つづき 万葉集。 石走(いはばし)る垂水(たるみ)の水のことほぎ。 摂津(つのくに)にして作れる歌二十一首 から ------------------------------------------------- 巻第七 一一四二 命幸(いのちさき)く久しくよけむ石走(いはばし)る垂水(たるみ)の水をむすびて飲みつ (1142) 命も無事で長くよくあってほしい。岩を激しく流れる垂水の水を手に掬って飲んだことよ。 ・石(いはばし)走る 岩上を走り流れる。 ・垂水(たるみ) 滝のこと。前後の歌皆固有名詞で、これも固有名詞なら摂津の垂水。 大阪府吹田市。垂水公(きみ)の一族がいた。 ・むすびて 寿をいのる呪。 ------------------------------------------------- 春の雑歌(ざふか) 春雑謌 志貴の皇子(しきのみこ)の懽(よろこび)の御歌(みうた)一首 ------------------------------------------------- 巻第八 一四一八 石(いは)ばしる垂水(たるみ)の上(うへ)のさ蕨(わらび)の萌(も)え出づる春になりにけるかも (1418) 石激 垂見之上乃 左和良妣乃 毛要出春尓 成来鴨 岩の上をほとばしる滝のほとりのさ蕨が萌え出づる春に、ああなったことだ。 ・懽(よろこび) 新春の賀宴に祝意を述べる趣で題詠された歌。 新春の宮中儀礼の歌か。 ・石(いは)ばしる 激流の形容。 ・垂水 滝のこと。普通名詞。 ・ける 発見の意がある。 ------------------------------------------------- 古今の相聞往来(さうもんわうらい)の歌の類(たぐひ)の下 物に寄せて思(おもひ)を陳(の)べたる歌一百五十首 より ------------------------------------------------- 巻第十二 三〇二五 石(いは)ばしる垂水(たるみ)の水の愛(は)しきやし君に恋ふらくわが情(こころ)から (3025) 石の上をほとばしる滝の水が走る、はしき君に恋することは、私の心からよ。 ・石(いは)ばしる 垂水(滝)の形容。 ・石ばしる垂水(たるみ)の水の 水の走る─ハシ(愛シ)と接続。 ・愛しきやし かわいい。原文「早」の用字は水を意識。 ・恋ふらく 「恋ふ」の名詞形。 ------------------------------------------------- 参考:中西進『万葉集(ニ)(三)』 1142、1418の歌を、 出来事とその感想を詠んだ歌だと解釈するのはもちろんあやまりで、 これらの歌は、 岩の上を流れほとばしる、いきいきとした水を歌の中に呼んで(詠んで) ことばの中の水の威勢の祝福を身体に響かせる歌。 以前あげた、長田王が山の辺の御井で詠んだ下記の歌なども同種。 詠み人の旅路の出来事の羅列ではない。 ------------------------------------------------- 巻第一 八三 山の辺(へ)の御井(みゐ)を見がてり神風の伊勢少女(をとめ)ども相見つるかも (83) かねて見たいと思っていた山の辺の聖水を見ることができた。そのうえ神風の吹く伊勢の聖処女も見たことだ。 ・山辺の御井 所在不明、三重県鈴鹿市山辺町他の説がある。 ・神風 洋上から吹く大風を尊んでいった。 ・聖少女 聖水を汲む聖女。 ------------------------------------------------- きれいな歌よ。イノチのある聖水でみそぎされるような。 古い歌には、イノチのいきおいがある。 ことばの中の水に、自分の水が響く。 歌の中に、石走る水が流れつづけている。 そこに立っているような、ほとばしる水の実感。 春のよろこび。 水に響く祝福の体感。 ・2010-09-02 中世芸能の発生 353 ことほぎ 自然 ・2010-08-30 中世芸能の発生 352 滝 木綿花 日本人の命の概念。 日本では、山にも岩にも命がある、 滝も水の流れも、風も、命があるという考え方について。 日本の信仰の流れ。 ・2013-02-06 日本の命の概念 日本の古来の命の考え方は、 大陸から入ってきた命の考え方とは違う。 大陸的な考え方では、命はもっぱら動物、また植物の生命のことを指す。 (今は日本人にもこれに近い考え方だろうか。) 古来の日本の命は、 その生命力、圧倒的な力、横溢するエネルギーのことを、命と感じていた。 したがって昔の日本では、山にも岩にも命がある。 滝も水の流れも、風も、命そのものだ。 光も、音も。何かの中におこる力や性質自体も。 ごく古い時代の日本のこうしたイノチの感覚がやがて、 日本における精霊やタマの概念になり、日本における神の概念になり、 仏教が入ってからは民俗信仰と習合した仏の概念になっていった。 かつて命はエネルギーのようなものに概念されていたので、 古い時代の日本では、命の概念で生物と無生物は分かれない。 したがって日本では、 森羅万象に命があり、森羅万象に神が宿り、 岩にも木にも仏がいるという理解になっていった。 日本の信仰の流れ。 寄物陳思 物に寄せて思いを陳べる ・2010-06-13 中世芸能の発生 322 類感的思考について 谷の水音滔々と たき(激 滝 瀧 たぎ)つ心 ・2008-09-26 水波之伝 このお能の作者が最も心を動かしているのは、 楊柳観音菩薩でもなく山神でもなく、 作者の心を動かしているのは、 峰の嵐や 谷を駆け下る水の音、滝の音だと思う。 それはきっと古い芸能の根元だ。 底に流れる祝福の系譜。 ・2011-03-01 中世芸能の発生 383 たるみ 垂水 伏流水 ・2011-03-02 中世芸能の発生 384 ことばと自然 祝言 ・2011-01-27 中世芸能の発生 379 根元 沢の水 ・2010-02-14 中世芸能の発生 295 奄美のユミグトゥ(ヨミゴト) ・2010-10-12 中世芸能の発生 358 扇の民俗 ケヤキ ・2010-03-16 中世芸能の発生 297 土地の木 ・2012-01-20 中世芸能の発生 421 若水 渚に寄せる水 ・2010-11-04 水の旅 ・2010-10-17 水の旅 都祁 山辺の御井 ・2010-10-27 水の旅 万葉人の吉野 平安人の吉野 水から山へ ・2009-08-15 中世芸能の発生 186 朗詠調 ・2009-03-01 草の息 ・2010-02-03 命の全体性 ・2011-08-18 中世芸能の発生 410 生命の連鎖 歌から掬(すく)いとる方々 「命っていうのは、やっぱり生き物を見ていますとね。みんなつづいていこう、つづいていこうって一所懸命生きてるなって思うんです。それはもちろん死というものもあるんですけど、なんか自分だけじゃなく、他の生き物たちも含めてつづいていってほしい、っていう、そういうことがみんなの生き物の中にこう、こもってる。」 そうした行動が、人間だったら、歌や、花を植えるとか、そういう行為で、 それが生き物としての人間の表現、 と、おっしゃって、 そういう意味でもこの歌を素晴らしい、と中村さんは思われたそうだ。 日本の信仰というか、信仰ともいえない、謂わば民俗の底には、 自然という水流がずっと続いていると私は思う。 それは個人の教祖や教義など、つけようもないもの。 体系的でも哲学的でもない、 自然の実感としかいえないようなものだ。 中世芸能が生まれるまでの、 芸能と宗教と分化していない古い日本の芸能は、 自然に寄せてヨ(イノチ)をことほぐ、祝福の系譜だ。 ・2011-04-06 見える水 見えない水 ・2011-04-07 国土の保全 知恵と伝承 つづく
by moriheiku
| 2011-03-03 08:00
| 歴史と旅
|
ファン申請 |
||