幼稚園史



ぱお(実家)に寄った。
母が子供の頃通っていた幼稚園の幼稚園史がテーブルの上にあった。
「結構面白い」(by母)とのことで私も見てみた。

昭和の終りに近い頃までが一冊の本にまとめられている。
日本では幼稚園は明治時代からあったそうだ。
幼稚園史には、年毎の集合写真と、園児と先生方の名前、
それからイベントやコメントなどその年書かれたものの抜粋が
少しづつ掲載されている。

私は昔の子供というと、
女の子はおかっぱか三つ編み、
男の子は坊主頭のようなイメージがあった。

けれどそのイメージは間違ってた。

戦前の子供たちは、
男の子も女の子も様々の髪型をしていた。
分け目もさまざま、髪のまとめ方もさまざま。

服装もきれいで、例えば大正時代の制服(園服)?のエプロン?の下には、
美しい柄の着物や洋服を着ていた。
男の子も女の子もエプロンにはきれいなリボンが縫いとめられていた。


古い時代から新しい時代へ、ページを追っていった。

年毎の幼稚園の発行物から抜粋したイベントやコメントが面白い。
ある年のコメント、
「お約束。帰り道に桃を買って帰る人がいます。買って帰らないようにしましょう。」
という内容の寄り道注意のコメントが、当時のことばづかいで書かれている。
園児が寄り道?!園児が桃を買って帰る!って。桃って!
と楽しい。

「大相撲の巡業を見に行って、欠席多数」のことが度々書かれてる。
みんなそんなにお相撲を見に行ったのね!幼稚園を欠席して!
当時人気の力士の名前も見える。お相撲って大人気だったのねー。

おっとりした風情の、
かわいらしい子供時代だ。

しかし戦争が近づくと、
コメントの記述に、教科書に出てきたような事件の名が多く混ざってくる。

やわらかくあたたかだった子供たちの服装は、
ほんの数年で、みるみる地味になり、
女の子の髪型はおかっぱ、男の子たちは坊主頭になった。

足を包んでいたブーツやきれいな草履にかわって、
下駄のような履物が増えた。

白いスーツに蝶タイ、ハット姿の先生も消えた。

写真全体から香り立つ、やわらかく暖かな雰囲気はなくなってしまった。

これはほんとに戦争前の子供たちと年頃の子供たちだろうか。
子供たちの顔もきびしい。

背景の庭の木々もやせている。


水のような染み変色のある集合写真がある。
戦争で焼けずに残った集合写真。なんとか探したそうだ。
集合写真が見つからないままの年もあった。

また、集合写真の中に、
名前の欄が空欄の、名前のわからなくなった子供たちがいる。
子供たちの名前は、生き残った人たちの記憶をたどったそうだけど。


戦争が終わると、どんどん現代に近づいた。
現代の私たちにとっても違和感のない幼稚園児の姿。
高度成長の時代を過ぎて、豊かな時代に入る。


あの戦前の、写真からただようわらかいあたたかみのある子供たちは、
戦後はいなくなった。

豊かな時代になったはずなのにどうしてだろう。

昔は軍需景気などあっただろうか。
年を召された方々が、大正は一番良い時代だった、とおっしゃるのを
何度か聞いたことがある。

幼稚園史の中の戦前の子供たちを見て、
それはこのことなのね、と思った。


園児たちの集合写真と名前が載っている本。

かわいらしく、かわいらしく、また重い、時代の推移が見える。






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