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中世芸能の発生 121 田楽の起源と展開

つづき



『職人と芸能 中世を考える』網野善彦(編集)中、

5「田楽」西岡芳文
6「中世芸能の歴史的位置」藤原良章

面白くて。
私にも読みやすくて。

どちらも中世の田楽について書かれている。
二つを自分なりにまとめてみる。


5「田楽」においては、
時代順に田楽のイメージを並べると、

1、田植え儀礼の伴奏としての田楽
2、御霊会の出し物となり、全国の社寺に取り入れられた
  行列(パレード)としての田楽
3、演劇としての田楽能

となる。


田楽は他の民俗芸能に見られない特徴がある。
現在残る田楽に共通する要素は下記。

1、びんざさら(編木、ビンザサラ)を用いる
2、特徴的な太鼓(主に腰鼓)を用いる、が有効に使われてない
3、華美な花笠、異形のかぶり物を着用
4、踊り手の編隊が対向・円陣・入れ違いなど幾何学的な変化を見せる
5、単純で緩慢な動作と曲
6、神前で上演されるにせよ、行道(パレード)のプロセスが重要
7、王の舞、獅子舞、競馬、相撲など一連の祭礼行事(渡物)を構成するものが多い。


中世に大流行した田楽にあり、現在の田楽にないものは、
高足(竹馬みたいなのに乗ってうごく)や刀玉(ジャグリングみたいなの)
など散楽的要素。
リズム感のある、時に変則的で即興的な田楽の音楽も、現在はない。


中世の田楽の散楽的な高足・刀玉のようなものは、
専門的な演じ手でなければできない。

古くは宮中のものだった散楽から田楽への流入があったことは、
田楽の史料からも推察される。

勇躍する田楽が各地へひっぱりだこの頃、
地方へ行っているため通例だった祭礼への参勤が不可能となったことから、
代わりに猿楽が参加する経緯などもあり。
田楽から猿楽への移行もあった。




『今昔物語集』巻二十八「近江国矢馳郡司供養田楽語第七」などに見られるように、
芸能としては、仏事に演じられる舞楽に対して、
田楽は卑俗なものとも見られていた。


中世の田楽が、古代の農耕儀礼から始まり、
朝廷主催の御霊会にも取り入れられ、民衆に熱狂的にも受け入れられたものが、
徐々に洗練されて格式を持ち、先祖がえりをして各地の神事なった、
と考えた場合、

神事としての荘重さが田楽に求められたこと、
各地の祭礼での田楽の演じ手は専門職でない素人や子供であることもあって、
田楽の速度感が失われた、と考えられる。



また田楽の姿に特徴的な異様に発達した花笠は動きが制限されるものだから。
そのため大きな花笠や様々の飾りのついた笠を被っている時点で、すでに、
田楽のスピード感は失われていただろうと考えられている。



ただし笠は田楽に限ったことでなく、独自に発展していた。
それが田楽とも結びついたものだ。

笠の派手な飾りものは、山鉾や傘への信仰と同じ方向のもので、

人の被る笠の独自性としては、
“喧騒を巻き起こしながら田楽を演じることへの忌避、もしくは田楽の演者への神聖視が高まり、演者の個性を抑制し、花笠と演者を神のよりましとして崇めるようになったことを反映した変化かと思われる。”
と書かれている。


忌避と神聖視。まさに中世芸能の性質。




まだ田楽について、ほとんど知らないの。
これから少しづつ知れたらいいな。



参考
『職人と芸能 中世を考える』 網野善彦(編集)





田楽、びんざさら
・2009-04-29 中世芸能の発生 120 田楽
・2009-05-01 中世芸能の発生 122 ささら
・2008-08-13 さ行


田楽と官人
・2009-05-05 中世芸能の発生 126 鼓笛隊
・2009-05-06 中世芸能の発生 127 武官と楽人
・2009-05-04 中世芸能の発生 125 田楽の音楽



