みつ 08 大伴の御津(みつ) からのつづき 大伴家持は、奈良を中心に、難波などいくつかに京が遷った時代に生きた。 天平勝宝の頃、兵部省の兵部少輔に任じられた。 軍事部門のナンバー2、3くらい。 家持は、難波で、 これから筑紫へ向かう防人の検校をした。 ここでも防人歌は収集され、自らも詠んだ。 万葉集の中で光を放つ防人の歌が集められた。 軍事に関わるということは、 命の際に身近な立場でもあったということだろうから。 軍事の現場に居つつ、歌人の魂か。 なにかのピースは大伴家持につながる。 そういう時代ということかな。 どんな景色だっただろう。 大伴の御津(みつ)と呼ばれた大阪難波の御津は。 今はアメリカ村のあたりで、混んでて。 なかなか行く気になれない。 古代には、みつ(御津)・つ(津)はただ港ということではなかった。 威力・霊力の満ちた水の寄せる神聖なみつ(御津)・つ(津)から上陸すること、 みつ(御津)・つ(津)から出港することに大きな意味があった。 こうした考え方のみなもととなっているのが、うんと遠い時代の、 海の彼方にイノチの湧くところイノチの往くところがあると考えられていたことで、 渚の神聖に見る 海の彼方に対する思想とその変遷 ・2012-01-20 中世芸能の発生 421 若水 渚に寄せる水 ・2012-01-21 中世芸能の発生 422 渚の砂 うぶすな 産砂 産土 ・2012-01-22 中世芸能の発生 423 白砂 白沙 お白州 古墳に見える 海の彼方に対する思想とその変遷 ・2011-08-16 中世芸能の発生 408 『他界へ翔る船 「黄泉の国」の考古学』 ・2011-08-16 中世芸能の発生 409 船の棺 上記リンクに見えるように、 古代には、みつ(御津)・つ(津)はただ港でなく、 海のかなたのイノチの湧くところから威力・霊力の満ちた水の寄せるところであって、 したがって海から神聖なみつ(御津)・つ(津)に上陸すること、 あるいは、みつ(御津)・つ(津)から出港することは、 大きな意味を持ち、 それはイノチの満ちた水の寄せる神聖(威力・霊力)を帯びるということになるのだった。 それが、天皇が沖から寄せる水のようにみつから上陸することや、 遣唐使や、大陸へ出兵する兵士や、防人たちが、 みつから出港しみつへ戻ることの意味。 大伴のみつ(御津)。 そういう場所に屋敷を構えていた家持よりも前の時代の 大伴氏の力の在り方が沁みる。 古来の氏族なのだ。 みつ ・2008-01-12 みつ 01 水 折口信夫 ・2008-01-13 みつ 02 水 津 ・2008-01-14 みつ 03 常世の水のとどく川 ・2008-01-15 みつ 04 みつかは みかわ ・2008-01-16 みつ 05 みあれ ・2008-01-16 みつ 06 春の若水 お水取り ・2008-01-17 みつ 07 ひくま ・2008-01-21 みつ 08 大伴の御津(みつ) ・2008-01-22 みつ 09 みつから防人へ ・2009-01-12 山上憶良 早く日本へ大伴の御津 大伴家持 ・2009-03-17 「奈良の世の果ての独り」 家持の歌 ・2009-09-10 時の花 ・2009-09-09 清き瀬を馬うち渡しいつか通はむ ・2009-09-06 毎年に鮎し走らば ・2009-09-23 中世芸能の発生 203 狩猟 採取 ・2009-09-07 珠洲の海 ・2009-09-08 言語美 ・2010-02-11 中世芸能の発生 274 イノチ ユリの花 ・2009-12-12 中世芸能の発生 264 いや重(し)け吉事(よごと)
by moriheiku
| 2008-01-22 08:00
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