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祭礼



祭礼の朝は、お社の扉も開け放たれ、すがすがしい。
by moriheiku | 2011-07-31 08:00 | つれづれ

法被



朝、祭礼の山車(だし)を曳く列の中に紛れ込んでしまった。

お祭りの装束の人たちが山車を納めた倉庫を開け、
山車を所定の場所まで曳いているところに入っちゃった。

Y字路のあちらから山車の列が来て、Y字路のこちらから私が来て、
ちょうど合流してから一本道を抜けられない。

早く離れなきゃ、けど祭礼による車両通行止め区間はもう少し先で、
山車を曳く長い列のぎりぎりを通って車が行き来する度に
列の幅を寄せてなんとか通す状態で、列の中から出られない。


沿道にはもう写真を撮ろうとされている人たちがいらして、申し訳なくはずかしい。

掛け声に合わせ力強く山車を曳く装束の人たちの中に、
こんな普通の服装の者がまぎれてしまって。すみませーーーーん。

あと200メートルくらいしたらあの路地に入れる。
そこから私は駅へ大急ぎよ。
そこまでできるだけ目立たぬよう、後ろに後ろに。



山車を曳く人たちはすっかり揃いの柄の祭りの装束。

列全体を見て掛け声をする方々は法被(はっぴ 半被)を着ている。
大きな山車を太い綱で曳くのは力のある若い男性のようで、
彼らは法被は着ず、鯉口(肉襦袢)も着ず、
腹掛けと股引だけで肩に太い綱を直に乗せて山車を曳き、押している。


ここの腹掛けの紐は細いね。ほんとに紐。

明るく染めた長い髪を、頭の後ろ高い位置で一つに結んだ人の、
焼けた背中に腹掛けの紐が交差してるのなど、
若いお姉ちゃんの水着姿みたいだ。




今年、バクチクは控えられている。

春の桜のお祭りの時も、いつもの華やかな提灯はなかった。


お酒も控えられてるようだけど、
それでも車両通行止めとなる祭りの区域は、
装束を着た大人や子供たちが、控えめながらも笛や太鼓を叩いて歩いている。


朝から大人ばりの装束をつけた小さな子たちも、
たくさんお父さんやお祖父さんに手を引かれてる。

ここは将来の祭りの担い手、いなせなお兄さんたちの予備軍がたくさんいる。
by moriheiku | 2011-07-30 08:00 | つれづれ

よだれマジック



しずく(甥 年中組)がマジックということばを覚えた。
意味は、、ちょっとおぼつかないかな?


しずくとりょがこ(甥 しずくの兄 小二)がこちらへ来て
見て、と、風船をふくらませるのを見せようとしている。

風船は途中までふくらんでは口からはずれ、
二人のよだれたっぷりの風船がブバババババと空中を飛んでくる。
私は瞬発力の見せどころ。けど時にはよけ損ねた私の顔に風船がっ。

「いやーー!もももちゃん(私)お化粧しててお顔洗えないんだから。
 もう少ししたら電車で帰らなくちゃいけないのに、
 電車の中で「この人よだれくさい」って思われたら悲しい」

と私はりょがことしずくに言った。
りょがことしずくはゲラゲラ笑って、しずくは

「よだれマジック」

と言った。

よだれマジック。。

「わかった。もうしずくとりょがこはよだれマジックね。
 しずくでーす。りょがこでーす。(二人合わせて)よだれマジックでーす。ね。」

それでいいらしい。

「じゃーあー・・、よだれマジック一号はどっち?」

と聞くと、張り切ってしずくは

「ハーーイ!」

と手を挙げた。

そうか、しずく。うれしいか。
よだれマジック一号が。



いったい一緒に居たあさひちゃん(姪 小一)は、と見ると、

ある時はドラムの陰、ある時はギターの陰に身をひそめ、
遠くで、二人のよだれが決してかからないようにしてた。ハハハ。
by moriheiku | 2011-07-29 08:00 | つれづれ

