水の旅 宇陀 水分



つづき


宇陀市榛原から芳野川沿いに、三つ水分神社があるみたい。
東吉野方向へ、芳野川を南下しつつ立ち寄った。


宇陀水分神社三社のうち榛原の下社(下井足)。整えられている。
地元の方々の願いの場だったのだろう。

参道には針葉樹の新しい木がたくさん。
どうしてこんなに針葉樹を植えるのかしら。
それが宗教の発達ということかな。

一本、細いけれども比較的背の高いサカキ(ツバキか)があった。


宇陀水分神社。菟田野の中社(古市場)。
手水鉢の水が、石で造られた蛙の口から出てる。
蛙は害虫を食べてくれるから大事にされたことから、蛙の形なのだそう。

稲作に有益なもの。

人にとって有益なもの。

こうしたものが感謝を捧げられ、時には神と貴ばれておまつりされていったし、
害を与えるものも神としてまつり鎮め、
そのチカラを良い方向へ働かせることを願われる。
ことさら益も害もないようにみえるものは、まあ
普段あまり意識されることはない。

豊かな実りを願う人々の願い。
人々の願いが、宗教を展開させてきたのだと思う。


門前に水道工事の会社。
なんといっても水分(水配り)の神社だから、
水道工事の業者さんとのつながりはきっととても深そう。


境内の見上げるケヤキが、ひときわ印象的。美しい。

神社の方が丁寧に落ち葉を掃いていらして、
箒のはいた跡が、
青海波の文(もん)のように土に残る。

その箒の目の青海波の範囲の広いこと。

この箒の目の広さが、上空のケヤキの葉の豊かな広がりなんだ。

・2010-10-12 中世芸能の発生 358 扇の民俗 ケヤキ



境内のあちこちに子供のいたずら防止の札があった。
手水鉢にも砂を入れたりするみたい。
いつやってるの。どうしてするの。ふふ。
コラーーーと怒られるのかなー。



ここは地元の方の願いと、感謝がささげられたところ。
大切にされて、
地元の方々のくらしに密着し、
心のよりどころとなってきたところだっただろう。
こうした場所はよそ者の私が行くところではないなと思う。



宇陀水分神社中社を出て、
近年特にサッカーファンの注目を集める八咫烏神社を過ぎる。

八咫烏といえば神武東征。
宇陀市は、神武東征の中の重要なポイントで、
元伊勢のひとつと考えられているそうだ。

神武東征は大伴家持の祖先とも関わりが深い。
私は家持が好きなので、
“あきらけき名に負ふ伴の男心つとめよ”
“いにしへゆさやけく負ひて来にしその名ぞ”
と詠んだ頃の家持の状況と心を思えば、その心情に入れ込みたくなるけれど、
今は大伴家持のことはスルー。



さらに芳野川沿いに、宇陀水分神社上社(芳野)へ。
芳野川沿いに細く続く集落。

境内に入ると、ごく山際で、
水のにおいが肌にふれ、ようやく少しほっとする。




もともと日本の民俗信仰で神聖とされたのは、
固有名詞にならないものだったのではないだろうか。

生命力、圧倒的なチカラ、
昔の人の考えたところの霊力、呪力、強いはたらきがそれであって、
人格的な神でもなく、
固有名詞になるようなものでもなく。


木に〆があっても、木だから神でなく、
その木に横溢する力を神聖と感じていたと思う。

固有名詞になるような物を通して、
そのはたらきの強さを見ていたと思う。

だから自然のものならなんでもいいというわけじゃない。
同じ種類の木なら同じというわけじゃない。


そこに神聖と感じられる木があるとして。
その時、木の種類より、
木に満ちるチカラを神聖と感じていたことを、
少しだけ、思い出すといいのではと思う。

それはこうしたケヤキなど見れば感じる、
現代人にもあたりまえのとっても日常的な身体の感覚だ。

その時何を感じているのか、本当に見ているものは何か、
身体の芯が聞いているのは何かということを
身体に聞くというか。



奈良時代は、様々なことを神とみなしていったところがある。

それには人々の、切実な思いも重なって、
幸福を願うその思いは尊いものであるけれど、
それでも、

類感の感覚から、やがて
具体的なものが神になっていく過程を思う。

水分神社のありかたに、宗教の展開の過程を感じる。



さて、行くぜ、宮滝。うひょーーー。




大伴家持 かわいそうたぁ、すきだってことよ。
・2009-12-12 中世芸能の発生 264 いや重(し)け吉事(よごと)
・2009-03-17 「奈良の世の果ての独り」
・2009-09-10 時の花
・2009-09-09 清き瀬を馬うち渡しいつか通はむ




・2010-10-18 水の旅 都祁 山の口
盛んに葉を茂らせる広葉樹も神聖な木として古い時代から植樹されたと思うけど。
針葉樹の植樹は、
やはり建材としての優れていた実用と神聖の意味が重ねられ、
一層進められたと思う。




だいたい奈良時代には、様々なことを神とみなしていったところがある。

類感、呪術から、具体的なものが神になっていく過程。
・2010-10-03 中世芸能の発生 357 檜扇(ひおうぎ)の民俗
・2010-10-13 中世芸能の発生 359 衵(あこめ)扇 信仰の変質

・2010-02-21 中世芸能の発生 288 自然 身体 実感
・2010-07-07 中世芸能の発生 335 固有名詞にならないもの
・2009-12-08 中世芸能の発生 260 呪術・宗教と身体感覚
・2010-03-16 中世芸能の発生 297 土地の木
・2008-10-03 中世の人の感性



・2010-06-21 中世芸能の発生 330 主客の分かれないところ 宗教の原型
・2010-07-01 ぜんぜん論理的じゃないこと
・2010-08-16 中世芸能の発生 338 メモ
・2010-09-21 身体感覚 感情の偏重



やがて祈りの対象は客観的なものになっていく。

・2010-08-25 中世芸能の発生 348 神「を」祈る 融通念仏

・2010-08-26 中世芸能の発生 349 神「を」祈る イ罵(の)り
・2010-08-27 中世芸能の発生 350 神「を」祈る 神「を」祈(の)む



そして、地域に密着した原始宗教、呪術的宗教でなく、
仏教やキリスト教イスラム教など、
地域性を超え心を救済する論理的思想をもつ世界宗教が生まれていったのでは。
・2010-08-29 中世芸能の発生 351 神「を」祈る 宗教の瞬間 他力本願





つづく
by moriheiku | 2010-10-25 08:00 | 歴史と旅
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