私の遊び



たとえば古代の人々にとって、
古墳に刀をおさめたり古墳の壁に刀を描くことは、
刀に宿るエネルギーをそこへ満たすことで魔を切り払って
死者の死後の旅を守る意味があったと考えられる。

こうした何かにある力にあずかる意識は、
さらに時代を下ると、
神仏のお守りを身に着けることで神仏の霊験に“あやかる”とか厄をよける
という意味にも変化していく。

このように、激しいエネルギー、横溢する生命力で満たすことで
結果として魔、穢れは祓われるという概念と、
もともとのタマフリやケガレ(気枯れ)の観念は同じ根。

古い時代からの、類感の習俗の水流だ。


日本で、
祭祀の道具や古墳の壁画などに描かれた呪術的意味のある画が、
やがて松や鶴など目出度いものを描く吉祥の祝福の障壁画になり、
美しさで心を動かす画になり、
禅者の到達した禅的境地を映す画になり、
現代では画家の心象を描く絵になり、等々、

絵画の変遷と分岐の経緯を感じる。


これら思想・文化の変遷。

私はその根元にあるものと、
それに重なり、影響を受け、混ざりあう思想や文化の変化のさまを、
動く天気図の中に立って見ているように、

実感しようと、

ただそれだけ




私の遊び 実感の遊び
・2009-03-01 草の息
私はずっとそのあそびをしてる。
by moriheiku | 2013-02-15 08:00 | 歴史と旅
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