動であったと思う。

好きだ。大伴家持。




ほぐ 祝ぐ 寿ぐ
・2008-08-13 「ほ」を見る。

・2012-02-16 中世芸能の発生 428 「ホ」 穂(ほ) 寿(ほ)ぐ 誉(ほ)む 言祝ぎ(ことほぎ)
“ある注意を惹く様な事が起つたとする。
 古人は、此を神の「ほ」として、其暗示を知らうとした。”
(折口信夫 国文学の発生 第二稿)

冬の明けきらない頃、枝ばかりの木々の先に咲く花に「ほ」を見る。
それを幸いのしるしのように感じ、あらわれた「ほ」に、先の幸いを重ねる。
生物として、季節の予兆を身体に感じていると思う。
春のはじまりに、いくつもいくつも「ほ」を見つける。

ことほぎ、言葉で「ほぐ」。よごと。
近年まであった正月の門付けの家褒めなども、
現実にそのようになるよう、ことばとからだでする予祝。
ものごとがそうなるように願って、ほめる。

「ほ」ということばの音の中に、期待がある。

稲の「穂」は、
「ほ」の出現であり、
豊かにみのった「ほ」の結果だ。





芸能の始まり。中世における芸能の始まりの認識。
アメノウズメノミコトと命を再生させる類感的習俗。
・2011-06-19 中世芸能の発生 400 遊び 神楽
・2009-12-09 中世芸能の発生 261 たまふり たましづめ 鎮魂




・2011-10-04 中世芸能の発生 418 意味の変遷
長い時代いつもありつづけた物は、
時代によってそれの持つ意味が変わる。

ある時代におけるその物の意味が、
その時代を生きる人にとっての真実だと思う。

けど、その物のありようを見るとき、
その物のもともとの性質が、
時代時代のその物の意味を生んでいるように見える。






・2012-12-20 梵鐘の音 除夜の鐘
代々寺院の梵鐘を作ってこられた鋳物師の方が、
つく鐘の「ごーーー~~~~~んーー…」の音は、
仏の御恩(ごおん)の音を連想されるような音にとおっしゃっていた。

古典を見ると、梵鐘の音は、
清らかさの極まる音として日本人の耳に響いてきたようだ。






・2012-12-19 中世芸能の発生 449 類感とダジャレと伝統文化
梵鐘の音に聞く、日本人の類感的思考。


梵鐘 釣鐘 お寺の鐘
・2012-12-23 梵鐘の国
“仏教の信念がどれだけ実生活を支配してゐるか、それにはいろいろの見方もあるであらう。けれどもかつてのその隆昌の形は今もなほ、此鐘の音に残つてゐると思つた。しかしふりかへつて見ると、日本の全国が一面からいふと鐘の国であり、仏教の国である。”


・2012-12-20 梵鐘の音 除夜の鐘
代々寺院の梵鐘を作ってこられた鋳物師の方が、
つく鐘の「ごーーー~~~~~んーー…」の音は、
仏の御恩(ごおん)の音を連想されるような音にとおっしゃっていた。

古典を見ると、梵鐘の音は、
清らかさの極まる音として日本人の耳に響いてきたようだ。



梵鐘の響きと無私
・2013-01-10 中世芸能の発生 450 除夜の鐘 清め祓い 大乗の音
かつては、
年の明ける前の大晦日の夜に、
清らかな除夜の鐘の音を隅々まで響かせて、

自然も土地も(国土草木)人も清まって、
新しい年を迎えようとしたこと。

それは古来の習俗からやがて神道につながった祓い清めの意識であり、

仏の御恩を国土に満たそうとした日本の仏教の、
大乗の意識でもあり。

しかし現代では、祈りはごく個人的なことがほとんどで。

他者や自然を祈ることは、個人を祈ることと同じことだと思うのだけれども。

どこへいってしまったんだろう。

除夜の鐘の音に、かつてあった、大乗の意識を聞いていた。




横溝正史の金田一耕介シリーズの『獄門島』の冒頭、
島(獄門島)に、戦争中供出した釣鐘が戻ってくるシーンがあったっけ。
正装した長老たちが港に鐘を出迎えに出ていた。
「よくつぶされずにかえった」とかなんとか。

で、むざんやな 甲(かぶと)の下の きりぎりす (芭蕉)、の歌のように、
釣鐘の下で三姉妹の何番目かが・・・。

このシーン。昭和の鐘のありかたの記憶。



つづく
by moriheiku | 2012-12-19 08:00 | 歴史と旅