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西北西の風



長めの移動。

列車は事情で長く動かないとのことで、
別路線の電車で行くことにした。

その電車も遠くの線路上の事故の影響で、
時折線路上を停車しながら進んだ。


週2度しか飛ばない飛行機に間にあいたいなんてぎりぎりの用でないから、
普段びゅーんと通り過ぎてしまうところで停車するのは、うれしいくらい。

車窓から止まった景色を見ると、
どこか知らない国を旅している気分。


ちょうど緑の多いところで、また電車が停まった。



濃い緑に反射する山の手前の、
青い稲原がなびいて、風の筋が見える。


西北西の風。


稲原を押しなびかせてできる風の筋。
ある時は、川の流れのように一方向になびいて通る。

時には、つむじ風が直径2メートルに満たない小さな
青い稲の渦をつくり、
青い渦は稲原を東へ移動して消える。
by moriheiku | 2010-07-28 08:00 | つれづれ

絵本 個人をこえてリレーするもの 呪能から芸能へ



ぱおにおじゃましていたら、ちょうど兄一家がやって来た。
兄夫婦の子のりょがこ(兄)としずく(弟)は一冊づつ絵本を持ってきていて、
見せてくれた。

しずくの絵本は、
力が強いことが何よりも大事だったティラノサウルスが、年をとって衰えて、
トリケラトプスのこどもたちに出会った本。


体中傷を負ったティラノサウルスは、
ねむたくなったからここでねむると言って、
はじめは食べようとしていたトリケラトプスのこどもたちを家へ帰した。

あう~~。がう~~。
「もももちゃん(私のこと)、泣いてるの?」
「うん」


りょがこ 「ティラノサウルスは死んだの?」
 私   「うん」
りょがこ 「ここはね、うそなんだよ。死んでないよ」
 私   「死んじゃった。でも死ぬ前にティラノサウルスはわかってよかった、
      わかって死んだのがよかったーって思って 」
りょがこ 「ティラノサウルスは死んでないよ」


あううと泣く私に、
いつもさわがしいお二人さんが、静かに静かに、連れだって隣の部屋へ去っていった。
あちらへ行く小さな二つの背中に思いやりがにじむよー。
ハハ。



その日、家に帰ってから私気づいた。
りょがこは、私が泣いているから、
悲しがってると思ってなぐさめていた、って。

絵本のティラノサウルスは
トリケラトプスのこどもたちにねむると言ってあとはもう出てこない。
死んだとは書いていないから、
りょがこは、ティラノサウルスは死んでないと思いたかったんだろう。

そう思ってりょがこは私をなぐさめたのに、
私、ティラノサウルスは死んだって言っちゃった。またやっちゃったー。




りょがこはなんだか死をおそれる。
今よりもっと前、りょがこに、死ぬとどうなるのと聞かれたことがあった。

私は、

人はすっごく細かい粒々(分子とか素粒子とか)みたいなものが集まってできてる。人も物も。
死ぬとまたすっごく細かい粒々みたいなものになる。その粒々は色々なものになる。
水になったり、空気になったり、土になったり、木の一部になったり、車の一部になったり、
他の生き物や、板や、誰かの食べ物や、別の人の一部になったり、
なんにでもなる。
お砂場の砂でいろんな形ができるように。どんどん変わる。

というように答えた。

「つち(土)ってなあに」(当時りょがこはまだ知らなかった)と聞かれて
「地面のことよ」と答えたら、
その瞬間、りょがこが非常に空ろな顔をした。


この時、しまった、と思った。

そこには兄夫婦も居て、私たちのやりとりを黙って聞いていた。
「学校ではそういう風に習うんじゃないかしら。でもみんな色々に考えてるの。
別の国ではまたちがうように考えてるの。どういう考えをするかを自分で決めてくの。」
と続けて言ってはみたものの。遅し。
不用意にりょがこを傷つけてしまった。




