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中世芸能の発生 58 天皇と山人



つづき


修験道の祖と言われる奈良時代に実在した役小角(役行者)には、
前鬼と後鬼が随っていたと言われる。

現在も、その前鬼と後鬼の子孫が、
峰入りする修験者のための宿坊を営んでいらっしゃる。

八瀬童子も、自らをオニ(鬼)の子孫とする。

八瀬童子
・2009-01-27 中世芸能の発生 56 お能『鵜飼』 非人




日本のオニの概念には、
異なる文化や生活体系を持つ人々、
先住民や山人が含まれる。

前鬼後鬼は、生駒葛城周辺あるいは吉野の山人、
八瀬童子の先祖は、比叡山(日枝山)の山人だろう。


山人は、里人にとって、異能の人々で、
畏怖されるものだった。



山では薬(の原料)が採れる。

関西で販売される古い和薬、陀羅尼助は、
役行者がはじめに作ったなど伝えられており、
山人と薬のつながりは深い。


朝廷の典薬寮と山人
・2008-05-28 山岳信仰 04 能楽の源流
・2008-05-27 山岳信仰 02

山神と山人
・2008-09-26 水波之伝
山は生薬が採れ、薬の調合は山人の仕事だった。

和薬の流通
・2008-09-21 中世芸能の発生 20 和薬



薬と薬の技術は、朝廷にとっても必要なもので、
役小角も朝廷の典薬寮とつながりがあった。

薬以外にも山人から山の産物と技術がもたらされることから、
山人は天皇の供御人となり、

山人はその職能で天皇に奉げることで、
一般の平民にされる課役を免除され、
道の自由通行の保障をされていた。


天皇へ神饌の意味を持つ贄を直に届ける山人は、
古い時代の聖性とつながりを持つものととらえられていた。


南北朝時代、南朝方が吉野へ入ったことも、
もっと古く、大海皇子が吉野へ入り、山人がそれを助けたのも、

山岳の吉野の、地の利のほかに、
一般的な役所を通さない
こうした天皇と山人の関係に理由があった。




後の、
身分が低い者だが、役所や他者を通さず
権力者の意向を直に受けて動く御庭番も、
こうした流れの先かと思うのもおもしろいこと。



・2007-04-18 はやし
折口信夫『翁の発生』から
「八瀬童子が献つた八瀬の黒木の由来も、山づとにして、分霊献上を意味する木なる事が、推測せられるではありませんか。此が更に、年木・竈木の起りになるのです。」





・2009-07-13 中世芸能の発生 175 堂衆と千日回峰行
童子(古い信仰に連なる人々)は、
仏(僧侶)の従者、と位置づけられている



つづく
by moriheiku | 2009-01-31 08:00 | 歴史と旅

中世芸能の発生 57 遍歴する人々と外国


つづき


中世の市には宋銭が流通していた。
宋銭は、日本列島の北から東南アジアまで広く流通していた。

国内を遍歴する供御人
(販売の権利を与えられている職能民、芸能民を含む)が、
宋銭の国内流通に大きく関係していた。


網野善彦『中世的世界とは何だろうか』より。

例えば、御櫛(くしづくり)。
御櫛
-----------------------------------------------
櫛を作り天皇家に櫛を献納した木器生産者で、
内蔵寮に属した「造御櫛造」の流れをくみ、平安末期には「御櫛生」と言われた。
供御人となり、諸国の自由往来と販売の権利を認められ、自ら作った櫛を広く売買した。
-----------------------------------------------

鎌倉後期、御櫛生供御人が蔵人所に対して訴訟を提起、
蔵人所が採決を下したときの文書(香取田所文書)によると。

“櫛造たちは、このごろ唐人や傀儡子たちが、櫛をはじめとするいろいろなものを猥(みだり)に売買するようになったため、櫛売りの営業が妨害されると訴えており、蔵人所はその主張を認め、唐人・傀儡子による櫛の売買を停止しているのである。”

“傀儡子が自らの芸能を演ずるだけでなく、櫛などの売買に携わっていたことは、まことに興味深い。櫛造の本拠和泉の近木には、大歌所に属する遍歴の楽人、十生供御人も居住しているが、この人々もまた琴や笛を奏するとともに、なにかの品物を売買していたに相違なかろう。”



