中世芸能の発生 365 猿楽呪師


つづき


・2010-11-07 中世芸能の発生 362 呪師からのシリーズ。

 
平安時代も半ばを過ぎた頃、

僧侶による呪師が、法呪師と呼ばれるようになってくると、
単に呪師というのは、猿楽呪師の芸能を指すようになった。


呪師(猿楽呪師の芸)と猿楽はそれぞれ座を作る別の芸能ではあったが、

修正会においては、呪師(猿楽呪師の芸)は、
多くの場合、猿楽と一対で記録にあらわれる。


呪師(猿楽呪師の芸)と猿楽の一対とした芸能はやがて、法会だけでなく、
独立して鑑賞される芸能として、
院の御所などでも行われるようになった。

呪師と猿楽の組み合わせで一対として行われることは多かったが、
下賜されたものの差からも、
呪師の方が猿楽より立場は上位だったようだ。

その理由として、
『日本芸能史・第2巻 古代─中世』第一章「三 寺院と呪師芸」では、

呪師が大社の法会の宗教行事発生であるのに対し、
猿楽は民間伝承の芸能であり法会の余興的意味あいの芸能だったことによる、
との推測がされている。



その呪師(猿楽呪師の芸)は、鎌倉末期には廃絶していたようだ。
(どうして?そこが知りたい。
神事的な呪師芸より、一般の耳目をひく猿楽面白さがまさったか。)

呪師(猿楽呪師の芸)が廃絶したあとは、
もっぱら猿楽がそれを引き継いだ。


ここで興味深いことは、(推論の域を出ないが、とことわりがあるが)

現代も能(猿楽)が特別の芸能として神聖視している「翁舞」は、
本来呪師(猿楽呪師)の芸だったのではないかと考えられていることだ。


その根拠として、
(先に挙げた修正会、修二会と呪師の関わりと関係するが)

例えば、近江の日吉大社の正月の翁舞が
比叡山延暦寺の修正会に関係しており、
延暦寺の鎮守としての日吉大社に奉納されたものであることや、

奈良興福寺の修正会には、
翁舞がその鎮守の春日大社に奉納されること。
その翁舞のことを「呪師走りの翁」と称していること、
などが上げられる。


また兵庫の翁舞の詞章の、

“「応和元年庚申の御年に、村上の人皇の御仁な御時に、円勝寺・最勝寺・法勝寺・法成寺・谷の堂・峰の堂・六勝寺の後堂に楽頭集り、方固め候へて、このや翁も身には打掛、髪には鳥兜を頂き、顔にはぎしやくせんといへる面を引き当て、君には万歳おはしませとお祝ひ申すばかりなり」”

と語られることから、

“このような翁の姿を、修正会の呪師の姿に重ねあわせると、翁舞こそが、呪師芸が衰退する折に猿楽が受け継いだものであるような気がするのだが、実証できぬのが残念である。”

と述べられているのだが。


この方固め(方堅め)の伝承は、
翁舞が猿楽呪師の芸であったわずかな手掛かりとなる。

最後まで呪師を座として残した伊勢猿楽には、
シシ(呪師)クロ舞と方堅めがあった。

この方堅めは、遷宮の折に、
「神宮奉納ノ翁舞二当リテ、先ヅ鳥兜ヲ冠リ、伶人ノ如キ衣装ヲ着ケ、箸ノ如キ揆ホドノ木ヲ持チテ、舞台ノ四隅ニ立テ、四方ヲ拝シテ舞ノ如キ所作ヲナス」
ものであったらしい。

「神宮奉納の翁舞にあたっては、まず鳥兜を冠り、伶人のような装束を着て、箸のような撥(?)くらいの木を持って、舞台の四隅に立て、四方を拝して舞のような所作をする。」

