中世 05 思想



つづき



鎌倉期に新たに開かれた仏教思想の祖である
法然、親鸞、栄西、道元、日蓮たちは比叡山で学んだ。

私は歴史をよく知らないけど、
彼らが山岳仏教の比叡山で学んだ経験は、大きな意味があるだろうと思う。

原始的な民俗信仰、自然信仰など
宗教史的には宗教以前の呪術に分類されうような自然の体感のような感覚は、
彼らが比叡山で仏教を学んだ時代にもまだ叡山に生きたままあって、

こうした山岳仏教の感覚は、彼等が留学し帰国しても、
彼等の身体から失せきらなかったと思う。
・2008/07/12 神仏習合思想と天台本覚論 05

東大寺だけで学んだというものとは異なって、
山岳仏教は古来の民俗信仰の流れが濃い仏教のように見える。


一般の人々にとっての仏教は、
大陸の仏教とはちょっと異なる日本的な神仏混淆の仏教思想だったが、
民衆の間に仏教思想が広まった。

ただ一般の信者は僧と違って自然の中や寺院での修行はしない。
僧ほど身体を使って行をしないし、できない。

それで
生活の中の何かを、あるいはひとつひとつを、一心にすることが、
禅定や三昧という仏道の一つになりうるという考えができていったし、

鎌倉新仏教と言われる仏教の宗祖たちの説く、
念仏を唱えること、座ることが成仏につながるという
新しい仏教思想に救いを見て、
人々はそれを支持した。



一遍上人は、
比叡山で長く学んだ人たちとは少し方向性が違ったかも。

踊り念仏で身体を動かす、
また自ら身体を動かさないまでも踊り念仏を見ることで、
お題目を唱えることだけでは生まれない身体の感覚を呼ぶような
ところがあったんじゃないかと思う。

ロックフェスのような、
身体の内々のものを動かすコンサートのような気分の高揚というか。
それを救いにつなげた。

それで踊り念仏は世を席巻したんじゃないかなあ。

勉強不足で想像だけど。



一遍上人は身は宗派を作らなかったそうだが、
一遍からはじまった時宗は、鎮魂や葬送、芸能に関わることが多かったようだ。

踊り念仏の行為のような高揚は、
論理的、哲学的で体系的な宗教以前の、
原始的な体感の部分と直結しているようにみえる。

古い民俗の色が、他より濃いというか、ダイレクト。




仏教より前の民俗信仰 
・2010-05-14 中世芸能の発生 309 はやし はやす
・2009-12-09 中世芸能の発生 261 たまふり たましづめ 鎮魂



庶民にとっての仏教
・2009-05-28 中世芸能の発生 136 優しい誤解
・2009-05-25 中世芸能の発生 133 俗の土壌
・2009-05-27 中世芸能の発生 135 伝統芸能の土壌
・2009-05-24 中世芸能の発生 132 説経・唱導のストーリー



今様をひたすらすることも仏道になりうる
・2010-05-21 中世芸能の発生 316 今様即仏道 芸能者と仏教



つづく
by moriheiku | 2008-07-20 08:01 | 歴史と旅
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