水の旅 宇陀 分岐



つづき


主に東吉野をまわろうと思っている。

奈良市街から初瀬(泊瀬)のある桜井を通り吉野に入る手前で、
初瀬と東吉野の間の宇陀市に行ってみた。

宇陀市。
合併前、室生へは何度か行ったけど、榛原、菟田野ははじめて。

涼しさにさそわれて、なんかもう、室生か曽爾高原の方へ行って、
このまま三重へ抜けてしまおうかという気分。
山を越えたら三重。



宇陀市は、昔の人が伊勢へ参詣するのに使った道が通っている。

伊勢への参詣道の一つ初瀬街道は、
奈良桜井の初瀬から宇陀市を通り、
宇陀市の榛原で、室生を通る「あを越え道」(伊勢表街道)と
曽爾村御杖村を通る「伊勢本街道」に分岐、
二つの道は三重松坂の六軒で合流、伊勢へ至る。

この初瀬から六軒までの初瀬街道は、
壬申の乱のはじまりに、大海人皇子が通った道でもあるそうだ。

あ、そうか。


天智天皇は、息子の大友皇子が皇位を継ぐことを望んでいた。
皇位継承権のある天智天皇の弟、大海人皇子は、身の危険を察し、
自分は皇位へ就かず出家し吉野に入ると天皇に約束し、吉野へ逃れた。

淡海(近江)宮で天智天皇が没すると、大海人皇子は吉野を出、

この初瀬街道を通って伊賀、伊勢を経由、美濃をまわり、
東の国の協力を得て挙兵。
大友皇子の軍を破って勝利し、天皇(天武天皇)に即位した。


天皇の皇祖神である天照大神は、
かつて倭姫命が天照大神を奉じて各地を巡った後、伊勢へ鎮座した。
倭姫命が伊勢の斎王(斎宮)の原型であったと考えられる。

ただ斎宮が制度として整えられたのはこの天武天皇からで、
その初代斎王(斎宮)は、天武天皇の娘の大伯(大来)皇女が就いた。

伊勢へ向かう大伯皇女は、泊瀬に野宮を建て、小夫の化粧壺で禊(みそぎ)したいう。
・2010-10-19 水の旅 化粧壺 元伊勢伝承地

壬申の乱の勝利は、斎宮制度の契機となった。






榛原の、伊勢へつづく初瀬街道が、
「あを越え道」と「伊勢本街道」に分岐するあたりへ行ってみた。

そんなに伊勢参りの人が行き来したとは。
昔の伊勢の、人を集める力ってすごかったのね。
榛原は山に囲まれて、今はずいぶんのんびりしてる。


街道が二つに分かれる追分は、雰囲気のあるところが多い。
行きかう人の分岐点であるためか。
何もないけれど歴史の面影が濃縮しているような。



追分は人の分岐点であるのだけど、
古い道は地形に沿ってできたため、
それは土地の筋、地形の境なのだ。

この先の高い山を挟んだそれぞれの道を思う。


私はここから東吉野へ。
宇陀川沿いの伊勢本街道沿いに行こうか、支流の芳野川沿いに行こうかな。
どっちだっていいわ。
芳野川沿いにした。




壬申の乱周辺
・2009-10-10 中世芸能の発生 215 ささなみの故き京
・2008-06-03 虎に翼を着けて放てり
・2009-10-08 中世芸能の発生 213 神浪(ささなみ)の大津宮
・2008-08-28 骨の笛
・2009-10-13 中世芸能の発生 218 志賀津(しがつ)の子



斎宮 大伯(大来)皇女
・2007-10-08 十月のはじめの山
・2010-10-19 水の旅 化粧壺 元伊勢伝承地





つづく
by moriheiku | 2010-10-24 08:00 | 歴史と旅
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