平安後期以降、宋の商人─唐人たちは、九州、北陸などに唐人町を形成、
鎌倉後期になると集団で日本列島内部を遍歴し、様々な物品を売買したが、
唐人の本業は薬売りだったと考えられる。

“薬売りの流れは、平安時代以降、典薬寮に属し、地黄御園供御人といわれた地黄煎売り、施薬院に統括され、室町時代には所薬商売千駄櫃といわれた人々、同じころ「薬並びに唐物」を商っていた左右衛府駕輿丁など、さまざまであった。”

“薬売りが「唐物」「唐商」と不可分だったことはこれによっても明らかで、事実、陳外郎(ちんういろう)とその子孫は唐人の医者・薬屋として有名であり、越前北荘の橘屋は唐人座を統括し、薬を扱っていたのである。これらはいずれも室町・戦国期のことであるが、それを鎌倉時代の唐人と結びつけるのは、決して無理な推測ではあるまい。”

“戦前、東北地方では薬売りを「トウジン」「トウジンサマ」といっていたところがあり、”



日本列島の文化が、海の向こうと近く結ばれており、
国内外の人や文物は、
国内を遍歴する人々によって広く流通していた。




折口信夫の実家は、
古代の海の玄関の一つ、灘波にあって、
薬商を営む医者の家だった。

折口の学問は、
折口のような生まれにある人の運命としかとしか思えない。
くらくらする。
運命など信じていないのに。




・2009-01-24 中世芸能の発生 53 供御人





貨幣の流通  勧進と芸能  芸能の世俗化  芸能から芸術へ
・2013-08-22 中世芸能の発生 455 貨幣 勧進 大仏造営



つづく
by moriheiku | 2009-01-30 08:00 | 歴史と旅

満月の前







月に光る白い梅の花。




谷のあちこちにあった。
by moriheiku | 2009-01-29 08:00 | つれづれ

春の星






暮れるより早く輝いている、金星。
宵の明星。


30分くらい歩いている間に星が増える。
あと15分歩くと夜。






谷に白い梅がちらちらうかぶ。

遠い空を見上げて、
もうなにもいらない
と思うんだ。
by moriheiku | 2009-01-28 08:00 | つれづれ

中世芸能の発生 56 お能『鵜飼』 非人


つづき


鵜飼は、古くから天皇直属の供御人だった。

律令以前から、
鵜飼で獲られた鮎は、贄として天皇に献上されていた。

鵜飼を生業とする人々は、
天皇に奉げる贄(鮎)を調達する朝廷の官吏で、
供御人として奉仕することで、
一般的な平民に課せらる租庸調にあたる納税義務を免除されていた。

誰の物でもない海山川から贄を調達するのもので、
他の供御人同様、関所の通行の自由を天皇によって保障されていた。

天皇に直属し、
神饌の性格を持った御贄を扱う鵜匠の立場は、
古くは聖なるものに属すと考えられていた。

御贄を扱う鵜匠のような立場の人たちは、
自然の旺盛な命のこもる贄を首領にもたらす役目があって、
そういう贄を得て天皇の命が強化されるという考え方があったようだ。

しかしそのような原始的呪術的な思想は衰え、
古代的な聖なるもの天皇、神々の権威は失墜し、
民衆の間にも広まった仏教が殺生を禁じていることなどから、

鵜飼は、殺生を生業とする業の深い人々と、
見られるようになった。




供御人、神人、寄人、職人、芸能民、傀儡子、白拍子、田楽法師等々。
各地を遍歴する彼らは、かつてその職能で
聖なるものに直属していた人々で、
その意味で非人であった。

後白河院と白拍子が直接関わっていたことも、
そうした意味においてだろうし、

宗教者が非人と言われたのも、
その意味がある。



一般的な平民とは聖別された者との捉え方であった非人も、
その縁るところの聖なるもの自体の権威が失墜するにつれ、
区別とは違う差別的な意味を持ちはじめ、
やがて差別的な身分を指すものに変わった。

非人である彼等の居場所は、誰かの土地でない場所。
出入り自由な場所。
河原とか、道とか、寺院とか。



現在も、宮内庁に御料鵜飼がある。
“皇室と鵜飼の歴史は古く,律令時代には鵜飼人(鵜匠)が宮廷直属の官吏として漁をしていた記録があります。”(宮内庁の御料鵜飼ページより)


