『功名が辻』 修羅とオープニング


NHK 大河ドラマ『功名が辻』第11回。まだ見続けてます。


山内一豊等は、織田勢として比叡山の焼き討ちに加わる。
通常の戦とは違う。仏に罪はない。叡山の僧の全てが破戒の僧ではない。
疑問や恐れ、わだかまりを抱きつつも、上官の命令に従って、
僧や女子供を殺し叡山を焼かねばならない。

一豊が叡山へ赴いた後、妻の千代は一豊の母法秀尼に会いに行く。
そこで法秀尼が千代に

「一豊が戻った時は明るく迎え、
 戦場で夫が背負った修羅を、静かになぐさめてやってほしいのです。
 そして、一豊の業を、共に背負ってやってほしいのです。」

と言うセリフがあった。

こんな一言、この一言だけでも作品中で言えたら、
作家さんは本望だろうなあ。

“修羅を背負う”


千代は
「心得ました。母上のお言葉、胸にきざみました。」
と答えた。

焼き討ちから戻った一豊は
焼き討ちの有様を「地獄絵図じゃ。」と言った。千代は

「殿、殿が地獄にまいるなら、千代も一緒にまいります。
 殿が罪をおかされたのなら、その罪も、千代が背負いまする。」

乱世の夫婦は、修羅も、罪も、業も共に背負うのか。
共に背負う覚悟でいるのか。




クレジットの出るオープニング映像を繰り返し見る。

音楽にのってイメージが形を変化させながら、
立体絵巻の中を抜けていくよう。

次のイメージから次のイメージへ、絵が現れては変化する。

一つのイメージが別のイメージに展開しながら流れる表現手法は
新しいものではない。
四季が移り変わる屏風図、絵巻物の時代から。
手法の新しさが全てに勝るものじゃない。

動画としては、構図、一本の線が流れるライン、変化のタイミング等々、
隅々にまで配慮があるのがわかる。

丁寧に作りぎりぎりまで美しく仕上げられてる。
ほんの数分、数秒でも。

注文を受けて、
注文主の意向に沿いつつ、
こういうものを作ることができたら、
どんなに充実するだろう。
by moriheiku | 2006-03-19 07:52 | 言葉と本のまわり
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