中世芸能の発生 456 国家神道 天皇


つづき


母方のご先祖様は、中世期、今住んでいる所に定着した。
中世頃の先祖の方々について話す時母は、
ちょっとケンカが強かったような人たちのようよ(小声)と言っていた。

はは~~ん。
中世、戦国期の人の移動を考え、また後の時代を考えると、
母方のその辺が察せられる。
野武士山伏系か。

義経弁慶たち一行が山伏姿に変装して頼朝の探索からのがれ
東北までたどり着いたのは、
中世期、勧進などする聖、山伏、僧のような人々が
当時日本中をたくさん歩いていて、山伏の変装が違和感がなかったから。

こうした人々の中には、各地の、
母の家のあたりのような地方の山あいに定着していった人も多い。
中世期には多かった。

こうして土地に定着した人々の中には、勢力をもつようになっていったりして、
戦国時代につながっていく。

山間に山伏系の神楽が残っているのは、
こうした人々が各地を歩き、時には定着していった名残だ。
・2009-09-26 中世芸能の発生 206 山伏の延年
・2009-04-16 中世芸能の発生 108 武士の狩猟民的性質について
うわー、あかんやないの


ともかく、そうした経緯で母方の家系は今の土地に定着し、
それから代々、土地のとある神社のある山を守(も)りをする役をしている。
神主さんではない。
こんときの消防車はその役のために用意された)


母たちの話によると、その神社のお祭りや行事にあたって、
江戸時代までは明治時代からのような特別なことはなかったそうだ。

明治より前は、ほったらかしじゃないけど、その、
なんと言ったらいいのか、
今の宮内省にあたるところから使者でいらっしゃる方も、
使者の方から渡される品々も、
質素簡素、というのじゃないけど、その後とくらべればそういうものでね、と。

母が曽祖父母や祖父母から聞いた話では、
大政奉還から明治になって、それまでとがらりと変ったそうだ。

急に、使者の方々の挨拶(装束も)や行事が大きくなり、
御即位など特別なおりに賜る記念のお品は、
飾りの付いた短剣とか豪華なものになって、
その家の人はびっくりしたそうだ。


ああそれは。
天皇の神聖の強化のための、国家神道の流れだったのだ。






法律で、天皇を君主と明記しようとすることには、やはり違和感がある。

名前のなかったもの、名前のつかなかったものに名前をつけた時、
意味は限定され、変質して固定するから。
あまねくあるものの象徴としての存在から離れたものになる気がして。

しかし世界に通じるものにするためには明文化することが必要なのかな。
むずかしいことでわからないけど。



私は、神道は、
古来広く行われてきた生活態度と一体だった民俗信仰、習俗が、
宗教として社会化され体系化されていったものと考えている。
それでも神道に文字による教義は基本的にはない。

神道につながっているものは、
古来の日本の自然風土と、
そこで暮らしてきた日本人に生活態度のようなもので、
あまねくありつづけてきたもののように思う。


天皇はある時代から存在されている方々だけれども。
排除などされることなくこの国で長くつづいてきた天皇という存在のありかたは
これまで続いてきた日本人と日本という国のありかたのあらわれ。
その表出。

だから天皇というありかたは、
日本の歴史、風土、精神性全てと結びついていると日本人には感じられるし、

天皇という存在と天皇のありかたの否定は、日本人にとっては、
日本の歴史、風土、精神性全ての否定と結びつくのだと思う。

そこを狙って抹殺しようとする中朝の意図はすごいと思うけど。

ともかく外国の人々にはそのあたりがわからないことが多いみたいだけど、
時の権力者の王とはちがうのだ。
王様は国そのものもでもないし、自分たちの一部でもない。

また、上下関係をつけることで物事を判断する人々にはどうしても理解されないようだが、
日本人にとって神聖なものとは、
上にあるものでなく、あまねくあるものなのだ。



日本に限らず、
他国の長く続いてきた王家や、
ある国に続いてきたその国の人々が尊重する象徴的なものを
否定したり貶めたりすることは、
その国のありようの全てを否定し、貶めるのと同じだ。
ものや人への自然な尊重の心がある人ならば慎むのでは。
国でなくどこかの土地でもものでも人でも。




たまに、国家神道時代の天皇への崇敬の形が、
大昔からの天皇への崇敬の形と同じだと考えられている意見をみかけるけれども、
やっぱりそれは少し違うのではないだろうか。

案外長い時代を日本の一般の人々は、
おてんとうさまが見てる、って感じで、
何事か知らないけどありがたいと感じられるようなものやおてんとうさまのようなものを心に置いて
生きてたと思う。




お釈迦様も像を作るなと言いのこしたように、
様々な宗教がその初期には、偶像を作ること、偶像を祈ることを禁じた。
しかし多くの宗教がや、がて偶像を作り偶像を通して祈るようになった。





ただ実感の中で生きて、
むしろ意味や存在を限定するような像や教義、そして名前も、
ほんとうは必要ないのだ。

(と思う私は日本の神道的な考え方をしているんだろうか。)






万葉集  石走(いはばし)る垂水(たるみ)  白木綿花(しらゆふはな)に落ち激(たぎ)つ
・2010-09-02 中世芸能の発生 353 ことほぎ 自然
・2010-08-30 中世芸能の発生 352 滝 木綿花
万葉集に、
白くさらしたふっさりした木綿(ゆふ ゆう)が、木綿花と言われて
滝の飛沫に例えられることには、心が躍る。

急流を駈ける水が
岩にあたって白い木綿(ゆふ ゆう)の花のように咲きつづけるうつくしさは、
自然のエネルギーそのもの。

万葉人の目に、ふっさりした白い木綿(ゆふ ゆう)が振るわれる姿は、
そのように映っていたのだなあ。

上記の歌は、詠み人の感慨であると同時に、ことほぎ。

言わなくてもことばの中に自然のイ(威)があり、
これまでも、これからも、くりかえし咲きつづけるイノチの祝福がある。

万葉人が見飽きないと歌に称えた泊瀬吉野の滝の木綿花(ゆふはな)。

今も山間を駈けくだる水を見れば、
その音に、細かくあたる水飛沫に、山と水の匂いに、木綿花のように咲きつづける水に、
心は躍って(激(たき たぎ))って息を吹き返す。

山に行きたい。





・2012-09-13 中世芸能の発生 447 一ノ瀬、二ノ瀬、三ノ瀬 滝 こぶ取りの翁




・2011-01-27 中世芸能の発生 379 根元
白い水










母の通った幼稚園史  明治、大正、昭和の園児たち
・2012-12-22 幼稚園史

母方の人々  いざ江戸   忠義と消防車  桜の文化
・2013-08-20 消防車 忠義 桜

母方の人々  牛を連れて帰る
・2013-08-21 牛と退職金 幕藩体制の終了

母方の家の言い伝え  母屋は無事だった・・・
・2011-04-07 国土の保全 知恵と伝承

↑母方のエピソードあれこれ。
夫婦で浄瑠璃にくるった代のこととか、
学者のふりをした泥棒にだまされたはなしとか、
打ちたいけど、

あ、父方のはなしも打ちたい気がするけど、


でもそれより、早く松と鹿のこと、打たねば。

めちゃくちゃでもなんでも。

私はそれが打ちたい。ずっと。




つづく
by moriheiku | 2013-08-23 08:00 | 歴史と旅
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