田楽、傘、羯鼓(鞨鼓、腰鼓)
・2008-06-10 『身毒丸』 折口信夫 01


中世の被り物
・2009-02-19 中世芸能の発生 75 居杭

田楽法師の装束
・2008-09-19 中世芸能の発生 17 遊行僧、田楽法師の装束  




つづく
by moriheiku | 2009-04-30 08:00 | 歴史と旅

中世芸能の発生 120 田楽



つづき


平安時代から中世にかけて大流行した田楽は、
編木(びんざさら)や腰鼓、笛などで囃す。
華美な装束に、スピーディーで即興的なリズムにのった曲芸的な踊りで、
人々の興奮をよんだ。

雅楽に対して卑俗で、
騒々しく、凶々しいとも見られた。

室町時代以降衰退し、ほとんど忘れられていた。


現在各地に残る田楽は、
大正末頃からの民俗芸能の発掘によって
見つけられたものが多いそうだ。

というのも、それらは神事祭礼の中に埋没し、
多くは田楽の名も残っていない状況だったそうだ。



各地神事芸能に残っている田楽は、悠長で、
演じ手が列を作り、時に列が入れ替わるなどするものの、
死者を出すほど人々が熱狂したかつての田楽とは別物のように見える。

このことから田楽の起源と流れは、
ひとつには、農村の田植えの囃しで古代の農耕儀礼であったものが、
中世に民間に流行した田楽となり、洗練されて後、再び神事になったという考え方と、

もともと宮廷の祭礼で行われたものが民間に流れた、それが
中世に大流行した田楽で、
「田楽」という字は同じだけれども、
中世に大流行した田楽と、農村の田楽とは、
系統が違うとする考え方がある。


民間の神楽歌(里神楽、郷神楽)と、
宮廷の神楽歌(雅楽の御神楽)は違う。(こちらは認識されている。)

田楽への官人の参加はあったので、
あるいは、中世に大流行した田楽座による田楽も、
宮廷の楽からの流れかもしれない。


中世、都市部で行われ人々の熱狂した田楽は、
農耕ののの字も感じられない。

中世の田楽は御霊会と関わりが深く、
むしろ「たまふり」「たましづめ」(鎮魂)のイメージが強い。


ともあれ一般的には農村の農耕儀礼からきているとされる。
田楽は諸芸が合わさっており、
田楽の系統は一様には考えられないものだろうけれど。
農村の農耕儀礼から起こったと考えられる根拠はいくつもある。



折口信夫も田植えの儀礼から出ていると考えている。
折口信夫「田遊び祭りの概念」 青空文庫




民間の田遊びも、宮中の田舞いも、
さかのぼって田植えに関わるものだったという部分では同じ。

それでも中世に流行った田楽が、
宮廷の楽から流れたという考え方には、
やはり惹かれるところがある。


というのも社会と思想の変化が及び、
律令で流出しないよう定められていた宮廷の楽が、
民間に流れたので、

中世に流行した田楽が宮廷の楽からの流れという方向は、
この時代に起こった様々の変化と合っていると感じる。



参考
『職人と芸能 中世を考える』 網野善彦(編集)
「田遊び祭りの概念」折口信夫




・2008-06-10 『身毒丸』 折口信夫 01


民俗信仰と芸能者
・2009-12-09 中世芸能の発生 261 たまふり たましづめ 鎮魂



・2009-04-29 中世芸能の発生 120 田楽
・2009-04-30 中世芸能の発生 121 田楽の起源と展開
・2009-05-01 中世芸能の発生 122 ささら


・2009-05-05 中世芸能の発生 126 鼓笛隊
・2009-05-06 中世芸能の発生 127 武官と楽人
・2009-05-04 中世芸能の発生 125 田楽の音楽