だいたい私は非常に即物的で、
死をそれほど悲しいことに思っていないところがある。
分解して色々の一部になっていくことが自然、と思っていて。


あの世のあることが救いと思わないので、
とある新興宗教の人が、天国で愛する人々に会えることを最大の救いとして、
人に入信を勧めているのを不思議に感じた。

そういう事柄からも解放されることの方が救いではないかと私は思うからだ。



分解して自然の一部になっていく。
私は失せ、あまねくなる。

そうしたサイクルをむしろよろこびと感じることは
(よろこびというのでもないな、、こう、淡々と感じることは、)
即物的な私個人の考え方。

他の人は、こどもは、そうなることをなぐさめとしない。

なのに私、考えなしにりょがこに言ってしまって。
やってしまった。


せめて
ティラノサウルスはトリケラトプスの子の中に生きている、と言えばよかった。
でも私は本当はそういう解釈をしない。
私のこの冷たさはなんだろう。



しずくの見せてくれた絵本は『ぼくにもそのあいをください』。

生きて死んでく、それでいいじゃないと思う。

自分の死後も
長く自分というモニュメントを残そうとすることはよくわからない。
転生を願う気持ちもない。
私という個人は、分解してなくなっていいじゃない、と思う。
それはよく生きようとすることと相反しない。


この絵本では、ティラノサウルスのあいが、
トリケラトプスのこどもたちに渡り、またそのこどもたちに渡っていく。


繰り返し引き継がれていくものは、ティラノサウルスの存在の記憶でなく、もっと、
生きる核になるもの。
この絵本の中ならそれは、あの時ティラノサウルスに宿ったあい。

生きることを力強くするものは引き継がれる。


でも引き継がれるものがあっても、なくても、どうでもいい。
それは自分の判断する事じゃない。


リレーされるものがある。
リレーされ長く残っていくものは個人でない。
それは個人に宿ることはあるけれども、個人をこえたものだ。



民俗芸能は、それに近い部分があると思う。
現代の伝統芸能にも、どこかしらそれに近い部分が残っているように思う。
したがって、それら芸能を個人技に帰して語るものに、違和感を覚える。
ただしそのような芸能のありかたの変化も、芸能の歴史のうちだろうと思う。




プププププー。一度ちらっと読んだ絵本一冊で、書く書く、感想文。
夏休みは毎日だって感想文書いてたかったー。

今書く感想文は、この絵本の中心のあいに焦点をあてておらず、
あいなどのありようの観察、大人の感想文。


甥たちと遊びながら、彼らを傷つけちゃったと。私はよく後悔するけど。
りょがこやしずくたちは時には私を反面教師として、
(反面までいかないか、斜め45度?教師くらいかしら)
色んな考えに出会いながら成長してくだろう。
たくさん転んだりぶつかったりして成長したらいい。
それは彼らのイノチに対する信頼だ。



この日私、ぱお(実家)の両親に、
にいにいちゃん(兄)が来ることがあったら渡しておいてね、と、
りょがことしずくへ絵本、さんちゃん(兄の奥さん)へのプレゼントを持ってきてた。

しずくへの絵本は『へっこきあねさ』。
りょがこへは『森は地球のたからもの〈1〉〈2〉〈3〉』。
あと盲導犬の本一冊と、もう一冊。

さんちゃんへは、内側に金地に植物の絵が描かれた貝合せの貝をひとつ。

貝はふしぎ。どうしてこんなにぴったり合うんだろう。






リレーされ長く残っていくものは個人じゃない。
個人に宿ることはあるけれども、個人をこえたもの。

・2009-09-24 中世芸能の発生 204 民俗芸能
・2010-05-10 中世芸能の発生 305 勧進と芸能
・2010-05-17 中世芸能の発生 312 ことばの神聖視


