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春日


つづき

雨足変わらず。

奈良市内にいて、
一度こうして雨宿りに建物に入ったけど、
やはり樹があるところへ行きたい。


奈良国立博物館近く、古い樹のある場所は、
先に横を通り過ぎた春日大社だ。

濡れた靴。
このまま雨中を行こう。

しかし春日山原始林でなく
春日大社へ参拝。


お社は平地に近いとはいえ、
雨の中、時折古い山のにおいがする。
そこに。ここに。

私は、山が好きだし、樹が好きで、森が好きだ。



国立博物館と春日大社は近い。

奈良公園内を春日大社に近づくにつれ、
周囲の木々のあちこちに、
比較的きゃしゃな藤の蔓がのぼっている。


藤の花は春。

今は葉も落ち蔓だけだが、
蔓だけでも、藤は美しい曲線を描く。

花の季節を過ぎた、
山中にうねる新緑の藤蔓の景色も美しい。

冬の山藤の太い蔓、藤の幹が、立ち木にからまる姿は力強い。



春日大社は、
平城京の鎮護として、藤原氏の氏神を祀った神社であったことから、
藤が大切にされてきた。

養われる藤と春日山原始林とは別の景色だが、

春日造のお社の朱塗、白壁、檜皮葺き、切妻造り、
地形にそって建てられた緩やかに昇る懸崖造りの御廊の、
軒に下がる無数の釣灯籠。

それに、藤花の房の、藤色のコントラスト。


やはりここは藤原氏にゆかりの深い社だ。

純然たる奈良の古社ながら、
他の奈良の寺社よりもう少し、雅が匂う。平安が匂う。

春日大社の持つ顔のうち、
匂やかな一面を印象付ける要素である中門は、
平安時代に創立されたものらしい。

つづく


─── <夕食> ────





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by moriheiku | 2007-11-30 08:00 | 歴史と旅

サルにつられた


午後から、ちょっとぱお(実家)に寄った日、
「それではもう失礼します。」
と帰ろうとした。

すると先程ゴルフから戻ってきたばかりの父が、
「車で送る。」
と言う。

「いい。電車、好きだから。電車で帰る。」


そう言うと、

「実はゴルフ場に忘れ物をしてきた。
 今から取りに行くから、ついでだ。」

「忘れ物を取りに行くの、今日でなくてもいいでしょう。」
 連絡して預かっていただけば。」

「こちらはそれでいいが、あっちが気にするだろう。
 ロビーの真ん中に忘れてきたから。」

「ふーーーん。」

「まあついでだから乗っていきなさい。」

「えーーー、電車好きだから電車で帰りたいのにー。
 全然苦にならないのにー。
 寒いし、ほんとにいいのにーー。」


ついで、って、
ゴルフ場遠いし、
私の住処は、ぱお(実家)からゴルフ場までの通り道でははない。
ぐるーーと遠回りして、送ってやるってことだ。

むー。電車で帰りたいのにー。
でも母も送ってもらいなさいと言うし、ぱお父カーで帰ることになった。


車に乗ってぱおを出て2分、

「先にゴルフ場へ行くぞ。いいだろう。」



なにをーーー!

「ええっ、じゃあ最寄の駅で降ろして。どこでもいいから。そこから電車で帰る。」


だまされたーーーーーーーーっ。



だって先にゴルフ場って。
ぱおからゴルフ場って、私の家よりもっとずっと遠いじゃん。
なんで私がゴルフ場までも一緒に行かないといけないのーー。

ドライブなのか・・
電車で帰ればよかった。 (←親不孝)


