『折形』が手元にあること

母が梅干を漬ける時に使った赤紫蘇を、ゆかりにして、くれた。
白い半紙に包まれていた。

先日来、個人的に流れのきている“折形”。

▽折形 こういうの
折形デザイン研究所   It's New!
http://www.origata.com/its-new/its-new_main.html


折形レッスン
折形レッスン  美しい日本の包み方


もらったゆかりは、その折形の、
粉などの細かいものを包む包み方で包んであった。


読んだ折形の本いくつかによると、
折形は、紙の普及とともに発生し、
室町時代にはすでに贈りもの贈る際に和紙で包む作法(折形)が、
武家の礼法として確立していたそう。
その時代からのものらしく、長いこと口伝で伝わる秘伝だったようだ。

紙が量産され、紙が庶民にも身近なものになった江戸時代には、
折形は一般にも広まり、なんとその頃は折形の流派がたくさんあったそうなのだ。
ぜんぜん知らなかったー。

それは礼法というより、奇抜なアイディアのものも含めて、
面白い形を考え出し、折ることを楽しむ要素も大きいものだったらしい。

その後、明治中期から昭和の初期頃までは、
折形は高等女学校や女子師範学校の作法の教科書に載っていたそうだ。
えー!

折形が今に近い時代(昭和)にもそのように身近なものであったこと、
私は、本を読んで、はじめて知った。



昔、祖母がお小遣いをくれる時、
半紙にお札を包み渡してくれた。
その包み方がそういうシチュエーションに沿った
紙と紙幣包みの折りかただったことが折形の本を見てわかったり。

母は習字を教えており、
半紙は母にとって子供の頃からごく身近なんだけど、
今回母がゆかりをくれた包み方も、
粉様のものを包む粉包みの折形の一つだったり。

それらは折形が身近だった時代の余韻なのね。

私は全然知らない。時代で育ち方の違いを感じる。



戦争は多くのものを失わせたことが前よりわかった。

折形も多くの流派があったが、戦争でいちどきに失せたそうだ。
戦争を境にライフスタイルは急激に変化し、
紙を折る折形の文化は日常から消えたようだ。
今は御祝儀袋など、特別な時のもの。


私は現代の育ち方をしているので、
折形が学校で習うべきかどうかと問われれば疑問。

ただ折形ひとつからも、多くを知れるのは確か。

自分が包みづらくても、相手が開きやすいように包むなど、
相手を敬う気持ちの表現や、

太陽の方向、左上に向かう線が吉。右前が吉。など
昔からの習慣や、

太陽の光をあらわす白がよいもの。
紅白の水引なら太陽の光をあらわす白を左に。
金銀の水引なら太陽の光をあらわす銀を左に。など。

古代から人々が何を大切にしいかに生きたかの一端が折形からもわかる。
天体の動きや陰陽思想が日本に伝わり、
日本古来の思想とつながっていった系譜。

使う紙の種類のあれこれと、その時にそれを使う理由。
折形の歴史から知れる様々。

折形にそういったものが含まれてる。
うんと古い古い時代の思想が折形として手元にあって、
あらわれているものなのだった。


折形ひとつみるだけでも、
色んな環境や時代があり、色々な人々がいて、生き、
色んな考え方があったことがわかる。


世界にはいかに多くの知らないことが満ちているか。
自分の想像も及ばないものへの敬意を養う。
by moriheiku | 2006-09-01 08:00 | 言葉と本のまわり
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