神楽歌
・2009-03-25 中世芸能の発生 91 日本語の音




つづく
by moriheiku | 2009-04-29 08:00 | 歴史と旅

山の匂い





近辺の街が開けた海側の山には、
藤はほとんど見られない。


山中に藤が見えるのは、
意識して自然がそのまま残されたような場所か、
道は通っても、山の手入れは届かなかった場所だ。


そうした山は、手を入れない古い山の匂いがする。

手が入れられている山とは違う、
岩や水の匂い。

空気。



植林された樹木が多いものの、
ここ数年で藤が増えているような山がある。
手入れする人の居なくなった山だ。




藤はきつく巻いて、高い木を覆う。

道路で分断され一本だけ離れたところにある、
藤の巻いたあの高木は、あと数年ももたないかもしれない。








・2009-02-28 波の跡

・2008-11-21 神社建築に残るもの


・2008-11-21 節の記憶
・2009-03-26 中世芸能の発生 93 歌の展開




植生と文化
・2008-10-30 地形を旅した 椿
・2009-02-25 手作り化粧品 椿油
・2009-03-03 中世芸能の発生 80 比丘尼と椿

・2008-10-26 樹木と信仰 03 植生と文化の分岐

・2007-10-18 鈴とオガタマ
・2007-10-18 鈴と種

・2009-12-17 中世芸能の発生 267 一つ松 声の清きは

・2009-08-19 風土
by moriheiku | 2009-04-28 08:00 | つれづれ

古い山




あちらにある、こちらにある、

山の藤花を探している。



ある時は左に、樹上からすぐ横まで房がさがっていて、

右を見上げると、瀧を水が流れるように、
岩場一面に藤の花がなだれている。






高い樹上に山藤の、青みがかった淡い紫がかかっている。


同じ色の高木の桐の花が咲いてる。




木々に幹にうねってのぼる太い藤の蔓。



清々しい新緑とのコントラスト。







好きなんだろう、山の藤が。
桜よりも。


風に揺らぐものが好きだし、

山中の藤の花の姿は変化があって、

甘い水の匂いの中で何もかも忘れ
それらを見ている。








・2008-07-12 コード




昨年の
・2008-04-17 蘇芳
・2008-04-30 緑の谷
・2008-04-09 藤棚



・2010-05-06 水の香
by moriheiku | 2009-04-27 08:00 | つれづれ

紫雲





峰の緑の上にたなびく

紫色の雲のよう。




見下ろす峰の、緑の起伏のところどころに、

淡い紫色が広がってる。




山の藤の花。
by moriheiku | 2009-04-26 08:00 | つれづれ

中世芸能の発生 119  師範と弟子




つづき


『武士はなぜ歌を詠むか』。終章が良かった。
ドラマ。


慶長十七年(1612)四月十四日、天下人となった徳川家康の駿府城を
仙厳斎宗誾(そうぎん)と名乗る老人が訪れた。
落魄した今川氏真のなれの果ての姿であった。

五十余年前、今川氏の人質に過ぎなかった家康と、主客を逆転させての対面だった。

氏真は京都歌壇ではそれなりの名声も得ていた。
家康との話題が歌道に及ぶと氏真は、
「師範に習わなくては和歌は詠めない」との意を言った。


“ 中世和歌では、しごく真っ当な考え方である。
 ところが家康は、
  左右にも候ひなん、さりながらそれは例の歌つづりの青公家衆の事なるべし。
と冷笑し、自分の存じ寄りでは、心の働きを口に任せて出せばよいのだから、和歌は少しも難しいものではない、表現を飾るのは枝葉である。また平忠度(ただのり)が勅撰集に入れてくれと懇願したことなど、ちっとも美談ではない。もしそのくらいの執着があるなら、兵法を学ぶべきであったのだ、そうならば平家は東国や北陸であれほどの負け方はすまいぞ、「とかく武士は武士の勤めあり、公家は公家の勤めあり」と言いのけた。氏真は赤面して退出したという(故老諸談・上)”



新しい価値観は、
地に足がついて、
古い故実に頼らなくても動かなくなった。



“ たぶんに政治的であるとはいえ、新たな権力者がとった、師伝を否定するような冷淡な態度は、和歌や儒学など伝統的な学問には衝撃であったに違いない。ただし歌道家の救いは、世間一般の考えが必ずしも師弟関係の否定、あるいは伝授の否定ではなかったことであろう。”


“貞徳は、為満をやり込めて得意そうな羅山に対して、「いやこれはそこの卒爾(そつじ)なり。人丸相伝とて、定家卿よりある事なり。儒学の格に思ひ給うべからず」とたしなめたという。貞徳はまた、歌人にとっての「人丸相伝」とは、神官や僧侶が自らの任とする社寺の本地や縁起を知っているのと同じことで、存在や活動の根源である、とも説く。師範から門弟へ、幽暗なまま伝えられる秘事への信仰があってこそ和歌の神が心中に宿り歌人の資格が得られる、としたもので、単に書物の上の知識として人丸の伝記を知っている、ということとは全く違うのだ、という訳である(大谷俊太『和歌史の「近世」』)。”