例えば、大葬の礼の際、
天皇の棺を担ぐ輿丁の八瀬童子が今も現れる。
祇園祭など古い祭りに犬神人が大きな役を担当する。
これらは古い時代からの聖なるものとの直属性によるものだ。



去年、お能の舞台のチラシを見かけた。先生のお名前も載ってた。

鵜飼だったか、猟師、それとも漁師だったかな?の幽霊が登場する演目だった。
ストーリーのところに救いがない、とか、陰惨な、とか書かれてて、
こわかった~。

仏教で禁じられている殺生を生業にした人が、
死んでその罪で地獄で苦しんでいるのだった。



その生業でしか生きられない、
かつては聖別されていた人々の苦しみ。


彼ら同様、かつて聖別され、
やがて河原者と賎視された芸能者であるお能の作者ら、
当時の猿楽(能楽)の人に、
重なる心情があったかもしれない。




私は、笛は全然上手にならないし、
お能のことは何も知らないままだけど、

うっすらと、かすかにかすめるお能の中に、
お能以前に、ある地方に生きた人々の生を見る。

お能に親しくない私にはほんのわずかしか見えないけれど
お能に年表では見えない当時の“実感”があるのを感じる。

お能は、お能以前の時間への、口になってる。




※参考

網野善彦(著)
 『中世の非人と遊女』 『中世的世界とは何だろうか』
 『異形の王権』 『日本中世の百姓と職能民』

沖浦和光 (著)
 『日本民衆文化の原郷―被差別部落の民俗と芸能』




・2009-09-06 毎年に鮎し走らば
・2009-09-23 中世芸能の発生 203 狩猟 採取

・2009-02-11 中世芸能の発生 67 船の上の遊女 お能『江口』


・2010-10-30 水の旅 宮滝 鵜飼
・2010-10-29 水の旅 東吉野村 鮎



・2010-03-04 中世芸能の発生 291 サチ 弓矢 狩人 開山伝承
・2010-02-04 中世芸能の発生 268 古代における聖性とは
・2010-02-11  中世芸能の発生 274 イノチ ユリの花
・2010-02-05 中世芸能の発生 269 「神聖」の観念の変化


・2010-06-20 中世芸能の発生 330 祝福の系譜




猟は残酷か?
日本の古来の肉食と、
新しく入ってきた仏教思想の殺生肉食の戒の狭間のきしみ。
・2013-02-07 中世芸能の発生 451 『ぼくは猟師になった』 殺生 肉食 イオマンテ
著者の千松さんは若手猟師さん。
猟をする暮らし。狩猟についての目線。

『ぼくは猟師になった』についてと、
説話集、今様歌、猿楽能など、古典や史料の中に見る、
日本の古来の肉食と、
新しく入ってきた仏教思想の殺生肉食の戒の狭間のきしみについて。



つづく
by moriheiku | 2009-01-27 08:00 | 歴史と旅

中世芸能の発生 55 聖性の失墜



つづき


平安時代後期になると、
戦乱か重なり武士が台頭した。
社会が流動的になり、荘園は崩れ、
天皇の権威は失墜する。

それまで公のあるいは寺社や有力な個人の荘園で
耕作していた人々(定住者)は主を失う。

領主の小作人的立場だった荘園の定住者たちは、
自らの生活の場である土地を守り、外敵から自衛するため、
自治を行うようになり、
惣村の形態があらわれた。


例えば今も奈良に残る奈良の環濠集落跡に
中世の惣村の性格がうかがえる。
集落の出入口は1、2ヶ所で、
村の作りは攻め込まれた時の防御できる作りになっていた。



惣村の構成員の結束は固く、
一人一人平等の権利をもち、
惣村内の決め事は、合議制で行われた。


一自治体としての惣村の誕生は、
民衆の自立として、
高らかに謳い上げられることもある。

しかし一方で、
惣村のような定住型の共同体に属さない人々に対する、
排除と差別につながった。




惣村の住民のように定住する人々と同様に、
多くの遍歴する人々(供御人、神人、寄人、職人、芸能民)なども、
主を失った。


武士が支配力を持ち、天皇や神々の神聖性は失墜。
古い時代の宗教的な権威が意味をなさなくなるにつれ、
そこに属す供御人の立場も墜ちた。

また、仏教と神道がミックスする中で生まれた
過剰な浄穢観念(浄穢思想)から、

かつては土地を遍歴し神饌を獲っていた者たちや、
人や獣の生死やキヨメに関わる人々は、
それが社会に不可欠なものであっても、
殺生を生業とする穢(ケガレ)に近い者として
蔑視されるようになった。



