日本語の主語省略について 覚書04



つづき



日本語の文章に多い、主語を省いた文章の組み立てに、
大きく影響を与えていると思われる二つの要素のうち、
二つめ。
日本的思考の日本的な思考の組み立て方について。




日本的というのはあいまいだが。

この場合は、現在の日本の土地あたりで生活し、
日本語の原型を使ってきた人々をベースと見る。






日本語は、
言葉で意味を限定し限定した意味を持つ言葉を組み合わせていくことで、
ある世界を構築していく、
そういう言語ではない(なかった)。


ことばを、一つの意味に限定せず、
一つのことばに複数の意味を含ませることで、
別のイメージを広げていく。

日本語はそういう言語。

それが日本語的発想だ。

そうした思考の組み立て方をしてきた。



文字を持たない時代、
人々は、ものや現象に、名前とそれを表現する言葉をつけた。
そのものにふさわしい音をつけた。

共感覚にも似た、人々に共通する感覚を喚起させる音で呼んだ。


あるものに似たものや現象は、
それにふさわしく、
それに似た音が与えられた。

やはり共感覚や比喩のようなものだ。



人々に共通して呼び起こされる共感覚にも似た共通の感覚自体は、無意識のものだが、
古代の日本人は、その無意識に起こる感覚を、意識的に利用した。




和歌では、かけことばや縁語を使い、
言葉以上の、重層的なイメージや、別のイメージをあらわした。


あらわしたいことを表現するのに、
限定された意味のレンガを積み上げてあらわしたい形を作るく方法はとらず、
そのような方法をとった。



だから、日本語の古典は、
主語をつけてしまえば、
意味が狭く限定され、
表現したい肝心のものの意味、イメージを表すことがができない。


一つの言葉を一つの意味に限定する主語というものを使っては、
古典の世界は成り立たない。

思考できない。



であるから、
あえて主語をつけない。


これが、
主語を省く文章を使うことになった理由の
二つめ。



つづく







─── <夕食> ────







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by moriheiku | 2007-06-16 08:00 | 言葉と本のまわり
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