車が動き出してからそう言うとは、なんという。



「だってオマエ(私のこと)、もう今日用事ないんだろう。」

くそっ。言った。確かにぱおでそう言った・・・。うをぉぉーーー。
まさかその一言がこんなことにつながるとは!
油断ならない。


むっとする娘の横で、なんとなく話を続けるぱお父。

「今日はいい天気で、サルがゴルフ場の下の道路にまでいっぱいいてなあ。」

「 ! (サルっ?!)」

「帰りにサルに注意して車を運転しなくちゃいけなかった。」

「 ! 」 


この日父が行ったゴルフ場は、
パオ父母が行くゴルフ場のうち、もっとも動物が出ることは聞いていた。

私は全然ゴルフに興味がないので、
ぱお父母が普段行くゴルフ場の分類といえば、
私の中では、

“サルが出るところ”、

“朝早く行くところ”、

“お風呂とご飯がいいところ”、

などということになっている。いずれも彼等の話からそう分類された。


この日ぱお父が行ったゴルフ場は、
“サルの出るゴルフ場”だ。

それに、ここはついでに
“コースを鹿が横切るゴルフ場”でもある(話を聞いた私の分類上)。

そんなサファリパークのような景色ってどんな、、。



「サルが見える?」

「あれだけ居たから、見えるんじゃないかなあ。」

「鹿がいるところ?」

「いるぞ。」

「ふーん・・・。じゃあいいよ、ゴルフ場、先に行っても。」

「よし。」




途中、

「ゴルフ場って、ゴルフ場専門の設計の人がするの?」

とか、ちょっとしょぼい噴水のある池を見て

「この池は何かの養殖?」 

「あれはただ水を循環させているんだろう。」

とかまったく素敵じゃない親子の会話をしながら、木々の間を通り、
いよいよゴルフ場の近くへ。



がーーーん、サル、いーひん。

サル、居ないんですけどー。

どこ、道にいっぱいいたサル。どこ。


「もう居ないみたいだな。」

ぎゃーーーーーん。



「鹿は。鹿は見える?」

「鹿なんか見えないよ。

 最近は親子連れで、やつらはすごい勢いで走ってるんだから。」



ぎゃーーーーーーーーーん。



だ・ま・さ・れ・たーーーーーーーーーーーーーーー。



ぱお父ドライブにつきあわ・さ・れ・たーーーーーーー。




うーーーー。


さすが亀の甲より年の劫、、あっさりひっかかってしまった。

気を、気を引き締めないと。(なぜ?なぜでもよ。)


もう次は乗らない。乗らないんだから。



うっすらと、
すごい勢いで走っていく鹿の親子の残像のようなものが、
胸に残った。



─── <夕食> ────





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by moriheiku | 2007-11-29 08:00 | つれづれ

サトラレと鶏頭と謡本 中


つづき

謡の本についてすこしうかがった。
先生がその時持っていらした本を見せてくださった。
小さい本。袖本というのかな。

読める。

ヨカタ。


って、これ


日本語だってば・・ il||li _| ̄|● il||li


先生・・

先生のご本、手にとって拝見していいんですか?
こんな私のばかが本にうつるおそれはなかですか。



宝生流の本なら、もう少し草書に近い字で書かれているとおっしゃった。
としたら宝生流の本なら、草書を読む練習にもなるかしら。

文の間にときどき居る、小さい舞の人の絵が、きゃっ、すてき。



ああそうか。

私は原文の調子を知りたくて、
謡の調子は必ずしもわからなくてもいいので、
別の類の本でもいいのかもしれない。


私は
原文の調子が知りたい気持ちが大きいので、
対訳も必ずしもいらないわけで、

あとあるといいと思うのは、


注釈・・・。



小物の説明とか、時代背景とかの注釈。


手っ取り早く理解につながりそう
などと、


そんな、ずうずうしい・・。


そんな謡の本なんてー。

自分で調べれば勉強になろうに。




それより、
もー、この時のおおべし。

全然、全然、できなくて、
自分の練習でも、こんなにできなかったのないほどできなかった。

途中で投げ出して帰らずにえらかった・・えーーーん。
(どんだけひどかったのだ。)




