葛城国と倭国 06




つづき


日本に仏教が伝わったのは、公式には538年、欽明天皇の時代とされることが多い。
(日本書紀では552年。)

これは覇権に勝ったヤマト王権の記録から見たもの。



葛城国は、ヤマト国より朝鮮半島と近しかったと考えられる。

葛城には、古いたたらの跡(和鉄の製造跡)がある。
鉄の原料は朝鮮半島南部のものだし、
葛城には渡来系の人(帰化人)が多く住んでいた。
紀の川は外国とつながっていた。
難波が大陸と京をつなぐ海の玄関となったのは、
ヤマト政権が固まってからだろう。

ヤマト政権が国々を統一するより前に、当然、大陸の文物は葛城国に伝わっている。

伝わっていたのは人や、鉄などの資源だけでない。
文字、仏教道教、暦、他の文化や宗教も伝わっていたはずだ。




日本で文字が使われたことが確認できるのは飛鳥時代頃から。
口承の伝統があった。

しかしもっともっと昔、卑弥呼の時代には、
すでに倭国は中国に正式な使者を送りやりとりしているのだから、
少なくとも弥生時代後期には、
卑弥呼とその周辺は文字を使った。


葛城に渡来の文化が伝わり溶けこむのに、充分な時間が経っていた。



つづく
by moriheiku | 2008-05-26 08:02 | 歴史と旅
<< 葛城国と倭国 07 葛城国と倭国 05 >>