これは猿楽の芸能というより、結界し祓う浄める、いかにも法呪師の行為に近い。

この遷宮の方堅めは、中世後期に入ると、
もっぱら猿楽座の特殊芸とされた。

そこには返閇など秘伝の伝承もあったようだが、
その頃には、そのあとの翁舞と演能が中心になっていたようだ。

“かつては猿楽座の長の役とされ、祭事芸能の根幹として芸能座のレパートリーのうち最も宗教色の濃い翁舞に、古く呪師・猿楽と一対をなして法会に参勤し、のちに猿楽芸に吸収される形で衰退した呪師芸の面影を見るのは無理なことではないような気がしてならない。”



以前読んだ折口信夫が、どの史料から、
祭礼で僧侶や神官のしてきた呪(まじな)いの部分を
寺社に隷属した猿楽の人々が代わりに受け持つようになっていったと
述べたかはわからないが。


呪師(猿楽呪師の芸)と猿楽の芸の性質は、質が異なる。

それは現代も、能(猿楽)で翁がされる時に感じる
翁が他の能とは違うという異質さと、近いものだと思う。

その違和感はもっぱらストーリーのあるなしや呪的な性格の強弱から
感じられると思うが。

翁舞が、能の演目としてでなく、
今も残る各地の神事の一つとしてされる時の、違和感のなさに、

翁舞の呪術性・宗教性の強さと、法会発生であることを思う。



翁舞は、
例えば東大寺の修二会の法呪師(僧侶の呪師)のするような呪(まじない)でもない。
猿楽の芸でもない。

翁舞はもとは呪師(呪師芸)、すなわち猿楽呪師の芸だったのであって、
そのため呪師がほろんだ後、
呪師と一対に行われることも多かった猿楽に引き継がれたという推測には
真実味がある。



法呪師(僧侶の呪師)と猿楽呪師も、違いがある。
法呪師のする結界や清め等の行為は、仏教の意味を強めた呪的行為と考えている。
対して猿楽呪師は、呪の動作が洗練されていった、
より芸能に近いものだったと思われる。

両者は確かに異なってはいるが、
古い時代の呪的行為において結びつく共通点がある。

そして、
呪師芸(猿楽呪師の芸)が猿楽と一対にして行われたことや、
まだ可能性の範囲ではあるが
呪師芸(猿楽呪師の芸)の翁舞が猿楽(能)へ引き継がれたというのは、
やはり猿楽も同じ根を持っていたからだと思う。


なぜ法呪師と猿楽呪師が融通しあったのか、
なぜ猿楽呪師と猿楽が一対で演じられたか、
なぜ翁舞が、猿楽に引き継がれることになったか、
芸の流れも大事だけど、

法呪師、猿楽呪師、猿楽が、
異なりながらもたがいに関係し合ったのは、
ただ習慣以上の意味があったからで、
その習慣の奥が肝心と思う。

同じ根に生えた幹の分かれた枝葉なのだ。



盛んに故実を語り、正統を語るのは、中世の人々のならいのようにみえる。

同様に、私は、
中世の世阿弥が猿楽のルーツを神代の神楽と書いたことには、
賤視の対象でもあった猿楽を
古来の正統に結びつけたい願いもあったと思う。


それでも、やはり
古い時代の聖(ひじり)や山伏や、法呪師、白拍子、遊女、猿楽などの
芸能の人々のルーツをたどっていくと、

そこには原始的な古来の民俗信仰や、
それに基づく素朴な呪(まじない)的行為があって。


それは抽象的な神仏に頼む世界とはまた異なる古い信仰、
自然の実感を反映させようとした行為だったと思う。


この人たちに共通してあるものは、祝福。

自然の横溢するイノチの祝福の行為だ。


日本の芸能の原点のごく近くに、
ほかい(ほかひ 祝ひ 寿ひ)がある。


さらにそれをたどる時、
この人たちをつき動かしているのは、
見上げる木々の威勢や、肌に吹く風、響く水音。
繰り返す自然にたどりつく。




自然にふれる具体的な実感が
日本の信仰のはじまりにある。



参考:『日本芸能史・第2巻 古代─中世』



 


