中世芸能の発生 439 芸能のはじまりと展開 



つづき


芸能の始まりは、
宗教教義などない、はるか昔の、
直接それに性質を伝染、響かせることで強い願いをかなえようとした、
身体的実感に基づく原始的な呪術的行為、
ないし呪術に先立つ先呪術行為にある。


古代における神聖とは、生命力の強さの意であったことから(※)も、
古い時代の願いは、もっぱら生命にかかわることで、
呪術と呪的な芸能は、
命を盛んにすること、命を再生させること、命を鎮めることが中心となった。
(この場合、命とは、人も含む森羅万象の現象のこと。)
・イノチとは、「イ」の「チ」
・2010-02-11 中世芸能の発生 274 イノチ ユリの花


呪的な芸能というのは、
例えば日本の祭りに今も残る古い予祝の芸能などに
わかりやすい。


遠い芸能の始まりの頃から時代が下り、
原始的な呪術行為、あるいは先呪術行為が、
呪術や信仰として展開していった頃には、

命をゆさぶる行為や神楽を「あそび (遊び)」と言った。


中世に、芸能の始まりは、
天鈿女命(あめのうずめのみこと)の神楽(あそび)と書かれた所以。


こうしたあそびのような命をゆりうごかす行為は、
展開し洗練され、
類似した意味を加え重ねながら様々の芸能に分岐していった。
現在伝統芸能と呼ばれるものも、分岐していったそれらの末にあたる。


江戸時代になっても遊女たちが、
自分達の祖はアメノウズメノミコトだと言ったのは、
遠い昔の、命をゆりうごかすタマフリの、あそびの記憶。
古い時代からずっと、あそびをしてきた女性たちの水流だ。



・2010-12-12 中世芸能の発生 376 遊びをせんとや生まれけむ




(※)古代における神聖とは
・2010-02-04 中世芸能の発生 268 古代における聖性とは
・2010-03-16 中世芸能の発生 297 土地の木




感染、類感について

伝染 素朴な願い
・2010-02-14 中世芸能の発生 295 奄美のユミグトゥ(ヨミゴト)
こんな言葉を文字に打つと、
ユミグトゥ(ヨミゴト)にひびく、純粋な、
赤ん坊が元気に育つことを願う気持ちが移って、涙が出る。

ムヌはモノなんでしょう。
木ヌムヌ クサグサヌムヌ
木のもの くさぐさのもの。

心とまっすぐな純粋なことばは、
こちらの心へもまっすぐにつながる。




類感
・2009-12-07 中世芸能の発生 259 類感 感応

・2010-05-15 中世芸能の発生 310 くすり 呪術
薬は、現代では、薬効が体のどこに効いてという理解だろうけど、
遠い昔は、薬の原料の草木や動物の力が、
身体に伝染する(うつる)ととらえられていただろう。

薬の原料の草木や動物の生命の力が自分の一部になる。

祭りで、神饌を下げて分け合っていただく直会が
重要なことであった(ある)のも、こうした意識に基づく。

私も様々の一部になっていく。全てが様々の一部になっていく。

相互に伝染させて効果を及ぼそうとした古い時代の
原始的、呪術的な芸能は、
ものや人がつながりあっている実感があたりまえに前提にある。




伝染を願う呪術的行為
・2009-12-08 中世芸能の発生 260 呪術・宗教と身体感覚
どろどろどんどんと地が鳴るような土地に立つと、
私の身体の細胞も沸き立って地鳴りがするよう。
ぴちぴちしたところに行けば、こちらもぴちぴちする。

生気あふれる食べ物を食べると、元気になる気がする。
音やリズムに同調し心が乗る。
やわらかい日にあたって心がほどける。よい香に気持ちが静まる。
そういう素朴な身体の実感が、予祝やまじない(呪術)意識のはじまりの部分にある。

子供に、強いものの名を名前に付けて、強く育てと願ったり、
美しい音を名にしてそういう子に育つことを願うのもそれで、



イノチを活気づけるお花見。  山見 鳥を見ること ペット 国見  おひなさまの右近の橘
・2011-02-24 中世芸能の発生 382 ビターオレンジ ダイダイ(橙)
・2011-02-20 中世芸能の発生 381 時じくの香の木の実 橘 菓子



扇 葉を広げる木のよろこばしさ 祝福感
・2010-10-12 中世芸能の発生 358 扇の民俗 ケヤキ
・2010-03-16 中世芸能の発生 297 土地の木





類似した意味を重ねて、それにあやかる(それに感染)することを願う。

おせち料理
・2009-10-28 中世芸能の発生 233 ふくらすずめ
おせち料理の豆が「まめに暮らせるように」、
たつくりは田作り、昆布はよろこぶ、栗が勝ち栗などと言われて、
おせち料理のいわれは今ではまるでだじゃれのように思う。
けどそれは、それらの力の伝染を願うマジカルなことへの期待。

似た言葉、似た意味を重ねることで、
さらにそうなりますように、っていう祈り。
まじない、予祝のような。





ほうほうほたる   おまじない   伝染の予祝   呪術から宗教へ
・2009-12-11 中世芸能の発生 263 ほうほう蛍

ほうほう、蛍来い。あっちの水は苦いぞ。こっちの水は甘いぞ。ほうほう、蛍来い。

わらべ歌。あちこちの川に蛍が見られていた頃の歌。
蛍がこちらへ来てほしいという素朴な願いがことばになる。

こうしたものが、哲学的ないわゆる宗教より前に分類される
呪術のはじまりと考えられる。

(中略)

こうした呪術は、呪術として発達した。

がそれでも呪術が効かない。
現実的な例えば生老病死の苦しみは、まじないだけでは逃れられない。
その訪れる苦しみから逃れる術(すべ)を、宗教は示す。

欲を捨て去ることが最終的に苦しみから解放されることである、とか、
赦すことで苦しみから逃れられる、
また神を教え守り善を積む者は死後天国へ迎えられる、など、
呪術だけでは救われない心を、宗教は救済する。


私は、なぜこうしたことをたどっているのか。
ただ、ああそうか、と心が動かされてならないからしてる。
自然の中にいる時のように、内部に新鮮な水がしみわたるように、
魂が振るえるように感動する。
まったく仕事でない、遊び。

魂を振るわせて活発に活動させることを「遊び」と言うのなら、
これは私が私の魂にしている遊び。








私は女性が神聖だと言いたくて女性の聖性の水流を振り返っているのでなく、

例えば、檜扇を通して、例えば、和歌を通して。
例えば、常世の思想を通して、杖の民俗を通して、船形の棺を通して。
植生の変遷を通して、松の民俗(※後述)を通して、鹿の民俗(後述※)を通して、
例えば女性の聖性の水流を通して、
その水源と、この水流の底に、流れているものを見ている。



次、前後したけど、法華経と芸能。



つづく
by moriheiku | 2012-07-03 08:00 | 歴史と旅
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