“ ひとたび歌よみを志したとすれば、結局のところ、誰かに入門しなければならない。和歌は一人で詠めるような底の浅いものではなかった。学問が社会の広い階層へと一気に解放されたのが近世であり、和歌も例外ではないが、そうした動きにあって秘伝伝授の価値が再発見された意義もまた大きい。近世は中世以上に、師範と弟子の関係が密になっていき、門人のネットワークは全国に広がり、たとえば古今伝授一つとっても、さまざまな秘伝が編み出され絶えることがなかった。和歌は権力と距離を置きつつ支点を据え直し、新たな文学史を紡ぎ出していくことになる。”







神事や芸能を伝える家は古代からあった。
それぞれの流儀(流派)を伝える家元制度のような形は
この頃から一般へも広がる。

茶道、華道、浄瑠璃、
現在日本の伝統芸能といわれるものは中世に完成したといわれるものが多い。


宗教と一体であった芸能が、
宗教から独立する過程。






故実を必要としない世になっていく。

それは
古い時代の聖性と結びついていた芸能民、職人、芸能者たちの立場が
聖から穢へ転換していくことと重なっている。




新しく編み出され続けた秘伝などいらない。


私は、

神事や古い芸能で繰り返し縁起が演じられ語られるのは、
作法のような故実を言うのでなく、

故実の奥の、
原始的な生命観に立ち戻りつながろうとする、
止みがたい衝動なのだと思う。




参照:『武士はなぜ歌を詠むか』小川剛生(著)





・2009-04-20 中世芸能の発生 114 中世人にとっての故実
・2009-04-19 中世芸能の発生 113 武家政権にとっての故実
・2008-07-26 神事から芸能へ 古代~中世 01 神々の統一と語部
・2010-06-20 中世芸能の発生 330 祝福の系譜





・2010-02-15 中世芸能の発生 296 ヨム 和歌を詠む(よむ) 芸能
・2010-02-14 中世芸能の発生 295 奄美のユミグトゥ(ヨミゴト)


・2009-12-17 中世芸能の発生 267 一つ松 声の清きは
・2010-03-16 中世芸能の発生 297 土地の木
・2010-02-11 中世芸能の発生 274 イノチ ユリの花
・2010-02-04 中世芸能の発生 268 古代における聖性とは


・2010-05-05 中世芸能の発生 304 仏塔 心柱 刹柱


聖性の失墜
・2008-09-15 中世芸能の発生 13 浄穢観念
・2009-01-05 中世芸能の発生 52 区別から差別への転換
・2009-01-01 中世芸能の発生 48 芸能と差別問題





つづく
by moriheiku | 2009-04-25 08:00 | 歴史と旅

中世芸能の発生 118  馬廻衆



つづき


昨年BSで全作品放映されて録画した黒澤映画を見るチャレンジは続いてる。
(すでに現代物はあきらめて歴史物だけ)。
ちょっと苦手。。。

その黒澤映画の『影武者』なんかで、
馬をパカパカ駆って、
戦の陣でも主の側近に侍っている人たちがいる。

ああ、あの人たちって、馬廻衆なのねー。
あるいはそういう立場の人たち。

高校で社会科の授業が選択になってからは
日本史をとってすらいなかった私は、
日本史初心者。
(といって選択してたはずの世界史も、授業を受けた記憶もないほど知らない。)

武士の世になると、こう、しゅるしゅると一層気力が萎えちゃう。

『武士はなぜ歌を詠むか』を読んで、
馬廻衆を知った。




『武士はなぜ歌を詠むか』に、
足利尊氏の馬廻衆の和歌がとりあげられていた。

これが芸能をたどっている私には、
非常に興味深く感じられた。


“馬廻衆とは将軍直属の御家人で、戦時には常に将軍近くに侍り、全軍の中核となる武士であった。これが後には複数の部隊に編成されて、五番組の室町幕府奉公衆へと発展する。”