前回一度きり違う先生に教えていただいて、
お稽古一回分、先生にお目にかからなかったら、

また初対面といえるほど、
私の中の人(本心)は緊張していた・・・。


表面では正面にいらっしゃるかた(先生)に見覚えがあった(あたりまえ)のに、
心はなじみがなくなっていたのか。

たった一度っきりで。


三歩歩けば忘れる鳥頭。

今まで教えていただいたご恩も忘れちゃったの~ 私の奥の人(私)よ~~~。


下につづく

─── <夕食> ────





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by moriheiku | 2007-11-25 08:00 | 音と笛のまわり

サトラレと鶏頭と謡本 上


笛のお稽古では、
先生がお話されることはない。

こんにちは、で、今日の曲を申し上げ、
次に移るときは曲名と唱歌と指を言ってくださって、
ありがとうございました。
さようなら。

昔の日本の習い事ってこういう風だったのかなあ。


吹き終えて、たまに注意される時には、
拍子を打つため手に持たれた扇を、

トントントントントントントントン
と小刻みに早く打ちながら注意点をおっしゃる。


もしかして、
そうすると言葉が出やすいのかも。


もしかして、
ほんとうはもっとストレートに言いたいところを、
丁寧に言ってくださるためにそうして・・・ (´∀`)アッハハ/\/ \


il||li _| ̄|● il||li

がっくり。



いやん。余計なことは考えないに限りまするー。



以前あったマンガ、あるいはドラマ、映画、
「サトラレ」のように、

私は、笛で、
すごく緊張していることや、
今日はちょっと安心していることや、
視線をたった2センチ移しても、
それらはみんな音に出てしまう。

そんなことない、私は平気、
そう自分に言い聞かせて、
自分でもそう思っているつもりでも、
バリアはきかない。


今必死、今立て直そうとした、今楽になった、今こんなこと考えてる、
ちらっと落ち着かない気持ちが急にした、
そういう細かい心を動きは逐一そのまんま音に出てしまう。

笛は、ぼろぼろのあたし、そのまんまの、
自分にも、ごまかせない、
気分はサトラレ。


先生がたはうんとクオリティーが高く、
演奏家で、
そんな瑣末なことはないだろうけれども。

あたりまえだけれど、
音でその人自身が見えるっていう部分はあるように思う。
きっと見えるのは瑣末なことより以上のこと。


習い事はこれまでもしてきた。
続けているものもある。

楽器は他にもやった。
習ったものも、自分でやったものもある。
習ったものは笛よりも長い。


けど笛のように思う楽器も習い事もなかった。
サトラレのようにみんな表に出てしまうような気分。
何もごまかせない。
笛の音って、自分にごまかせない。



どうも能の笛は、
良い音色を美しい音色を求めるのとは違う。

定まらないものを表現へ変換して昇華させる芸術の類とも違う
(これがないからごまかしもきかない・・)。

揺らぐ自分を表現に変換したものを見せるのでなく、
アスリートのように揺らぎないベースを持って、それを見せる、
に近いもののようだ。


アスリートみたいだから、定まらないものはそのまま、
定まらないままの記録(音)に出ちゃう。

笛にはクッション(緩衝材)がない。
心とダイレクトだ
って気がする。


だからいかに精神面の土台が鍛えられているか、って部分は、
案外大きい気がする。

ちょっとアスリート気分(?)。



ピアノなら、できない部分は、ただできないというだけなのに。
なんで笛は常にそう感じる。ビギナーなのに。

自分の目からも知らないうちに隠していた、
だめだめな自分を見るのは、
いやなモノだ。

けど、客観視して観察するには、
ものすごく面白いことも確か。


私は底は、
ちっとも平気じゃないんだ。

(私が)自分で言い聞かせたって、
本心(私)は、全~然、聞いてやしなかったのだ。

ククククク。

そうそう。



できなくて
「チックショーーーーーーーーーーー(小梅)」
なんて思うのも笛だけ。

他のことでは「できなくて悲しい」だけなのに。

なぞ。


時節柄、スケートの選手が
「気持ちのコントロールができなくて」
なんておっしゃっているのを聞いた。
コントロールできるってすごい。すごい。

できないから教えてくださる先生には申し訳なく思うのだけど。


中につづく


─── <夕食> ────





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by moriheiku | 2007-11-24 08:00 | 音と笛のまわり