ふたりのハーモニー


甥のりょがこ(兄夫婦の子 小学二年生)は、
そろそろピアノのレッスンが進み、習った曲をいくつか暗譜で弾けるようになった。

りょがこが椅子に腰かけてピアノで何か弾く右に私は立って、
空いた鍵盤で、りょがこに合わせて、
適当に別のメロディーや和音をハモって弾く。

りょがこは譜面は持ってきておらず、記憶も尽きてきた。

「うーーーん、ぼく、あと何だったかな、弾けるのは」
とりょがこは目を閉じ、頭の中で音を探し中。

「なんでもいいよ。知ってるのなんでもどうぞ。
 習ったのじゃないくても聞いたことのある曲でも何でもいいのよ。
 何でも合わせてあげる。」

「えっとー、あと、おんかいみたいなのでもいい」

「ん。いいのよ。おんかいでもなんでも」
音階なんて、ねがったりかなったり。

りょがこの言うのは、
りょがこが習っているハノンみたいな指を強くする音階の曲のことらしい。

音階をずっと弾いていてくれるなんて!
りょがこが音階をリズムボックスみたいに繰り返し
リズムを刻んでくれるんだったら、
音階の音に合えば私の方はなんだっていいじゃない。

ジャズっぽくも、ボサでも、レゲエでも、
装飾音符の多い宮廷音楽風でも、ロックの古典ハモンドオルガン風だって。なんだって。

で、調子に乗ってやってたら、りょがこが
「もももちゃんが勝手にやるから、ぼく思い出せないよー」と言う。
気が散ってこちらにつられてしまって
自分がどこを弾いているか思い出せなくなるらしい。

「じゃあさっきまでのこういうほうがいい?」
と再びシンプルなハモり。

「そっちがいい」

「そう」

つまんないな。おこさまモードで。
by moriheiku | 2011-07-28 08:00 | つれづれ

大人の食べかた



ぱお(実家)へ泊まりに来ていたりょがこ(甥 小二)としずく(甥 年中組)と一緒に、
私も昼食をご相伴。

私の席の正面に座ったりょがこが、
「もももちゃん、こうやって持ってる」と言った。

見るとりょがこは私のまねをして、
麺つゆを入れたそば猪口を、ご飯のお茶碗や汁もののお椀を持つように、
親指以外の四本の指をそろえて底の高台につけていた。

え、私そうやって持ってる?と自分を見ると、確かにそうして持ってる。

でりょがこを見るとコップをもつようにそば猪口を持ってる。
あ、なるほどー、りょがこの持ち方の方が安定がいい。

で、私はまた舌先三寸で「大人はこう持つのよー」と
適当に調子いいこと言いながら、なんとなく父母を見ると、

父と母もちゃんとコップを持つように、
四本の指はそば猪口の側面にそえて持っている。げっ。


それはそうよね。
こんなお茶碗みたいな持ち方、
お蕎麦やそうめんをつけて食べるには不安定すぎる。


けど調子のいい私のお口は止まらず、
そうめんのつゆにそうめんをどっぷり浸けて食べてる甥二人に、

「笑点に出てくる落語家さんたちね(甥たちはなぜか笑点が大好き)、
 一度にほんの数本しかお箸に麺をとらないの。
 それで麺のほんのほーんの先っぽにだけめんのおつゆをつけてね、
 つるつるーって食べちゃうのー。」

と言ったところ、二人は速攻マネしはじめた。

しかもそば猪口は、私の(まちがった)持ち方で。


しかしそうめんは小さい子たちには長すぎて、
彼らはめんの先っぽだけつゆにつけるために、見上げるほど高々とめんをとったお箸を上げて、
めんつゆを持った手がおろそかだ。あぶないいいいい。


あ~~~~~~~あ、といった感じで、父母、ことばもない。


「いいの、これ大人の食べ方だから。子どもはしないでいいの、こうやって持ってお願い」

と言っても、張り切ってそのままやっている。

すみません。
たぶん彼らは家に帰っても披露することだろう。
そして案の定こぼして叱られることだろう。
すみません。
by moriheiku | 2011-07-27 08:00 | つれづれ