本によると、
直義との合戦が続く中、
尊氏は近江醍醐寺の陣中で霊夢を見、
尊氏らは「神祇」題で和歌を詠んでいる。

勝利した尊氏は、帰京後
懐紙を継いで一巻とし、京都の松尾社に奉納。

この松尾社奉納神祇和歌に、
尊氏の寵童、命鶴丸ら馬廻衆が見えている。

さらに尊氏は、やはり霊夢によって
諏訪社法楽の笠懸を行った。
そこで射手となったのは七名の馬廻衆で、そこにも命鶴丸他がいる。

“神前で武藝を演ずることと和歌を詠進することが全く同じ地平にあった。”


松尾社へ神祇和歌を奉納する前に、
「足利尊氏近習馬廻衆一揆契状」が作成されている。
これは馬廻衆同士の横のつながりを結んだ契約。

和歌や武藝の奉納による法楽、
和歌は、横の結束と、主従の縦の結束を
強める役割もしていたようだ。






命鶴丸は、大人になっても尊氏に元服を許されず
長く童形、童名のままだったそう。
足利尊氏のこれらのエピソードは、夢といい童形といい、中世真っ只中。
まるで御伽草子の世界みたい。


それはともかく、

“神前で武藝を演ずることと和歌を詠進することが全く同じ地平にあった”

このことは中世から近世、
武家政権にとって和歌がどのような役割をしたかを考えさせられる。


と同時に、
芸能とは何であったかをここでもまた振り返った。



参考:『武士はなぜ歌を詠むか』小川剛生(著)






童形 童子形
・2009-02-02 中世芸能の発生 60 芸能者の童形
・2008-07-21 中世 07 芸能の独立


中世の人々と夢
・2009-03-30 中世芸能の発生 94 『夢語り・夢解きの中世』
・2009-03-30 中世芸能の発生 95 夢の共有
・2009-03-31 中世芸能の発生 96 夢解き
・2009-03-31 中世芸能の発生 97 夢幻能




つづく
by moriheiku | 2009-04-24 08:00 | 歴史と旅

中世芸能の発生 117  法楽和歌 百人一首



つづき


古代から中世までをたどる中で、
和歌は、幣であり、祝詞であり、占であり、呪であり、
祭文であり経であり御詠歌で、
恋を語る道具、戦の道具でもあったことを、
具体的に少しづつ見てきた。



『武士はなぜ歌を詠むか』小川剛生(著)の中で、
法楽和歌がとりあげられている。


法楽 ほう‐らく〔ホフ‐〕    (Yahoo!辞書)
------------------------------------------------------------
1 仏法を味わって楽しみを生じること。また、仏の教えを信受する喜び。釈迦が悟りを開いたのち1週間、自分の悟った法を回想して楽しんだことが原義。

2 経を読誦(どくじゅ)したり、楽を奏し舞をまったりして神仏を楽しませること。また、和歌・芸能などを神仏に奉納すること。

3 なぐさみ。楽しみ。放楽。「見るは―」

4 見世物などが、無料であること。「―芝居」
------------------------------------------------------------


例えば法楽和歌には、
法華経第二十五普門品の観音経の最後の偈(げ)を
和歌に置き換えたものなどもあり、
本文中に紹介されている。


偈 げ    (goo辞書)
------------------------------------------------------------
補足説明梵 gth の音訳「偈陀(げだ)」の略

(1)経文で、仏徳をたたえ、または教理を説く詩。多く四句からなる。「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽」の類。偈頌(げじゆ)。伽陀。頌文。

(2)禅宗で、悟りの境地などの宗教的内容を表現する漢詩。偈頌。詩偈。頌。
------------------------------------------------------------



“ 波浪不能没  源直義朝臣

 さはりなき心におこすちかひにや波に入りてもおぼれざるらん

もとの偈は「或漂流巨海 龍魚諸鬼難 念彼観音力 波浪不能没、(或は巨海に漂流して、龍魚諸鬼の難あらんに、かの観音の力を念ぜば、波浪も没すること能はず)」と、観音に祈ればいかなる災難も禳(はら)うことができると説くもので、その内容を和歌的な趣向のもとにパラフレイズしている。もとより、神仏のために法文を読誦(どくじゅ)して功徳を祈ること(法施(ほっせ)という)と同じ効果を期待したに違いない。”


