表現の根





結局私の興味のあるところは、
古代史でなく、

余計のない、根源的な、オリジンの体感と、
その表出だ。

そこに身体をひたす。



先日テレビで、
ラフマニノフのピアノ協奏曲がとりあげられていた。

ピアニストの中村紘子さんによる、
ラフマニノフのピアノ協奏曲が流れた。

中村紘子さんがピアノを前に、
ラフマニノフのピアノ曲について説明されたシーンがあった。

例えばここを楽譜のまま弾くとこういうふう。
「そこに音楽を加える。」
するとこういう音になる、

そう説明しながら弾かれた。



音楽を加える。


音符に、演奏者の内面を通った何かが付与される。





同じ事象が目の前にあっても、
そこから何を拾い、何を結び付けるかは、
人それぞれだ。

それは例えば技術や、学問もそうで、
その人の身体を通ってあらわれるものがある。

様々な発見は、すでにあるもの、の中から見出される。


身体をとおって、
かたちを持たないもののかたちは掬いだされる。




表現は、いつもそこにつながって表出するもので。

どこかのなにかや、
どこかのだれかをとおってあらわれる。





ただどこかにのっかり気持ちよく吐きたいだけのものは、
表現の根につながることのないもの。








・2008-12-16 本来空

・2007-09-19 ヨリシロ
by moriheiku | 2008-08-02 08:00 | 言葉と本のまわり
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