中世芸能の発生 364 法呪師



つづく


『日本芸能史・第2巻 古代─中世』の第一章「三 寺院と呪師芸」を参考に。

歴史が古く宗教的背景の深い南都(奈良)の大寺とは違って、
まだ都が置かれて新しい激動の京都では、
呪師芸は、奈良よりもいっそう猿楽と関わりが深くなったと考えられる。


「法呪師」(僧侶の呪師)の語の初見は、
『為房卿記』延久五年(一〇七三)正月八日条だそうだ。

このことは、
“京都の大寺修正会における呪師が純粋に宗教的任務から速くに発展して、猿楽呪師としての印象が強かったために、あえて本来的僧侶による呪師を法呪師の語を用いて区別する必要が生じたため”
と考えられる。


呪師が僧侶の呪師より猿楽呪師の印象が強まったために、
僧侶の呪師を法呪師と呼ぶようになった。



能勢朝次『能楽源流考』に『兵範記』の記述の掲載がある。
それによると、
任安四年、諒闇のため普通の呪師や猿楽が禁止された。

しかしその年の円勝寺の修正会で、
僧侶による法呪師は宗教行事として認識されており、
停止されていない。

こうした記録から、
諒闇のおりには禁止される芸能的要素の強い呪師芸・猿楽芸と、
諒闇にも禁止されることのない、
宗教的要素の濃い法呪師と竜天以下の走りとがあったことがわかる。

つまり当時は、
・僧侶の呪師(法呪師)による追難行事、
・猿楽呪師による呪師芸、
・猿楽者による猿楽芸、
という区分があったと考えられる。


さらに、
法成寺で猿楽呪師を勤めた同一人物が
円勝寺の法会では竜天(法呪師の行法)を勤めている記録があり、
これは法呪師(僧侶の呪師)の行法が
猿楽呪師の手に移行していった証左の一つとされる。



僧侶による呪師が、法呪師と呼ばれるようになってくると、
単に呪師というのは、猿楽呪師の芸能を指すようになる。

先にあげたが「法呪師」の語の初出が延久五年(一〇七三)であったから、
平安時代も半ばを過ぎた頃には、
呪師の語は、猿楽呪師の芸能の意にも用いられたようだ。


この呪師芸(猿楽呪師の芸)は早くから法会から離れて、
独立した芸能となっていた。
昼呪師と呼ばれたりして。

呪師芸の特色の一つは、華美な衣装だった。
藤原道長が「よき咒師(呪師)の装束かな」といって笑ったという。



参考:『日本芸能史・第2巻 古代─中世』





呪師のシリーズ
・2010-11-07 中世芸能の発生 362 呪師
・2010-11-08 中世芸能の発生 363 呪師走り
・2010-11-10 中世芸能の発生 365 猿楽呪師





つづく
by moriheiku | 2010-11-09 08:00 | 歴史と旅
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