レシピから出会う



プチフールセックをいくつか。

プチフールはサイズが小さいというだけで、
オーソドックスなものも、
作るのにはいろんな技術を使うため勉強になる。手際の点でも。

一気にしかし丁寧に作るプチフールのうち、一種類に個性的なものを選んだ。

その材料自体は驚くものではないけれど、
レシピ中、焼き時間などいくつかちょっとしたところに驚いたもの。
一度作ってみたいと思っていたため、今回それも一緒に作った。

作ってみたいと思っていたそのプティフールは、
平凡でない出来上がりだった。


材料の配合は特に変わっていることはない。
けれどレシピの特徴ある焼成時間の長さや、
材料の脇の脇役にほんのちょっぴり加えるものによって非凡な出来に!
びっくり。


試しに材料を全く同じ配合で、
その配合から想像される一般的に作られる作り方で作ってみた。

普通の出来だ。悪くない。
だってもともとおいしいに決まってる配合だもん。

ただあの非凡な出来上がりのものとは違うものだった。


すごいなあ。

こういうのって。

レシピの方向性を作りだす経験の深さと個性の噴出。

胸を打たれるし、敬意を感じる。



お料理もお菓子も、はじめて作るレシピは、その通りに作る。

そうすると自分とはまったく違うレシピ作者の感覚がわかって、
そういう感じ方なのかと驚かされるし、発見がある。

出来上がりの写真を見れば視覚の想像つくけれど、
味覚や、嗅覚や、作っている感覚は、
違う感性の世界だー、
と感じられて、ほんとうにおもしろい。

窓があるとも思わなかったところに窓が開いて、
その向こうの景色を見て、その景色の風が通るような。

誰かのレシピで作る面白さは、私にとってはそれかなと思う。


経験の深さから生まれているというのが、
他には決してないものにしてる。



時々、あっ、と思う人、

、、人、というのともちがうな、、その人の中にある、

あっ、と思う光、というか力に、レシピを通して出会う。


そういう人たちのレシピ通りに作る作業を通して、
ああこれはすごいなー、とその光のひらめきに身体で出会う。


楽しいな。






・2009-03-01 草の息
by moriheiku | 2011-07-26 08:00 | つれづれ

バルサミコのケーキ


こんなにバルサミコ酢を使うケーキのレシピははじめて見た。

あ?これはなんの味?と、かくし味程度にバルサミコを入れ、
ほんのり香りと風味を加え深みを出すものとはかなり違う使いかた。

だってケーキ一台につき、150ml近く使うんだもの。

クリームやムースにバルサミコをほんのちょっと加えるのとは違う。
もし市販の食品の、多く用いている順に原料を表示する原料表示義務なら、
堂々だんとつバルサミコが先頭表記というところ。

秋が深まるとお料理にもバルサミコを使うことがどんどん増えるけど、
一度にこんなには使わない。


この特徴あるお菓子のレシピでは、
バルサミコを3/2程度に煮詰め、フルーツのコンフィを漬けておく。
その漬けこんだフルーツと、フルーツの風味のうつったバルサミコを使う。

カカオ、フルーツ数種、そして葡萄からできた熟成したバルサミコ酢のケーキ。
大人な組み合わせ。


漬けたコンフィの風味のうつったバルサミコでシロップを作り
焼き上がった生地にたっぷり打った。
かなり煮詰めたがまだ香りが強い。これでいいの?とても心配。

時間をおいて香りをチェック。
他の素材と互いに馴染み、香りは落ち着いてきた。
杏に似た感じになってきた。へーー!


使ったバルサミコ酢は特に悪いものじゃないけど、
すっごくスペシャルなものでもない。
この頃使ってるものを使ったが。
使うバルサミコによって、かなり味に幅が出そう。

複雑なフルーティーさに期待。



このケーキのバルサミコ酢は、
ソースを作るようにかなり煮詰めてあり、
酸味が立つということはないが。

私は酸っぱいものは苦手。

それにしては棚にはお酢が十種類くらい置いている。
酸っぱいものが苦手な方なのに、
定番化しているお醤油などに比べるとお酢は種類を多く常備してる。

私が熟成したお酢に一番求めてるのは、それぞれぜんぜん異なるその香り。
あるワインビネガーのフルーティーな香り、ある米酢のさわやかな香り。
お酢のおかげで勝手に料理の幅が広がるし、気持ちがいい。
そしてお酢を加えるだけでうまみが加わって、ほんとうにありがたい。お酢って。

