はやし



「囃す(はやす)」 と 「栄やす(はやす)」 は同源と言われる。

「はやす」は魅力的なことば。

「はやす」は、
音に関わることだけでなく、
色をつける、磨き輝かせるなどの意味にも使われている。

語の音からも、
「生やす」 も 「林」 も同じ根であることは想像がつく。


「囃す」と「栄やす」は、魅力的に符合して、
「囃す」は「栄やす」からきていると言われることも多い。

しかしこれらは同源ではあるが、
「栄やす」から「囃す」が生まれたとは言えない。


お能の囃子、笛を習う私に偶然。
先日来、続けて読んでいる折口信夫の本の一冊 『の発生』 に、

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     一六 松ばやし

高野博士は、昔から鏡板の松を以て、奈良の御(オン)祭の中心になる――寧、田楽の中門口の如く、出発点として重要な――一(イチ)の松をうつしたものだ、とせられてゐました。当時、微かながら「標の山」の考へを出してゐた私の意見と根本に於て、暗合してゐましたので、一も二もなく賛成を感じてゐました。

処が、近頃の私は、もつと細かく考へて見る必要を感じ出して居ります。其は、鏡板の松が松ばやしの松と一つ物だといふ事です。謂はゞ一の松の更に分裂した形と見るのであります。松をはやすといふ事が、赤松氏・松平氏を囃すなどゝ言ふ合理解を伴ふやうになつたのは、大和猿楽の擁護者が固定しましてからです。初春の為に、山の松の木の枝がおろされて来る事は、今もある事で、松迎へといふ行事は、いづれの山間でも、年の暮れの敬虔な慣例として守られて居ます。おろすというてきると言はない処に縁起がある如く、はやすと言ふのも、伐る事なのです。はなす・はがす(がは鼻濁音)などゝ一類の語で、分裂させる義で、ふゆ・ふやすと同じく、霊魂の分裂を意味してゐるらしいのです。此は、万葉集の東歌から証拠になる三つばかりの例歌を挙げる事が出来ます。

囃すと宛て字するはやすは、常に、語原の栄やすから来た一類と混同せられてゐます。山の木をはやして来るといふ事は、神霊の寓る木を分割して来る事なのです。さうして、其を搬ぶ事も、其を屋敷に立てゝ祷る事も、皆、はやすといふ語の含む過程となるのです。大和猿楽其他の村々から、京の檀那衆なる寺社・貴族・武家に、この分霊木を搬んで来る曳き物の行列の器・声楽や、其を廻つての行進舞踊は勿論、檀那家の屋敷に立てゝの神事までをも込めて、はやす・はやしと称する様になつたのだと、言ふ事が出来ると思ひます。畢竟、室町・戦国以後、京都辺で称へた「松ばやし」は、家ほめに来る能役者の、屋敷内での行事及び路次の道行きぶり(風流)を総称したものと言へまして、元、田楽法師の間にも此が行はれて居たのであります。其はやしの中心になる木は、何の木であつたか知れません。が、田楽林(ハヤシ)・林田楽など言ふ語のあつた事は事実で、此「林」を「村」や「材」などゝするのは、誤写から出た考へ方であります。

此が、後世色々な分流を生んだ祇園囃しの起原です。元、祇園林を曳くに伴うた音楽・風流なる故の名でしたのが、夏祭りの曳き山・地車の、謂はゞ木遣り囃しと感ぜられる様になつたのでした。だから、祇園林を一方、八阪の神の林と感じた事さへあるのです。勿論、祇陀園林の訳語ではありません。此林田楽などは、恐らく、近江猿楽の人々が、田楽能の脇方として成長してゐた時代に、出来たものではないのでせうか。

此松ばやしは、猿楽能独立以後も、久しく、最大の行事とせられてゐたものではありますまいか。此事も恐らくは、翁が中心になつて、其宣命・語り・家ほめが行はれてゐたものと考へられるのですが、唯今、其証拠と見るべきものはありません。が、唯暦法の考へを異にする事から生じた初春の前晩の行事が、尠くとも二つあります。即、社では、春日若宮祭りの一の松以下の行事、寺では興福寺の二月の薪能です。此等は皆翁や風流を伴つてゐました。其ばかりか、脇能も行はれてゐたのです。薪能は田楽の中門口と同じ意味のものであつたらしいし、御祭りは全く、松ばやしの典型的のものであつたものと言へます。此場合に、松は、山からはやして来たものでなく、立ち木を以て、直ちに、神影向の木――事実にも影向の松と言つた――と見たのです。翁は御祭りから始まつたのではなく、其一の松行事が、翁の一つの古い姿だつた事を示すものです。二つながら、神影向の木或は分霊の木の信仰から出てゐます。薪能の起りは、恐らく翁一類の山人が、山から携へて来る山づとなる木を、門前に立てゝ行く処にあつたのであらうと思ふのです。かうして見ると、八瀬童子が献つた八瀬の黒木の由来も、山づとにして、分霊献上を意味する木なる事が、推測せられるではありませんか。此が更に、年木・竈木の起りになるのです。
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もともと「はやす」は、伐ること。
「はなす」「はがす」などと一類の語で、分裂させる義。
「ふやす」と同じく、命の分裂と増殖を意味している。


きること、はなすことは、ふえること。
減らない。


山からこれという木を伐ってきて各家に分けてまつる年末の行事(神事)は、
木を伐ることも、その木を運ぶ曳き物の行列の楽器や声楽や行進や舞踊も、
檀那家の屋敷に立てての神事までみな含めた一連を、
はやす・はやしと捉えられていたようだ。


「はやす」「はやし」は、
輝く木の命を分けて、その生命力にあずかる行為全体のこと。




「はやす」は、
「生やす」と結んでる。
「栄やす」を内包する。

そして「囃す」「映やす」へ。



日本の神霊は分霊する。
天照大神が分霊され津々浦々の神社の祭神となっていることや、
各地に熊野神社があることなどに見られるように、
日本の神々は分けて(分霊)増やせる特徴がある。

本体は分けても減らない。分けて増えるのだ。

「はやす」こと「はやし」は、
日本の命の考え方の根元にある。





文字より前からある言葉は、
文字の意味でなく、
音でとらえると、
いろんなことが感得できる。
大きくとらえられ、応用できる。


ことばを、
文字にせず、音としてとらえるとき、

知識としてでなく、
そのことばの含む重層的な感覚が、
体に、染みて、透っていくようだ。
かつての人々の感覚も。






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by moriheiku | 2007-04-18 08:00 | 言葉と本のまわり
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