彗星




駅を出て、ロータリーから空を見上げた。


彗星。


そうじゃない。

誰も見ていない。



あれは、


飛行機だ。





最後の夕映えを受けて

金色に輝く機体と

短く膨らんだエンジンガス。





短く膨らんだジェットのガスは、

一瞬、彗星の尾に見えた。




雲ひとつない。


今日は湿度が低い。


だから

ジェットのガスに含まれる水蒸気はすぐに蒸発し、

ガスの水蒸気が外気に触れてできる水(あるいは氷)もすぐに蒸発し、


今日の飛行機の尾は短い。





薄暗くなった地上から見た。


星が燃えながら真下に落ちていくと思った。






─── <夕食> ────





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by moriheiku | 2007-11-22 08:00 | つれづれ

お稽古



 
わたしが世界で一番緊張する人は、

笛の先生。
 





─── <夕食> ────





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by moriheiku | 2007-11-21 08:59 | 音と笛のまわり

手すり

2007/11/21
手すり 「徒然日記(45581)」 [ 一般 ]






 
月が太り、
 
夜、ベランダに落ちる手すりの影がさやかだ。
 




─── <夕食> ────





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by moriheiku | 2007-11-21 08:00 | 言葉と本のまわり

録画の小袖曾我


先日録画した能 小袖曾我を観た。

ぐぐっと見入っていた。

あーー  面白すぎるーー 。


筋に共感というより、
舞台の上の動きや声や音が、ただただ、楽しー。

ずーっと見ていたーい。


若々しい白袴の曾我兄弟。
でも、直面のお顔には年輪が。

しかしお能は、男が女を演じ、
生者が幽霊を演じるのだから、
年配者が若きを演じても。
抽象的に見て、と。


父を殺された兄弟は、
力を合わせて父の仇を打とうと、仇討ちの機会を待っていた。

母は、父の菩提を弔うよう出家させたはずの弟が、
母に無断で寺を出奔し、その後元服をしたので
これを勘当した。

いよいよ機が熟し、仇討ちへ赴くこととなった兄弟は、
母をたずねてやって来た。

母は勘当を許さない。
しかし、
息子らは仇討ちに赴き、これから死ぬかもしれない。
暇乞いに来たのだ。
御簾の向こうでこんなふうに心情を吐露し、
目の前から去ろうとする息子等を。
どうして放っておけようか。


まだ許されない兄弟が、

泣く泣く立って出でければ

母は声をあげ

あれ留め給へ人々よ



ううっ。 (泣)

っと思いつつ、心のどこかで、
許すぞ許すぞ、て、
許しちゃうワケ~~~~、おかあはーーん。



それにしても、この時代は母権が強かったのね。
おかあはんの意見は重かった。鎌倉時代の武家。
そゆのわかるのも面白い。

現代日本なら自分の母親に
「出家して父の菩提を弔え」と言われたとしても、
「なんで。オレの将来、自分が決める。ケッ。」
くらいのこと言いそう。
(ケッなんて悪い言葉は、私の黒い心から出た脚色・・・黒い、黒いわ私・・涙)


子供の頃決められた出家とはいえ、
その母の意見に逆らうことや勘当の意味を、兄弟は重く受け止めている。
そうか。

母の意見を重く受け止めるということは、
母の意見への信頼感があったの?
つまり母親への信頼感?

