中世芸能の発生 362 呪師



つづき


法会や祭りに、呪師が役割を持って参加してきた。

史料で呪師の役割をみると、
法呪師と猿楽呪師には明らかに相違がある。
しかし重なってもいる。

このことから、
法呪師と猿楽呪師は根本的に一致する部分があっただろうこと。
その部分を核にして、両者が融合していった可能性が思われる。


折口信夫は、
祭礼で僧侶や神官のしてきた呪(まじな)いの部分を、
寺社に隷属した猿楽の人々が代わりに受け持つようになっていったと
書いていたと思う。


私は、法呪師と猿楽呪師の融合を推察はしてみるものの、
どうもつながりがぎくしゃくしたままで、
もう少し法呪師と猿楽呪師について書かれたものを
読みたいと思っていた。


ようやくなんとなく得心のいくものに会った。
『日本芸能史・第2巻 古代─中世』の第一章中「三 寺院と呪師芸」。

一般的な資料一つに出会うのも長い時間かかっちゃう。無知ってかなしい・・。



以下、
『日本芸能史・第2巻 古代─中世』第一章「三 寺院と呪師芸」を参考に。
呪師、猿楽呪師、猿楽について。


修正会は(修正月会)、毎年正月に諸国の国分寺で国家の太平と五穀豊穣・国家の安寧を祈るために祈祷が行われた法会をさしていう。国分寺において執行せられた最初は、聖武天皇の神亀五年(七二八)とされる。

国分寺で行われた修正会も、
平安時代中期になると各寺院でも行われるようになった。

修二会(修二月会)は、内容的には修正会とほとんど変わらない。
天竺の年始である二月を一年の初月とし、
二月に法会が行われると考えられていることが多い。


修正会の中心的なものに悔過(罪の懺悔)がある。
修正会の多くが吉祥悔過であるが、修二会は観音悔過が多い。
寺院によっては薬師悔過がされる。


『日本芸能史・第2巻 古代─中世』の第一章「三 寺院と呪師芸」では、
呪師には二種あるとして、呪師を、
・僧侶の勤める法呪師
・猿楽呪師と呼ばれる雑芸者によるもの、
に分類している。


現代の東大寺修二会(お水取り)もそうだが、
修正会や修二会に呪師が役割を持つ。

東大寺修二会で参籠する僧を練行衆というが、
練行衆の役名は、

和上(わじょう)
大導師(だいどうし)
呪師(しゅし)
堂司(どうつかさ)

北座衆之一(きたざしゅのいち)
南座衆之一(なんざしゅのいち)
北座衆之二(きたざしゅのに)
南座衆之二(なんざしゅのに)
中灯之一(ちゅうどう)
権処世界(ごんしょせかい)
処世界(しょせかい)

があり、この練行衆中の呪師は、僧侶の勤める法呪師ということになる。


修正会・修二会での呪師の役割は、
道場の結界・香水の加持・護摩焼き・四天王龍神の勧請などを行うこと。

東大寺の修二会で呪師が行う主なものとしては、

・参籠のはじめに練行衆全体の清祓として、
 幣と念珠等用いて大中臣の祓(はらえ)。

・堂童子が差し出す麗水を加持し、それによる主食物等の清め。

・俗に「お水取り」と呼ばれる若狭井と称する閼伽井から香水を汲みとること。

・金剛鈴を振鳴し、諸衆が須弥壇の周りを走る「走り」を数える
 (「走り」を統括するような立場)。

など。

法隆寺・薬師寺の修正会では、「走り」は、
呪師が剣または鈴を持ち、あるいは拳印を結び、須弥壇の回りを走った。



この本では、
大導師(だいどうし)がもっぱら顕教とつかさどるのに対して、
呪師は密教担当者と位置づけている。


これに対して、私は、

こうした呪的部分を担当する法呪師の役割と行為は、
古来の民俗信仰の呪術の部分に、道教や陰陽道他が混ざり、
また動作が作法化していったものと思う。

その変化の経緯はある意味修験道的、山伏的でもあり、
山岳仏教の影響が増してからは
さらに密教の姿をまとっていったものだろうと考えている。



仏教の法会で、
僧侶である法呪師が、幣を用いて大中臣の祓(はらえ)をするなどの
神官的祓い清めを行うことは、神仏習合の時代にはあることで、

このことは呪師が、密教というよりはむしろ、
古来の民俗信仰的呪的部分を担当したものと考えていいのではないか。

こうした呪師のありかたは、
土着の民俗信仰の上に仏教等を重ねていった経緯そのものにみえる。
またその方が、呪師の行為の発生として自然だと思う。


古来の原始的・呪術的・土俗的な民俗信仰に対する忌避と脱却から、
古い民俗は密教的・仏教的に意味を置き換えられていったけれども。

古い時代には、仏教法会の悔過の性質も、
民俗的思考の祓い清めの意味に、重ねて考えられていたものと思う。

山の宗教の懺悔にも似ている。懺悔六根清浄。



参考:『日本芸能史・第2巻 古代─中世』




古来の信仰の、仏教的意味へ置換
・2010-05-05 中世芸能の発生 304 仏塔 心柱 刹柱
・2010-02-14 中世芸能の発生 281 青幡(あをはた) 旗 幡 ハタ


幣 木綿
・2010-08-30 中世芸能の発生 352 滝 木綿花


東大寺修二会 だだ
・2010-06-15 中世芸能の発生 324 後戸 後堂 しんとくまる
・2009-05-13 中世芸能の発生 131 だだ 足踏み




呪師のシリーズ
・2010-11-08 中世芸能の発生 363 呪師走り
・2010-11-09 中世芸能の発生 364 法呪師
・2010-11-10 中世芸能の発生 365 猿楽呪師




練行衆の中の、童子という人々について

童子形 先立って祓えをする人々
・2009-02-01 中世芸能の発生 59 童子形 子供と野生
・2009-02-02 中世芸能の発生 60 芸能者の童形

有髪、長髪の思想と系譜
・2009-07-13 中世芸能の発生 173 修験道 原始回帰

童子(古来の信仰に連なる人々)は仏(僧侶)の従者の位置づけとなったこと
・2009-07-13 中世芸能の発生 175 堂衆と千日回峰行

堂童子 呪師
・2009-05-13 中世芸能の発生 131 だだ 足踏み
・2010-11-07 中世芸能の発生 362 呪師

異能の童子 仏教への帰依
・2009-02-03 中世芸能の発生 61 異能の童子

僧より下位の古い宗教者
・2010-11-10 中世芸能の発生 365 猿楽呪師

酒呑童子
・2010-11-12 中世芸能の発生 366 酒呑童子




・2011-07-22 中世芸能の発生 402 神仏習合思想 日本人の仏教
神仏習合の底に流れるもの

神仏の習合は、矛盾の中で苦しむ精神の整合性をとるために
切実に求められ一気に進んだのではないかと思う。


つづく
by moriheiku | 2010-11-07 08:00 | 歴史と旅
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