・2010-06-20 中世芸能の発生 329 祝福の系譜
・2010-07-06 中世芸能の発生 334 タマシヒ 魂 天分 才能 生命力 霊力
・2010-07-07 中世芸能の発生 335 固有名詞にならないもの
・2010-02-21 中世芸能の発生 288 自然 身体 実感


・2010-07-12 星
・2010-07-04 声の音はことば


・2008-08-02 表現の根
・2009-07-01 中世芸能の発生 160 学問と芸能
・2008-12-16 本来空
・2007-09-19 ヨリシロ






呪能から芸能へ
類感の表現から個人の表現へ

・2010-06-21 中世芸能の発生 330 主客の分かれないところ 宗教の原型
・2010-06-18 中世芸能の発生 327 ことば 倭文 薬 捨身 自然のイノチとの一体化
・2009-11-08 中世芸能の発生 239 さぶるこころさまねし


・2008-06-03 自然と我 06
・2008-06-02 自然と我 05 デカルト
・2008-06-01 自然と我 04 古代の信仰
・2008-05-31 自然と我 03


・2009-09-12 中世芸能の発生 200 声と身体
・2009-12-08 中世芸能の発生 260 呪術・宗教と身体感覚
・2009-12-07 中世芸能の発生 259 類感 感応






死を生に含む。命の全体性。
古い自然は、くりかえし、くりかえし、
これまでも、これからも、つづいていく命の栄えの象徴。
・2010-02-03 命の全体性
・2010-02-12 中世芸能の発生 293 ヨ
・2010-02-15 中世芸能の発生 296 ヨム 和歌を詠む(よむ) 芸能
・2009-12-17 中世芸能の発生 267 一つ松 声の清きは
by moriheiku | 2010-07-27 08:00 | 歴史と旅