「打たれても親の杖」って、えらい。ええ子や。
この人は、常に自分たちのことを考え、そう決めた、
そう思えるからこその信頼感か。む~。


でもいいやーそんなことー。

だって男舞、始まるんだもん♪♪

母に勘当を許され、仇討ちの門出の宴に喜び舞う兄弟。
二人で舞う相舞。男舞。

お人形のように揃いで、
足を踏み鳴らすだけで、どっきどき。

場面展開にもわくわくどきどき。

相舞とか、このくらい変化の多いもののだと、
お能に慣れない私も集中して見られそう。

お能のこと、知らないけど、
謡と囃子と舞の全てが関わりあって、
場面を作るのね。



仲の良い兄弟の話。
でも。

出家たあ、執着を捨てるってえことよ。

仇討なぞ執着中の執着。

捨てろ。


と言いたい気は残る。




爽やかな若い役者さんがされるとどうなるのかな。

若い兄弟の話だけど、
笛は、ストレートにさっそうと威勢がいいっていうのとは違って、
物語感があった。ような。

まだ私は何も考えず吹くだけ。


言葉もとっても面白かった。
謡の本を見てみたいけど。
目で見ると、読めなそう。私には。



─── <夕食> ────





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by moriheiku | 2007-11-17 08:00 | 音と笛のまわり

伝運慶


つづき
 
台風以来のまとまった雨になって、
真ん中の日は、
吉野と熊野の境の山に行くつもりだったけど、
崖崩れや落石のある場所だから断念した。

奈良市内に居て、
佐保の大伴家持を追うような感じになった。


さっきから、替えの靴を持ってきていてよかったと
ぐるぐる考えていた。

もう足元はずいぶん雨に濡れてしまったから、
春日大社のあたりからちょっと下りて、
奈良国立博物館に入って、雨宿りと見学をした。

数日後からはじまる正倉院展の準備で、
新館はクローズ、本館のみオープン。

お仏像の殿堂。
何度来ても思いがけないほど時間がたつ。
今回も長く見ていて、
一通り見たあとは、いくつかの仏さまと木彫を幾度も戻って見た。

運慶作かとも言われる狛犬にも何度も足が向く。
頭に一角を持つ吽形のほう。

江戸の唐獅子調でない狛犬だ。
ずんぐりしたところはひとつもない。

木彫木像だが、
背中の毛と皮の下を通し、筋肉が、
今にも蠕動するかと思う。


もし、柔軟な鋼というものがあれば、
運慶の作るものはそれだ。

鎌倉期の建築や仏の像は、
どうしてこういう表情を持っているのか。

余計な肉付けのない、発達し締まった筋肉。

実際には骨のない木彫の、
身体の中心に太く骨が通るのを感じる。

気は丹田に静かに落とし、
背筋は立ち、胸が張られ、
吹いている風に向き合っているような。

力がみなぎっている。
その中の優雅。

建築や仏像木彫に見る鎌倉期の気風が好きでたまらない。
かっこいいーーー。

気風って言葉ぴったり。


皆、その気風に運慶を見て、
伝運慶がある。


同じ時期の思想、
平安末期から鎌倉期にいたる頃興った仏教思想も同様に、

法然、親鸞、栄西、道元、日蓮、あと一遍、明恵、

心を揺さぶる。



あ、あと、奈良時代が好きなんだけど。


人でない、人感の薄い、
抽象的な神像にも、気風はある。

この狛犬のたたずまいは、実際見ないとわからず、
見ることができてよかった。

談山神社の狛犬(伝運慶)に似ている。
先程の手向山神社で、伝運慶の狛犬(吽形 一角)獅子(阿形)の対が見られる。



私の判官びいきもはなはだしい。
大伴家持のこと。
大伴家持には、なによりきれいなところがあるから。

つづく

─── <夕食> ────





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by moriheiku | 2007-11-16 08:00 | 歴史と旅

多く知っているかどうか



誰かの中に、
ひとつ、きれいなところがあればいい。

誰も侵せないきれいなものがひとつ。あれば。
それはその人だから。

時にぶれても、
心の中心は、
そこだけを見る。


きれいなものがなければ、
縁は遠い。



その人について多くを知っていることが、
その姿を見ていることにならない。

きれいなところがあるかどうか。

多く知っているかは、私はどうでもいい。





─── <夕食> ────





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by moriheiku | 2007-11-16 08:00 | 言葉と本のまわり