お醤油もそれぞれ味は異なるけど、
バラエティーの幅の広さではお酢とは比べられない。



こんなに多くバルサミコを使うレシピを作れるのは、
このパティシエさんの経験と個性あってこそ。

こういうものを作ってみることができることがうれしい。



しかもこれ人にあげちゃうの。
味見もしていないのに~。
by moriheiku | 2011-07-25 08:00 | つれづれ

経験



自分のきたない心に、
自分が傷つく。


自分の毒に、
自分が侵される感じ。


このきたない心をなんとかしなければ。



これは、良い機会だ。


例えば過去の知恵によって
どのように心が救われるものか観察する良い機会だ。


転んでもただで起きるな。






経験によって人は少しづつ学んで賢くなるし、
やはり経験しないとわからいことがある。

経験が結びあって、ひとつのことの理解を深化させる。


私の人生は生ぬるく、人生の機微をほとんど知らない。

けど、多くを知るために、多くの苦痛を受け入れるほどの根性はない。
by moriheiku | 2011-07-25 07:59 | つれづれ

横浜



日曜は朝から、地域の川の清掃に参加。
近々行われる花火大会のため。


楽しかった。

夏は背の高い草に覆われて入れない河原も、
この時期は花火の類焼を防ぐため業者さんによって草が刈られ、
河原に下りることができる。

ゴミを拾いながら歩く足元に、蛙やバッタが跳ねる。


川の上は空が広い。


知り合いと一緒に、ざくざく刈られたあとの草を踏みながら、

子宮筋腫の手術をされたお話や、
今年ご実家の横浜のお父様が亡くなられ
ご実家に一人残った弟さんがお酒におぼれてるから、
毎週のように横浜に通っているというお話など、
ふむふむ、とうかがう。



時間は解決するだろうか。弟さんの悲しみを。
「やんなっちゃうわ。考えないようにしてるの」
と、しっかりされているお姉さん。(知り合いのこと)

すごく小さな蛙を手に乗せて、
「これは○○カエルよ。もっと大きくなるの。このくらいに。」
今じゃ想像つかないけど横浜でも昔は近くに蛙がいるところがあったのよね、と。



先日の業者さんの草刈り用の重機で少し土は耕されたみたいになって、
ゴミは半分土の中に埋まっているのを、
ひっこ抜いて歩く。




私 「あと橋3つ分、上流がよかったな。
   あの辺り、緑が多くてほんとにきれいですよね」

知り合い 「そうね。色のついた鯉もいるしね」



のほほんと一時間ほどの短い掃除。


ノースリーブで川風で涼しかった。手袋には汗。


一日中じゃないから、あの作業用の帽子はかぶらなかった。
by moriheiku | 2011-07-24 08:00 | つれづれ

中世芸能の発生 403 神仏習合思想の本質


つづき


仏教と和歌のせめぎ合いは、
渡来の仏教と、仏教以前の日本の古い民俗のせめぎ合いでもある。
・2010-05-20 中世芸能の発生 315 仏教と和歌の習合

和歌のルーツや本質に、詠(よ)み歌があったと考えられる。
・2010-02-15 中世芸能の発生 296 ヨム 和歌を詠む(よむ) 芸能


土地に繁殖する盛んな草木から織られた倭文(しづ)織は、
その盛んな力が伝染することを願って織られた。古い類感的習俗だ。

倭文は、上代には神聖と考えられていたが、
万葉の時代には、神聖であると同時に、古いものつまらないものと思われるようになり、
さらに時代が下ると粗い作りの古く迷信めいたものととらえられるようになって廃れた。

