中世芸能の発生 14 浄土信仰



つづき

仏教には、仏教が伝わる前は人々が持たなかった死後のイメージである極楽地獄の世界があった。

人々は、政争で生活で、様々な罪を犯し、地獄へ行くことを恐れた。
天災、飢饉、戦乱の社会不安と末法の中で浄穢観念を拡大し、
極楽浄土への往生を願った。


この頃、僧侶や修験者(山伏など)の祈祷が盛んに行われると共に、
山岳系、密教系の流れの上に、浄土信仰が生まれた。




人々は、臨終の床にやってきて
極楽浄土へ導いてくれるという阿弥陀如来を深く頼んだ。

平安貴族は、盛んに阿弥陀如来を本尊とする寺院を建て、
念持仏を持ち祈った。


阿弥陀如来による救いを願った貴族らは
いよいよ亡くなる間際、その床に屏風に描いた来迎図を据えた。
雲に乗り、仏たちが迎えに来る画だ。


来迎図は装置だった。
中心に描かれた阿弥陀様の手元から、五色の紐を伸ばし、
紐の反対側の端を旅立つ人の手に握らせ、
いまわの幻を見させた。
臨終の苦痛を減らした。


送る者も旅立つ者も、共に極楽浄土への旅立ちを願いながら
死に向かった。あの世へ送った。


望月の世を極めた藤原道長もそうして亡くなった。

宇治の平等院鳳凰堂は、
平安貴族が夢見た極楽浄土を映した建物だ。



平等院のご本尊は鳳凰堂の本尊阿弥陀如来像で、仏師定朝作。
仏像の寄木造の技法は、この頃定朝によって完成された。
一本の木から彫り出す一木造でもなく、金属を鋳流す金銅造でもなく、
塑造でも乾漆でもないこの技法は、
当時の大量の仏像の需要に応えること可能だった。
この技法を持って、運慶快慶らの慶派は南都復興に活躍した。


つづく
by moriheiku | 2008-09-16 08:00 | 歴史と旅
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