供御人ら遍歴する人々の中でも、
同じ職を持つ者たちで座を作る力のある人々は定住もしやすく、
それで生きた。


猿楽も、河原者と賎視されはしたが、
座を作れた人々は、
権力者の庇護を受けた一面もあり、
それでもまだ生きやすかったほうかもしれない。


・2008-09-24 中世芸能の発生 26 惣村
・2008-10-24 地形を旅した 環濠集落と芸能



※参考
網野善彦(著)
 『中世の非人と遊女』 『中世的世界とは何だろうか』
 『異形の王権』 『日本中世の百姓と職能民』





自然と密接だった古代における神聖の意味が、
人が自然と離れていくことで忘れられていった。

人が自然と離れ、自然の力の聖性を忘れていったことが、
古い神聖な立場だった人たちが差別の対象になっていったことに
結びついていると思う。

・2008/09/25 中世芸能の発生 29 勧進聖 自然居士

・2009-04-20 中世芸能の発生 114 中世人にとっての故実

・2009-04-25 中世芸能の発生 119 師範と弟子

・2010-06-18 中世芸能の発生 327 ことば 倭文 薬 捨身 自然のイノチとの一体化

・2010-02-04 中世芸能の発生 268 古代における聖性とは

・2010-08-04 中世芸能の発生 336 比叡山延暦寺の植樹








つづく
by moriheiku | 2009-01-26 08:00 | 歴史と旅

中世芸能の発生 54 職能民




つづき


供御人、神人、寄人(よりうど)は概ね同じものだ。

芸能の人々は、もともとはキヨメ(清め)を受け持つものであり、
やはり神道トップの天皇直属であったが、
時代の変化からやがて有力寺社などに隷属するようになる。

宗教と芸能が分かれていない時代、
こうした人々は、
人の生死に関わる清め祓いには欠かすことのできない専門職であり、

彼等の専門職であるキヨメ、ハライの職能で奉仕することで、
贄や手工業品等を扱う他の供御人と同じく、
一般的な平民に課せられる納税義務は免除され、
街道はフリーパスだった。

その意味で芸能の人々は、
大きく職人的な枠にあると考えられる。


遊行の宗教者、遊行僧や修験の山伏、傀儡子(くぐつ)、白拍子なども
ここに含まれる。

折口信夫の小説『身毒丸』の主人公のような、
有力な寺社に属し、各地を遍歴した田楽法師もそうだ。


・2008-06-10 『身毒丸』 折口信夫 01

・2008-09-26 中世芸能の発生 31 勧進興行



※参考

網野善彦(著)
 『中世の非人と遊女』 『中世的世界とは何だろうか』 
 『異形の王権』 『日本中世の百姓と職能民』

沖浦和光 (著)
 『日本民衆文化の原郷―被差別部落の民俗と芸能』



つづく
by moriheiku | 2009-01-25 08:00 | 歴史と旅

中世芸能の発生 53 供御人


つづき


供御人は、
天皇に奉げる海産物など食料(贄)や、手工業品等を調達した人々。

天皇に直に属するもので、
一般的な平民に課せらる租庸調にあたる納税義務は免除されていた。

古代においては
いきいきとした命に満ちた神饌である御贄(贄)は、
定住者にとって課税対象となる田畑などの外の、
当時、誰の物でもないとされていた海山川などから調達されるものも多かった。

そのため供御人は、
関所の通行の自由を天皇によって保障されていた。


記録から、こうした食料や手工業品が、
全国各地から天皇のもとへ、集められていたことがわかる。

供御人が納めた物は、
例えばアワビ、ワカメ、塩、昆布、カツオ、鮎、等々。
それらは今も全国の神社で供えられるものだ。
土地の自然の捧げもの。

人と物が絶え間なく流通する大きな流通の道が、
この時代すでに海と陸にできていた。


供御人の多くは、海、山、川、道、
誰の者でもないとされた場所、
税金を課せらる田畑でない場所を動く人々だったともいえる。



やがて律令制の崩壊、荘園成立の過程で、
朝廷の他に、皇族、有力貴族、有力な武家、寺社が
それぞれにとっての供御人を持つようになると、
供御人の取り扱う品の種類も増して
販売の権利も与えられた。