季節の失敗




春先に買って一度着たブラウスは、今が着時。
ごく薄いシルクシフォン地のさらっとしたノースリーブ。淡い水色。

ついでにこちらも購入したまま使っていなかった
小ぶりの、ボストンタイプのバッグを肩にかけて家を出た。


厚いハードカバーの本を2冊バッグに入れて出たのが間違い。
なんか肩痛い。

電車乗り換えの頃には、結構痛い。

ビルに着いて「そこになんか付いてるけど」と言われて、
お手洗いで鏡を見て気がついた。

付いてる。血。


ぐおーーー。



未使用だったバッグの、ストラップの革がまだ硬かった。

購入時に肩にかけてみたけど、その時はコートの季節だったから、
ショルダーに何の不都合もなかった。



ブラウスの左肩部分、表から見て直径5cmくらい血が染みてた。
まあそれはクリーニングでいいとして。

生地が、、ひきつれてるぅ。 薄地だけに。 がくり。

これもう着れない。


くっすん。鎖骨の端っこ辺り、皮膚がやぶけてるし。
これは跡になるぞー。

やっちゃった。
by moriheiku | 2010-07-27 07:59 | つれづれ

移行




7月26日 




のりしろを重ねるように、

季節が重なりながら、移っていく。



暮れる前にふいに見た秋の気配は、

あと二週間もしたら、

昼間にも時折あらわれるようになる。



気持ちが澄んでいく。
by moriheiku | 2010-07-26 08:00 | つれづれ





7月25日 



花火大会の日は、

この夏はじめて、空に秋の気配がきた。


午後7時、暮れる前、山の空。




昨日聞いた一匹のあの虫の音は、

今日は30倍くらいになって、

木々の間に響く。


夏の終わりから秋の宵に鳴く虫。



腕で空気をかいて、山の匂いを嗅いだ。






夜、玄関のドアを開けて、花火を見ていた。

むこうの花火大会の花火も見える。音も届く。


ここからあちこちの花火が見える。来週は、もう一つ。
by moriheiku | 2010-07-25 08:00 | つれづれ

法被





7月24日 



藍の法被姿の人たち。

ワゴン車の開けた後扉から、建物にお酒が運び込まれる。 

各玄関先には、笹に提灯。

時折バクチク音。




駅から見るビルの温度計は37度。




夜になる少し前、山を越えると、

あの虫の鳴る、高く通る涼しい音がした。



じき満月。
by moriheiku | 2010-07-24 08:00 | つれづれ





7月23日 大暑  



蝉、午前5時から本気出していた(鳴いてた)。

今夏最早。
by moriheiku | 2010-07-23 08:00 | つれづれ

カミナリ





私の心は、雨の気配のない時、

空中に突然、パリパリパリパリッ、と鳴るカミナリみたいな時がある。




グランドで部活中の高校球児たちが手を止めて

中空を見上げる、姿のないあのカミナリみたいな。





突然で、思いがけなくて、

それ、あたし?と、

自分でおどろく。






雨より速い短気。
by moriheiku | 2010-07-14 08:01 | つれづれ

判断基準




行きあたりばったりな私。

人生に、なにがしかの判断基準が必要かもと知った。遅…。

これまでのように、
どこへ行ってもその中で良いものを見出せばいいじゃない、とか、
どんな方向へ行ってもその中で良いものを見出せるのじゃないかしら、と
希望を持って進むのもいいけど。

選択の余地のないものについては、これまで通りそうすることにして。

方向を選べるものなら、
もしかして十回に一回くらいは、
意識的に設けた判断基準で方向を選んでもいいのかも。



んで、その基準だ。

とりあえず、動機がきれいかどうか、を基準に、、、

ってそれじゃ今までと変わんないー。
それにあいまいすぎて役に立たなそうー。



でもそれ以外に思いつかない。

損得なんて、万事塞翁が馬、思い様でどちらにもなるし。
痛みや後悔したとしても、他の良い経験同様、以降の指針になるのだし。
短期的に判断できないことだし。


だいたい、あっちにいい香りがするような気がする、と
ふらっと歩いて来た。




判断の余地があるものは
やはり、動機がきれいかどうか、で判断しよう。

そして今後は、動機がきれいかを、
今までより重視しよう。
by moriheiku | 2010-07-13 08:00 | つれづれ




折口信夫の卒業論文にしても、
土橋寛にしても、五来重にしても。

ただ既出の論の組み合わせでなく、
あざやかなところがある。


それぞれ色は全然ちがうけど。
あざやかさが見える。



資料を読みこみ足で身につけた深い知識の重なり。

丁寧で注意深い、地道な作業で身につけられた知識の層と、
論理の展開のあざやかな対比。


そういうのを目にするとき、ひざまづきたいような気持になる。


その人にひざまづきたいっていうんじゃないの。
その人格にひざまづくっていうのでもない。
こうした方々が、どういう人柄の方か知らないし。


ただそのあざやかさに、ひざまづく気持になる。



同じだけ歩き同じだけ資料を読みこんだ人がいても、
同じ論の展開をすると限らない。

その方向をひらくあざやかさというか。

誰にもあるものじゃない。
得ようとして得られるもじゃない。


こういうのをヒレって言ったんだろう。
ヒレ
・2010-07-07 中世芸能の発生 335 固有名詞にならないもの


その人の中にある「ヒ」の力の強さに、
ひざまづきたいような気持になるんだと思う。





尊敬する宮脇昭さんや、こうした方々の素晴らしいことは、
実践があること。

机上の論でない。
実践と、そこを通って出てくるもの、こと。

その人をとおって出てくるもの、こと。


歴史を少し知ろうとしはじめた私にとっての
スター。 大スター。 キャッキャッ。


はるか遠くに強く輝く星。






・2010-07-07 中世芸能の発生 335 固有名詞にならないもの

・2010-07-06 中世芸能の発生 334 タマシヒ 魂 天分 才能 生命力 霊力

・2010-02-20 中世芸能の発生 287 ヒロメク 蛇 剣
by moriheiku | 2010-07-12 08:00 | 歴史と旅