これは観音経の最後の偈一〇四句の主要な句を題とした
連歌形式の一巻のうちの一首。


“それらが多く百首を単位とする、定数歌の形式であったことに注目する必要がある。
 このような百首歌は中世、とくに鎌倉後期以後多く詠まれている。いや、ほとんどの百首歌がいくばくかは神仏との交信を目的にしていたと思われるほどである。”

“ そして尊氏自身にも、似たような百首歌があったらしい。若き日に、鎌倉市中の「推手の聖天」と呼ばれる歓喜天にひそかに願を立てた尊氏は、百日間毎暁参詣しては和歌を書き付け、満日には一巻として奉納した。その甲斐あって天下を掌中にした、というのである。
(略)
尊氏の信仰心の篤さはよく指摘されるところであるが、それが和歌を詠むという行為と鞏固に結びついていたことには関心を惹かれる。”


足利尊氏の法楽和歌などを例に、
武士の和歌と信心の関わりが上げられている。




時々、小倉百人一首には鎮魂の意味があるという話しを見聞きする。
百首という定数や、
藤原定家のした歌の選択に政治的な配慮があることに、
いかにもこの時代らしさがあって、
どこか祈りが重ねられているような気がする。




参考:『武士はなぜ歌を詠むか』小川剛生(著)





歌を「ヨ」む。
・2010-02-12 中世芸能の発生 293 ヨ
・2010-02-15 中世芸能の発生 296 ヨム 和歌を詠む(よむ) 芸能



和歌の本質ないし中心に祝福があり、
それがやがて神仏への法楽の意味へと変化する。
・2010-03-05 中世芸能の発生 292 海幸山幸(ウミサチヤマサチ) ことばの音
・2009-12-11 中世芸能の発生 263 ほうほう蛍 まじないのことば
・2009-12-17 中世芸能の発生 267 一つ松 声の清きは
・2010-09-02 中世芸能の発生 353 ことほぎ 自然


・2010-05-16 中世芸能の発生 311 狂言綺語
・2010-05-17 中世芸能の発生 312 ことばの神聖視
・2010-05-18 中世芸能の発生 313 やまとことば
・2010-05-19 中世芸能の発生 314 仏教が和歌を退けた理由
・2010-05-20 中世芸能の発生 315 仏教と和歌の習合
・2010-05-21 中世芸能の発生 316 今様即仏道 芸能者と仏教



和歌を詠む人々
・2009-03-05 中世芸能の発生 82 和歌と宣託 紀貫之
・2009-03-04 中世芸能の発生 81 歌占
・2008-09-28 中世芸能の発生 36 声明しょうみょう 東大寺修二会(お水取り)
・2009-02-12 中世芸能の発生 68 読経と芸能
・2009-02-09 中世芸能の発生 65 万葉の遊行婦女
・2009-02-08 中世芸能の発生 64 今様を謡う人
・2009-02-09 中世芸能の発生 65 万葉の遊行婦女
・2009-02-10 中世芸能の発生 66 遊女の転落
・2009-02-11 中世芸能の発生 67 船の上の遊女 お能『江口』
・2009-02-13 中世芸能の発生 69 遊女と女房文学
・2009-03-03 中世芸能の発生 80 比丘尼と椿
・2009-03-10 中世芸能の発生 86 歌合の女房名


山伏の作歌
・2009-07-13 中世芸能の発生 172 山伏の作歌、作仏
・2009-08-17 中世芸能の発生 188 作仏聖 円空 棟方志功
・2008-12-16 本来空
・2009-04-21 中世芸能の発生 115  西行の歌道



・2009-03-01 草の息


・2009-08-15 中世芸能の発生 186 朗詠調








和歌 詠の水脈  
・2009-03-19 中世芸能の発生 88 詠の水脈
・2009-03-25 中世芸能の発生 91 日本語の音
・2009-03-26 中世芸能の発生 93 歌の展開

