地形を旅した 風土と森



つづき


高天彦神社本殿の、背後の山は神聖視されていた。

社がつくられ神社になって、御祭神が置かれているが。
もとは、三輪山など
大和盆地を取り囲む山々によく残っているように、
山自体が神聖視されていた。


これは厳密には、山=神というのでなく、
敬うべき何かが、その山に鎮まっている、そうした考え方だ。

あるいはその山に、敬うべき何かが顕れている、というべきか。



社(屋代)が作られるより前の時代は、
祭の度に、神域の山々に、神を迎える場が設けられた。

それはいつも同じ場所とは限らず、
時々で場所は変わった。

今も神奈備、神山とされる山中に、
そうした遺跡がある。



四方を山にとり囲まれた大和地方では、大昔、
山に神が鎮まって居られると考えられた。


教祖のない、原始的な自然信仰は、
その土地の風土の上に成り立つ。




山、ひいては森が大切だと考えられていた。

その感覚は、現代では忘れ去られているように見える。

鎮守の森を背後に持つ神社も、
時を経て、
社のみを残し、後ろの森が伐りはらわれる。



つづく
by moriheiku | 2008-11-29 08:01 | 歴史と旅
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