中世芸能の発生 438 法華経と芸能01 


つづき


法華経を拾い読む。

ああ、そういうことか、と、
初めて思想や知恵というものに接する人のように、
心に慈雨がふる。

まるで、今まで天然自然に生きていたのが、
そういう考え方があることを知り、心の背骨の通る思いをしただろう。
法華経など経典の中にある釈迦の教えが
日本まで届きはじめた時代の、日本人にとって。

日本の古来の民俗や信仰は、自然とその体感が基になっている。

世界の実感という総合的な英知がベースではあるけれど、
そこからの、人々の願いを受けて叶えるという宗教的展開としては、
呪術的な方向に向かわざるを得なかった。

なぜなら自然の体感は、
人の心を照らし、生き方を教える思想哲学ではなく、
実感にとどまるものだからだ。

またやはり古い時代から日本に伝わっていた例えば神仙思想のような、
古代中国の神仙思想、道教なども、
日本の民俗や宗教に色濃く反映されてはいたけれど、
現世利益の指向のもので、
広く人の生き方を導くというものではなかった。


対して、大昔のインドから大陸を経て、はるか日本まで伝播した、
経典の中にある釈迦の説いた生き方の哲学は、

それまでの謂はば天然自然に、
目先の悩みを取り除くことに心を散らして生きてきた人々にとってはじめての、
人の心のありように分け入った思想で、
人の生き方の背骨となる知恵だったと思う。



こうした優れた思想に接した時のよろこびはよくわかるのだ。
仏教哲学に限らず、
一見空(くう)の中に、あるものを浮かび上がらせる思想の場に出会うよろこびは。



大和朝廷が仏教を正式に体系的に取り入れる飛鳥時代より前から、
仏教は日本に伝わっていた。
仏教はその思想に接した人々に印象をもたらして、やがて6世紀の仏教の公伝に至る。


その後、聖武天皇が、仏教を中心として人々のまとまる国を作ろうとしたことは、
仏教の輸入に伴う大陸の先進技術や思想の導入や、
統一した国を作りたい政治的野望と合致するということだけではなく、

仏教思想の中に、それまでのこの国の思いのありようとは異なる
人々の生き方の背骨となる知恵と思想が見えていたから。


天皇が仏教思想に接する機会のある人であったこと、
有力者たちに仏教思想の核を伝えることのできる人々が当時日本に居たこと、
また聖武天皇がその思想を深く理解できる人だったことがしのばれる。

日本で初めに法華経を講じた記録の残る聖徳太子とその周辺も同様に。




新しく優れて尊い思想や文物に接することは、同時に、
それまでのものの見方を変化させた。

万葉集中、倭文(しづ 倭文織)の用例の変遷に見るように、

突出した新しく優れた考え方を知った時、それよりも前のありようが、
やはり尊くも堅実なものにも思われ、
思えば素朴だった古来のそれらを、なつかしむと同時に、
拙く古ぼけたものにも見えて、

やがては未開の厭わしいものにも思われてくるのだった。





万葉集歌における倭文(しづ 倭文織 しず)の用例の変遷

・2010-08-19 中世芸能の発生 341 倭文(しつ しづ しず 倭文織)
・2010-08-20 中世芸能の発生 342 倭文(しつ) 真間の手児名
・2010-08-21 中世芸能の発生 343 倭文(しつ) 神聖なもの
・2010-08-22 中世芸能の発生 344 倭文(しつ) つまらないもの
・2010-08-23 中世芸能の発生 345 倭文(しつ) 狭織(さおり)

・2010-08-19 中世芸能の発生 341 倭文(しつ しづ しず 倭文織)





・2010-08-24 中世芸能の発生 346 しづやしづ しづのをだまき くりかえし
しづやしづしづのをだまきくりかえしむかしをいまにすることもがな。

白拍子の静御前(しずかごぜん)が源頼朝の前で歌い舞った時の歌。

この歌の意味が説明される時、
繰り返す「をだまき(糸巻き)」ばかり言及されているように見える。

しかし、静のこの歌で重要なのは、
「しづのをだまき」のうち言及されることのない「しづ」。
上代には神聖だった織物の「しづ(しず 倭文 倭文織)」のほう。


ここで静の詠んだこの歌が、
単に、くりかえし長く糸をくりだす糸巻きに寄せて
これまでもこれからも
くりかえし世が長くつづくことを祈る言祝(ことほぎ)に終わらず、

深い哀しみを響かせていることのカナメは、
現代にはかえりみられることのない「しづ(しず 倭文 倭文織)」にある。


上記リンク万葉集中のしづ(しず 倭文 倭文織)の用例の変遷に見るように、
はるか上代には神聖だった尊い「しづ(しず 倭文 倭文織)」は、
新しい世になって価値を下げ、
静の生きた平安末期頃には過去のつまらぬものになっていた。

「しづ(しず 倭文 倭文織)」の記憶と変遷は、
かつて神聖で今やその聖性が忘れられてつつある、
静自身もその末であった巫女、遊女、傀儡女。白拍子のような、
古い時代の民俗信仰の流れの色濃い人々の立場の変遷と重なる。


静の詠んだこの歌は、
静自身を語り、義経を語り、

これまでもこれからもと長くくりかえす世を俯瞰して、
刺すような哀しみと、つづく世のことほぎの、両方が一首の内に歌われた歌。
心に響く。


・2010-12-12 中世芸能の発生 376 遊びをせんとや生まれけむ





和歌の根源、ないしは和歌の代表が
生命をほぐ「ヨミ歌」(祝歌)であったということは、まことと思う。

芸能者 ヨム人々 ホグ人々 命の再生  
・2010-02-15 中世芸能の発生 296 ヨム 和歌を詠む(よむ) 芸能




ホケキョウ 法華経 古来の信仰と仏教の融合 浄瑠璃、説経、芸能に語られた法華経
・2008-07-10 神仏習合思想と天台本覚論 01
・2008-07-11 神仏習合思想と天台本覚論 02
・2008-07-11 神仏習合思想と天台本覚論 04
法華経を根本とした比叡山延暦寺。
最澄の開いた日本の天台宗。
その比叡山延暦寺で学んだ人々が宗祖となって、
臨済宗、曹洞宗、日蓮宗、浄土宗、浄土真宗、時宗、
現在まで続く多くの宗派が出た。





つづく
by moriheiku | 2012-07-02 08:00 | 歴史と旅
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