あらあらしいまでに盛んな状態をもっとも神聖とする考え方は
変化した。



古い和歌の根源ないし本質にあった詠(よ)み歌の性質は、まさにその倭文のようなもの。
新進の(と見えた)仏教思想よりも前の、未開の(と見えた)呪術的な祈りであり、

仏教側から和歌が避けられたことは、
単に和歌が言葉を飾り無常のものを詠む狂言綺語のものだからというだけではない、

その根本には、新しい仏教思想に相対する形での、
古来の原始的呪術的民俗への忌避や賤視があったと私は思う。


仏教と和歌の軋轢は、
新しい思想と、古来の民俗との軋轢だ。

日本仏教の和歌の受容は、
仏教と古い民俗の融合であり、
神仏習合の一形態だと考える。


神仏習合思想は、
古来の神々を仏の垂迹とした都合のよい表面的な置き換えでない。

神仏習合の思想は、
仏教思想を求めつつも、
日本の自然風土に生まれたどうしても捨てることのできない
日本人自身の本質を、
仏教に重ねることで受容しようとした運動だったと思う。




古い詞章や歌等読むと、
古い時代には、生命力の強さは霊力呪力の強さととらえられており、
神聖とは生命力の強い状態と考えられていた。

倭文(しつ しづ しず)織の原料となったのは土地に旺盛に生える植物で、
旺盛な土地の植物でできた倭文を身につけることは、
その旺盛な土地のイノチの力を身につけることだった。
(山野で修業し験力を得ようとする後の時代の修験道にもつながるものだと思う。)
それは、新しい知恵・思想に対して、古来の前時代的呪術的な民俗でもあった。


万葉の時代には、倭文は神への祈願に用いられた。
その呪的な用いられ方からも、万葉以前は
倭文には命を活気づける(たまふり)意味があったと推測される。

しかし日本が渡来の新しい思想文物を取り入れ、対外的にも日本を名乗り、
原始的な古来の民俗的呪術性を脱する過程で、

前時代の呪術的色彩の濃い倭文(しつ しづ しず)は、
神聖であると同時に古い迷信に満ちたもの、
粗く垢抜けないもの、つまらないもの、賤しいものと見られるようになり廃れた。



・万葉集にみる倭文織。

すでに万葉時代の人々にとって、倭文(しつ しづ しず 倭文織)は
神聖なものであり、同時に前時代的な古いものになっていた。

万葉集歌中の倭文が詠まれた歌を整理すると、
その用例は概ね三種類。

1)神聖なものとして用いられる例、
2)古い、つまらないものとして用いられる例、
3)神聖かつ古く素朴なものとして用いられている例、


倭文が 2)古いつまらないもの として用いられる時は、
いずれも仏教思想に対応する形で使われている。
・2010-08-22 中世芸能の発生 344 倭文(しつ) つまらないもの
・2010-08-19 中世芸能の発生 341 倭文(しつ しづ しず 倭文織)
からの倭文のシリーズより)

この時代の気分があらわれている。

その気分は、以降仏教が浸透するにつれ、大きな潮流になっていった。


これは
古来神聖であった人々や芸能が賤視されるようになったいきさつと
同じ流れのものだ。



神仏習合が説話になって語られ、古い芸能に語られ、歌に詠まれ、
神話の仏教(密教)的改編(中世神話)までして、
盛んに神仏習合がおこなわれたことは、

受け入れようとする仏教思想と異なる、しかし
決して捨てることのできない自然風土と日本人自身の本質を
受容しようとした運動だったと思う。

救われる道だ。


この時代の人々はそれほどに救済を願った。
それほど願わねばいられなかった時代だった。

そこから人々を救いに導こうとする宗祖たちと
現代まで続く宗派の数々、鎌倉新仏教が生まれた。




古来の、土地に豊かに繁殖した生命力が盛んな草木から織られた
荒く素朴な織物の倭文織は、

大陸から美しい綾織が入ってからは、前時代の垢抜けないものと表裏して、
万葉の時代より後は姿を消した。

あらあらしいまでに盛んな威のある状態をもっとも神聖と考える考え方は
変化した。

・ 2010-08-15 中世芸能の発生 337 綾 玉葛 水流
しかし、古ぼけて厭わしい迷信となった物事の根元は、
自然と、自然の一部としてのもの人の響き合いにあるから、