・2008-11-13 楽と祭祀 10 柿本人麻呂

・2008-07-28 芸能の発生 古代~中世 02 ことわざと歌
・2008-07-28 芸能の発生 古代~中世 03 和歌とよごと

・2009-03-24 中世芸能の発生 90 雅楽以前
・2009-03-24 中世芸能の発生 89 大歌の印象

・2009-03-05 中世芸能の発生 82 和歌と宣託 紀貫之
・2009-03-04 中世芸能の発生 81 歌占
・2008-09-28 中世芸能の発生 36 声明しょうみょう 東大寺修二会(お水取り)
・2009-03-18 中世芸能の発生 87 芸能としての和歌




つづく
by moriheiku | 2009-04-23 08:00 | 歴史と旅

中世芸能の発生 116  『武士はなぜ歌を詠むか』




つづき


『武士はなぜ歌を詠むか』小川剛生(著)を読んだ。
きょーれつに面白かった。


中世から近世にかけての武家政治と和歌の関わりを、
事実の積み上げと史料の復元によって、著者が浮き上がらせる。
すばらしいなー。



私は、なぜだか中世芸能のルーツをたどっていて、
その中でなぜか歌(和歌)も追うことになっていて、
その点でもこの本の内容は示唆に満ちていた。


しばらく前から考えていた、
武士が辞世を詠むことについては
『武士はなぜ歌を詠むか』ではふれられていなかったけど。


武家政権と歌道の関わりの中に、
古代からの歌の聖性のしっぽがまだ見える。

そして、古代の聖性が薄らぎ新しい価値観が確立していく過程が、
中世から近世の武家政治と歌の関わりの中に見える。




本全体の構成は目次や本の販売サイトなどの商品ページでわかる。
関東を中心に、
宗尊親王、足利尊氏、太田道灌や歌道師範たちの活動がとりあげられ、
武家政治に和歌がどのように関わってきたかが明らかにされている。

鎌倉将軍の宗尊親王の時代と人生は、そういうものだったかと胸を打たれた。
また兼好を含む和歌の師範の有りかたを少し知って、
当時の遁世者の生き方のひとつをリアルに感じられた。

でも書ききれないし、
基本的には古代に興味があって、
で中世芸能の発生をたどってるこの日記では、
『武士はなぜ歌を詠むか』から、
過去に遡って芸能に深く関わる、と印象に残ったところだけを記録。
※そのためここで抜粋する傾向に偏りあり。



中世には、
“和歌を創作し鑑賞するという文学行為は、個人のうちで完結しない。”

“歌人は、文学感はもちろんであるが、政治的信条や立場を同じくするグループに所属し詠歌した(これが歌壇の最小単位である)。そして題を得る、構想を練る、添削を受ける、料紙に記す、作品を読み上げる、といった一連の行為は、すべて一定の作法故実、そのグループで通用するルールにのっとったものであった。”


“文字として遣った和歌はおおかた題詠歌であることになる。そのために中世和歌と言えば、誰もが似たような表現でひたすら同じテーマを詠むだけの退屈な文学、というのが決まり文句であるが、和歌とは古今・後撰・拾遺の三代集によって選び取られた素材と泳法を基盤とし、その枠内で見出した少量の美を、やはり王朝時代の雅語によって表現するものだから、すぐそれとわかる個性などむしろあってはならないのである。敢えて言えば、決まった筋書きのもとに演じられる神事や藝能に近い。”



私は昔の歌が鑑賞される時、
現代の文学的感情的な見方で取り上げられることには、
ものすごく違和感を持っていた。

歌だけでなく諸々についてそう感じる。


“すぐそれとわかる個性などむしろあってはならないのである。敢えて言えば、決まった筋書きのもとに演じられる神事や藝能に近い。”

これは本全体では小さな部分だけれど、
中世の歌の鑑賞に、
忘れられていた視点をあざやかに提示されていると思う。

こうした歌の見方は、
歌の鑑賞ではなく史料としての見方のように思われることもあるが、
これは当時の歌の持つ一面であって、
当時の人々が何に価値を置いていたかの、
視点の提供。



参考:『武士はなぜ歌を詠むか』小川剛生(著)






