「仮名序」カナを使う意味


初の勅撰和歌集、古今和歌集は、
二つの序文がある。

一つは「真名序」。
も一つは「仮名序」。

「真名序」は漢文で書かれた序文、
「仮名序」はかな文字で書かれた序文。

「仮名序」の執筆者は古今和歌集の編者の一人、紀貫之。

「仮名序」は、初めての仮名(カナ)で書かれた歌論であり文芸評論と言われる。



それまで正式な文書は、漢文の文法で、漢字表記で記されてた。

万葉集歌は、ほとんどが日本語の文法で詠われているけれど、
文字表記は、日本語の音に似た漢字をあてはめた漢字(万葉仮名)だった。

徐々に仮名(カナ)が発達して、
古今和歌集にきて、
日本語の文法のまま日本語の音を記した仮名文字が、
正式な表記に取り入れられた。



紀貫之の書いた「仮名序」は、

やまとうたは、ひとのこころをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける

で始まる。あのフレーズ。




世の中にある人、ことわざしげきものなれば、心におもふことを見るものきくものにつけていひい だせるなり、花になくうぐひす、水にすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるものいづれかうたをよまざりける、ちからをもいれずしてあめつちをうごかし、めに見えぬおに神をもあはれとおもはせ、をとこをむなのなかをもやはらげ、たけきもののふの心 をもなぐさむるは、うたなり


さらに、和歌の成立と変遷、歌の分類、知られた歌や歌人を例にあげた批評、
古今集をまとめることになった経緯、意味等が続く。

流れるように、あるいはたたみこむように文に織り込ませた、
美しいフレーズの数々も、
紀貫之の並々ならぬ和歌への想いが伝わり
胸を打たれる。



古今集編纂の政治的な意味を越えて、
“勅撰”和歌集の編纂を通して、
漢文よりも、日本人の心に直に寄りそう仮名(カナ)を使うことの意味を、
間接的にも理解する。

当時も。現代の私も。



「仮名序」和歌の背骨
by moriheiku | 2008-02-01 08:00 | 言葉と本のまわり
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