恭仁京05 大極殿




つづき




あ、そうそう、

恭仁京、大極殿跡にももちろん行った。


木津川の右岸、
大河の流れを南にして、北の山までの間の平らな土地、

今はなだらかに畑の広がる中に、恭仁宮の跡はある。


大極殿跡のすぐ隣には、恭仁小学校があり、
木造校舎がひじょーーに味わい深い。

遠くなっても、ふるさとを思う、
郷土を愛しつづける心が養われそう。


それにしてもこの小学校建設の際は、
色々出土したはず・・。





大極殿跡は、周囲の地面から一段高くなっていた。
土壇の上は、今はさして広くない草原で、

西の隅にほんの小さなお堂と、
石塔と、礎石が、
草の間に見える。



大極殿のすぐ東には、
畑の中、唐突なくらい
空に届きそうな大木がぼんぼん生えている。

ここが、ここで書いた御霊神社があったところみたい。


その茂りの南端には、塔の跡がある。



恭仁京から京が移ったあとは、
宮あとは国分寺にされた。


宮の大極殿は国分寺の金堂になった。

塔の跡は、その国分寺の塔の跡(礎石)。



御霊神社は、神仏習合の頃のことで、
国分寺の中におまつりされていた社だった。



大極殿跡の、周辺の畑はコスモスが満開で、
コスモスを見に、たまに人が来て、車を止めて見ている。




御霊神社があったらしい大木の茂る下では、
誰かが熱心に笛の練習をされていた。


能の笛でなくて、リコーダー?


いいなー。




つづく






─── <夕食> ────







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by moriheiku | 2007-10-24 08:01 | 歴史と旅
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