武門と和歌
・2009-04-06 中世芸能の発生 100 ことむけやはす
・2009-04-07 中世芸能の発生 101 和歌と武門

・2009-03-06 中世芸能の発生 83 山柿の門 大伴家持
・2009-03-18 山柿の門
・2009-03-17 「奈良の世の果ての独り」

・2009-04-08 中世芸能の発生 102 和歌の神 住吉大社

・2009-04-09 中世芸能の発生 103 芸能としての武芸 西行



武士
・2009-04-15 中世芸能の発生 106 「武士」と「兵(つわもの)」
・2009-04-15 中世芸能の発生 107 「賊」  兵(つわもの)の道
・2009-04-16 中世芸能の発生 108 武士の狩猟民的性質について
・2009-04-16 中世芸能の発生 109 武士の類型
・2009-04-17 中世芸能の発生 112 弓と北面の武士
・2009-04-20 中世芸能の発生 114 中世人にとっての故実




つづく
by moriheiku | 2009-04-22 08:00 | 歴史と旅

中世芸能の発生 115  西行の歌道



づづき



関東へ来ていた西行に、源頼朝は歌道と弓馬の事を尋ねた。(『吾妻鏡』)

西行は、

詠歌は、花月に対して動感の折節、わずかに卅一字を作るばかり。全く奥旨を知らず。

と言い。


弓馬の事(武芸、兵法)については、

弓馬の事は、在俗の当初、憖に家風を伝えるといえども、保延三年八月遁世の時、秀郷朝臣以來九代嫡家相承の兵法を焼失す。罪業の因をなすに依て、其の事あえて以て心底に残し留めず、皆忘却し了。

と答えた。 (読み下し文はだいたいで)



西行は、歌道のことは、それ以上話さなかった。

しかし兵法については、はじめこそ、
在俗の頃は伝えられ身についていたが、家伝書は遁世の時焼いた、
罪業の因になるのでみな忘れた、
と言ったものの、具体的に話している。

鶴岡八幡宮の流鏑馬神事は、この時西行が伝えた流儀で行われた。


ここで頼朝の知りたかった「歌道」「弓馬の事」とは、
具体的な作法としての「歌道」「弓馬の事」に近いものだったかと思う。

西行に尋ねた「歌道」とは、歌を詠む歌会の
主に作法や手順を中心とした故実。
「弓馬の事」とは、流鏑馬など武芸の作法、手順を中心とした故実。
と思われる。


頼朝に、歌や武芸の真髄に近づきたい心はあったかもしれない。
しかしまず武家政権の棟梁として、政権をまとめるため、
その道の故実を整える必要があっただろう。



西行は、出家とはいえ、
武芸を伝える武士の家の出身であった。
弓馬の事を話したのは、その武士の面目。


歌について頼朝に他に何も言わなかったのは、
西行は歌の家の出ではなく、
歌を詠む作法を伝える立場でないことはあったと思うが。


『明惠上人伝記』中で西行が語っているような、
西行の歌に向かう姿勢、

一首詠み出でては、空の中に一体の如来の形を造る思いをする。
一句を思い続けることは、秘密の真言を唱えることと同じ。
私はこの歌によって、法を得てきた。
もしここに思いを至らずに、この歌の路を学ぼうとしても邪路に入るばかりだ。
(↑現代語訳はだいたいこんなかなと…)



一首詠み出でるのは、空に一体の仏の形を形造る思い。
一句を思い続けることは、秘密の真言を唱えることと同じ。


それなくして、
歌の作り方や次第、作法を知ったところで、
自分のする歌の道にはならない、
邪路に入るだけ、
という思いはいつもあったと思う。


シンプルな
「花月に対して、動感の折節、わずかに卅一字を作るばかり。」
のうしろに、

作法では教えられない、
激しい思いで歌の道を歩んできたことを感じる。




・2009-04-09 中世芸能の発生 103 芸能としての武芸 西行
・2009-04-17 中世芸能の発生 112 弓と北面の武士


・2008-12-16 本来空
一首詠み出でては一体の仏像を造る思ひをなし 
一句を思ひ続けてては秘密の真言を唱ふるに同じ

 

武家政権と故実
・2009-04-19 中世芸能の発生 113 武家政権にとっての故実
・2009-04-20 中世芸能の発生 114 中世人にとっての故実



つづく
by moriheiku | 2009-04-21 08:00 | 歴史と旅