有力者達は自らの経営する荘園で、米など主な農産品が上がる。
それとは別に、各地を遍歴する供御人が、
日常に欠かせない食品や手工業品等ももたらす。


遍歴する供御人が扱う手工業品は、
鋳物、鉄器、木工品、等々。

例えば木工なら、曲げ物、桶、木の器、鉢、盆、櫛・・
鉄なら、武器になる鉄器はもちろん、
農具の鍬(すき)や鎌、建築用の釘にいたるまで、
日常の生活に欠かせないものを、
職人である供御人が作り、
また遍歴して販売し、流通させていた。


遍歴する人々の交易の場である市は、もとは常設でなく、
各地の地名に残る四日市、廿日市などのように
市は日を決めて開かれるものだったが、
やがて常設の店があらわれる。



遍歴する供御人の中には、同業者同士で座を作り、
規模を拡大する人々も現れた。

海を挟んだ大陸の物と人が行き交う北陸の豊かな廻船問屋なども、
こうした流通に関わる人々だったことが考えられる。


中世の市には宋銭が流通しており、

そのことからも、彼ら遍歴する人々の活動範囲が広く、
流通の規模はグローバルなものだったことがうかがえる。


、ということのようだ。たぶん。歴史の本を読んでみると。

そっかー。そういうことかー。


参考

網野善彦(著)
 『中世の非人と遊女』 『中世的世界とは何だろうか』
 『異形の王権』 『日本中世の百姓と職能民』





勧進と芸能  芸能の世俗化  芸能から芸術へ
・2013-08-22 中世芸能の発生 455 貨幣 勧進 大仏造営




つづく
by moriheiku | 2009-01-24 08:00 | 歴史と旅

マスク






かぜの予防にマスクをして家を出る。

けど、途中で片耳にだけゴムを引っかけて、

マスクをはずしてしまう。



そうすると、一気に色んな匂いがわかって、

空気の中の樹木や水の匂いがして、

気持ちは広くなる。



マスクをはずすと、不思議と音もよくきこえる。


マスクをはずすと、

すれちがうものの距離もわかるし、

空間の広さだってわかる。




駅に近づくと車や人も増えるから、

またマスクをする。

また何もかもよくわかんなくなっちゃう。





マスクをしたまま

車に乗って、中から景色を見ると、

なんだかよく見えない。


マスクは口の周りをおおっているだけ、

目は開いてるのに。



寒から車の窓は閉めきって、

外の空気はわからない。

だから車内から外を見るのなら、

マスクをしていたってしていなくたって

おんなじに見えてもいいと思うのに。


不思議。車内からガラス越しに外を見るのも、

マスクをしてるとよく見えない。

マスクをはずすとよくわかる。




外の空気を感じられないガラス越しでも、

マスクをすると、ものが、いつもよりよくわからないのは、

皮膚が、ものの光や影、色を判断しているからだと思う。




使っているのは普通のマスク、

覆われるのは口の周りだけだけど。


たぶん皮膚は、風や、温度や湿度を判断している。

音もキャッチしてる。

鼓膜に届く振動が我々に音に聞こえるように、

音の振動を受け取る。


また、ものの光や影、色を判断している。

それはつまりものの形を判断するものだ。


我々の身体は、皮膚を媒体にして、外界の繊細な情報を得ている。





だから、こんなに、

ストールまでぐるぐる巻いて、

顔以外の全身を覆っている寒い時には、特に、

マスクで顔の下半分を覆っちゃったら、

もうかなり外界の情報がわかんなくなっちゃうんだと思うな。
by moriheiku | 2009-01-23 08:00 | つれづれ

コントラスト 二月





ぱおのロウバイはあと数輪。


梅がちらちら開き、

ミモザの木は黄色を帯びている。






何にも遮られず注ぐ日の下から一歩室内に入ると、

暗くて、

目が慣れるのをしばらく待っている。
by moriheiku | 2009-01-22 08:00 | つれづれ