呪師の舞に近いもの 山伏の舞 遊僧の舞
・2009-09-26 中世芸能の発生 206 山伏の延年


呪(まじな)い以前の、素朴なことば
・2009-12-11 中世芸能の発生 263 ほうほう蛍 まじないのことば



・2010-06-20 中世芸能の発生 329 祝福の系譜



・2010-09-02 中世芸能の発生 353 ことほぎ 自然
・2010-08-30 中世芸能の発生 352 滝 木綿花

自然と魂と直接つながっていることばは命、生命の風がある。
・2009-12-13 中世芸能の発生 265 田児(たご 田子)の浦ゆ


谷の水音滔々と  たき(激 滝 瀧 たぎ)つ心
・2008-09-26 水波之伝
このお能の作者が最も心を動かしているのは、
楊柳観音菩薩でもなく山神でもなく、
作者の心を動かしているのは、
峰の嵐や 谷を駆け下る水の音、滝の音だと思う。
それはきっと古い芸能の根元だ。



・2010-02-14 中世芸能の発生 295 奄美のユミグトゥ(ヨミゴト)
・2010-02-15 中世芸能の発生 296 ヨム 和歌を詠む(よむ) 芸能



古代の神聖 祝福
・2009-12-07 中世芸能の発生 259 類感 感応
・2010-02-11  中世芸能の発生 274 イノチ ユリの花
・2010-10-12 中世芸能の発生 358 扇の民俗 ケヤキ




文字より前からある言葉は、
文字の意味でなく、音でとらえると、いろんなことが感得できる。
大きくとらえられ応用できる。

ことばを、
文字にせず、音としてとらえるとき、

知識としてでなく、
そのことばの含む重層的な感覚が、
体に染みて、透っていくようだ。
昔の人々の感覚も。
・2007-04-18 はやし



・2010-08-16 中世芸能の発生 338 メモ
こうした民俗というか信仰のようなものが、一過性でなく、
歌や建築や芸能等文化や生活の中に生き残っているのは、

私たちが木や岩や水の流れや草の中に命を感じるからで、
それは神や仏という概念になる以前からあるもの。

それは宗教以前呪術以前の、自然のイノチそのものである。

息を吸うように、
いつもそこへかえっていく。




・2010-02-03 命の全体性


・2009-03-01 草の息





・2009-11-19 中世芸能の発生 246 翁 神さびる



・2009-12-17 中世芸能の発生 267 一つ松 声の清きは






“円勝寺・最勝寺・法勝寺・法成寺・谷の堂・峰の堂・六勝寺の「後堂」に楽頭集り”
・2010-06-15 中世芸能の発生 324 後戸 後堂 しんとくまる
後戸 後堂 興福寺 春日大社 法勝寺  呪師走りについて






呪師のシリーズ
・2010-11-07 中世芸能の発生 362 呪師
・2010-11-08 中世芸能の発生 363 呪師走り
・2010-11-09 中世芸能の発生 364 法呪師





・2011-08-18 中世芸能の発生 410 生命の連鎖 歌から掬(すく)いとる方々
「命っていうのは、やっぱり生き物を見ていますとね。みんなつづいていこう、つづいていこうって一所懸命生きてるなって思うんです。それはもちろん死というものもあるんですけど、なんか自分だけじゃなく、他の生き物たちも含めてつづいていってほしい、っていう、そういうことがみんなの生き物の中にこう、こもってる。」

そうした行動が、人間だったら、歌や、花を植えるとか、そういう行為で、
それが生き物としての人間の表現、

と、おっしゃって、
そういう意味でもこの歌を素晴らしい、と中村さんは思われたそうだ。

日本の信仰というか、信仰ともいえない、謂わば民俗の底には、
自然という水流がずっと続いていると私は思う。

それは個人の教祖や教義など、つけようもないもの。
体系的でも哲学的でもない、
自然の実感としかいえないようなものだ。

中世芸能が生まれるまでの、
芸能と宗教と分化していない古い日本の芸能は、
自然に寄せてヨ(イノチ)をことほぐ、祝福の系譜だ。



つづく
by moriheiku | 2010-11-10 08:00 | 歴史と旅
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