恭仁の大伴家持と紀郎女



つづき


恭仁の地の美しさを多くの万葉人が歌に詠んだ。
家持も恭仁で沢山歌を遺してる。

緊迫する政治の中に身を置きながら、
あの紀郎女との冗談ともちょっとの本気ともとれる楽しい歌のやりとりの数々も、
この恭仁でのもの。


・戯奴(わけ)がため 吾が手もすまに 春の野に 抜ける茅花ちばなぞ 食して肥えませ
                                  紀郎女

 (あなたのために、私がせっせと春の野で抜いた茅花ですよ どうぞ食べてお太りなさい)



・吾が君に 戯奴(わけ)は恋ふらし 賜りたる茅花を喫はめど いや痩せに痩す
                                  大伴家持

 (あなたに恋しているみたいです いただいた茅花をいくら食べても 恋しさに痩せる一方です)



戯奴(わけ)は身分の低い人への呼び方で、
家持のような貴公子に対しては本来は使わないのだけれど。
二人は冗談で使ってる。
家持もわざと自分を戯奴と言って恋の奴隷のフリで遊んでる。

家持、やせてたのかな。

このやり取りはともかく。
紀郎女と交わした歌には、軽く交わす楽しさの中に一片の切なさがあって、
なかなか好きだなー。

達者な人同士の歌は、すてき。
そういう人同士の歌は、よくあるように、
無粋な進入で相手の世界を壊すこともなく、
相手のすてきさがいっそう生きる。
相手を生かすやさしさが自然にあると思う。

ウソの恋歌でも、
そんな親しく楽しいやりとりのできる達者な者同士の歌だからこそ生まれる
切なさのかけらがある。
物語の中の真実みたいな切なさのかけらが。



百人一首の中納言兼輔の歌にも、恭仁京の景色が織り込まれている。

・みかの原 わきて流るる いづみ川 いつ見きとてか 恋しかるらむ

いづみ川(泉川)は、恭仁京のあった加茂町を流れるている現在の木津川のこと。

(泉川は、東大寺大仏殿のため切り出した材木を運搬に使われた。
 それで泉川から木津川に名に変えられた)

みかの原は、盆地を大きく蛇行する木津川の、
今でも広々した気持ちの良い河原だ。
今回通れてよかったー。

「わきて」と「別けて」、「いつみ川」と「いつ見」をかけている。
「いつみ川(泉)」から「湧く」を連想させる。

みかの原は甕の原、瓶の原、三香原などと文字に書かれていた。


現在の恭仁小学校のあたりにあった恭仁宮の、
木津川を挟んで斜め対岸には甕原離宮もあったようだ。
by moriheiku | 2006-10-29 08:00 | 言葉と本のまわり
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