強欲




Oさんのお話。

前を歩くOさんに気付いた知り合いが、
Oさんに追いつこうと、後から速足で近づいた。
Oさんは、誰かが近づいて来ると感じて、ぱっと振りかえったそうだ。

Oさんご自身の「するどい」ことを披露されるエピソード。


私は、
日本人は後から人が来たら気付く人が多いかな、と思った。

またOさんは、そのエピソードを、
聞く人たちの心には気付かずに話される時点で、
するどくないでしょう、

と思いながら聞いていた。

Oさん。強いて言えば、無邪気。かな。




「私は博愛だから」とおっしゃる。

あなたは博愛ではありません。
しかし博愛に見られたいというお気持ちがあって、
そうおっしゃっているのはわかります。

と、言いそうになる。

ご自身を博愛と言うことで、
周りにもそう信じてもらえると思うのは、
なぜですか。




ご自身がどれほど人に認められているかを言ったり、
著名な人たちと親しいと知らせたり、
持ち物を誇ったり、
どんなにお金持ちの家庭で育ったかを言う人は、

ご自身をどのように思ってもらいたくて、
おっしゃっているのだろう。


周りの人たちよりも高級に思ってもらいたくて、
披露されているかなと思うけど。

おっしゃるほど、
思ってもらいたいと願っていらっしゃることと逆の印象を持つけれど。

つまらないことだ。



先祖が有名、親がお金持ちだから自分はえらいと思う人はふしぎ。

育った環境から何を学んだかならともかく、
その環境だから自分も人よりえらいと
信じられる心はなんだろう。

その方の親や先祖の方々の努力が立派なのであって、
ご自身ではない。

自分もえらいと信じてもらえると、
信じている気持には興味も持つけれど。


自分にとっての価値のあるものが、
人にとっても価値があると信じていらっしゃる、
唐突な単純さは何だろう。




こうした話に見えるのは、
何でも自分の利に結びつける強欲。
がめつい。



心を通い合わせる関係は、商売の取引ではないのだから。

人に思いやりがあるか、どれほど真摯か、
その人自身の魅力がその人の魅力。

心を通い合わせる関係性は、損得ではないから。



がめつさ第一の話の中に居合わせることになったりすると、
うんと波を乗り越えてこられた有益な方々に、
一面だけでもそのようなことを思う私はどれほど傲慢かと落ち込む。


何でも勉強になるので、
こうした人に関わることを全く無駄とは思わない。けど、

邪(よこしま)の臭うことばの中に居て、
腐臭に心を痛めることはないなと思った。



他に優先してこれに関わることは、
私の時間には必要ない。


山の稜線を見て、花を見て、
きれいな空気で身をすすいだり、


まっすぐな心の音のする声を聞こう。
まっすぐな心の音のする声の人と時を過ごそう。
by moriheiku | 2011-03-23 08:00 | つれづれ
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