それは人や生き物を含む土地の自然がある限り生きて、

あるかないかも忘れられ、すっかり見えなくなっているようでも、

以降の長い時代が過ぎる間に厚く降り積もった物事のうんと下に、
雑多な厚い雲をかき分けた下の方に、

今も太い水流になって流れている。

昔からずっと流れている。






■古代における神聖とは
・2010-03-16 中世芸能の発生 297 土地の木
・2010-02-04 中世芸能の発生 268 古代における聖性とは


■倭文とは (記事中盤以降)
・2010-08-24 中世芸能の発生 346 しづやしづ しづのをだまき くりかえし


■万葉集 つまらないものとしての倭文
・2010-08-22 中世芸能の発生 344 倭文(しつ) つまらないもの




■芸能の語る神仏習合

仏教以前からの、日本の古来の民俗信仰の流れにある芸能の人々も、
即ち仏徒であるとする、根拠と自覚のことばだ。
この歌は、当時の、矛盾の中に立つ多くの人々の願い。
・2010-05-21 中世芸能の発生 316 今様即仏道 芸能者と仏教

谷の水音滔々と  たき(激 滝 瀧 たぎ)つ心
・2008-09-26 水波之伝
このお能の作者が最も心を動かしているのは、
山神でも楊柳観音菩薩でもなく、
作者の心を動かしているのは、
峰の嵐や 谷を駆け下る水の音、滝の音だと思う。
それはきっと古い芸能の根元だ。




■古来の信仰に連なる人たちの罪悪感 救済の綱
・2010-12-01 中世芸能の発生 368 今様
・2010-06-22 中世芸能の発生 331 罪業感 今様
・2010-05-21 中世芸能の発生 316 今様即仏道 芸能者と仏教
・2009-02-11 中世芸能の発生 67 船の上の遊女 お能『江口』
・2011-06-09 中世芸能の発生 398 今様即仏道 命の際(きわ)






・ 2010-08-15 中世芸能の発生 337 綾 玉葛 水流




■倭文のシリーズ
・2010-08-19 中世芸能の発生 341 倭文(しつ しづ しず 倭文織)
・2010-08-20 中世芸能の発生 342 倭文(しつ) 真間の手児名
・2010-08-21 中世芸能の発生 343 倭文(しつ) 神聖なもの
・2010-08-22 中世芸能の発生 344 倭文(しつ) つまらないもの
・2010-08-23 中世芸能の発生 345 倭文(しつ) 狭織(さおり)
・2010-08-24 中世芸能の発生 346 しづやしづ しづのをだまき くりかえし





■仏教思想以前
・2009-09-23 中世芸能の発生 203 狩猟 採取
・2010-02-11 中世芸能の発生 274 イノチ ユリの花 
・2009-12-08 中世芸能の発生 260 呪術・宗教と身体感覚
・2010-05-15 中世芸能の発生 310 くすり 呪術
・2010-02-12 中世芸能の発生 293 ヨ ヨミ トコヨ ヨム ヨゴト コヨミ
・2010-02-14 中世芸能の発生 295 奄美のユミグトゥ(ヨミゴト)





■和歌のルーツ 和歌の本質  詠(よ)み歌  寿詞(よごと)
・2010-02-15 中世芸能の発生 296 ヨム 和歌を詠む(よむ) 芸能





■■ 神仏習合の形

・2011-01-27 中世芸能の発生 379 根元
・2010-05-05 中世芸能の発生 304 仏塔 心柱 刹柱
・2009-10-26 中世芸能の発生 231 懸崖造り
・2010-04-07 中世芸能の発生 302 一刀彫
・2009-08-17 中世芸能の発生 188 作仏聖 円空 棟方志功
・2010-04-08 中世芸能の発生 303 日本料理 湯屋 湯聖(ひじり)




・2011-07-22 中世芸能の発生 402 神仏習合思想にあるもの



ちゃんと整えなければ。この覚書を。

ああどうして。

胸ふるえる
よろこびの多い、この孤独な作業をしているのか。



つづく
by moriheiku | 2011-07-23 08:00 | 歴史と旅