中世芸能の発生 356 横綱と神木


つづき


ニュース映像の一場面で、シルヴェスター・スタローンさんが
横綱の頬にパンチしているポーズ(ふり)をしているのを見て、
私、ピリッとした。


気安く触るな、って。 私、柄が悪い。

スタローンさんは取材陣にそうして下さいと頼まれたのかもしれないし、
横綱だってそれで一緒に写真を撮っているのだから、
何も問題ないのに。

どうしてそう思ったんだろう。



その日の横綱白鵬は連勝続きで千秋楽が近く、
横綱はなんていうか、イ(威)に満ち満ちている状態と思われ、

それは昔の山伏で言ったら、
山の修行から出て来たばかりの、
山の精気もぴちぴち身体に満ちている状態で、験力だってすごく効きそう、
という状態に似ているような。



横綱にパンチするのは、パンチするふりでも、
土俵まで歩く間の横綱を客席の一般の人がぺちぺち触ることととちがう。

スポーツならそれでいいでしょうけど。

一般の人が、勢いのあるものや
生命力の横溢するものやありがたいものに触って、
そのイやサチを得よう自分に伝染させようあやかろうという行為と、
パンチ(のふり)の意味はぜんぜん違う。

敬意のありなしとも違う。



そこで私自分が、日本人ね、と思った。
自分でもびっくり。

普段意識はしてないけど、そういう状態の横綱を、
そう、どこか
神木と同じように感じていたのだと思う。


こう、高く緑に茂るご神木のような、イの横溢というか、
命のチカラに溢れた状態というのか、
ある神聖な状態のものとして、

気安く触るな、って。


横綱も御神木も白い標(しめ)をしてるし。

そういう状態のものにぺちぺち触ることと、パンチすることは違うぞ、って。
瞬間、ぴりりっ、と。


スタローンさんは異文化の方だし、きっと良い方で、
みんなへのサービスでそうされたのでしょうに。
私、心、狭。。 反省中。 



日本人の中に生き残る古来の神聖の感覚に気付かせてもらえました。
ありがとう。シルヴェスター・スタローンさん!



大樹 祝福
・2010-10-12 中世芸能の発生 358 扇の民俗 ケヤキ



・2010-03-16 中世芸能の発生 297 土地の木
・2010-02-04 中世芸能の発生 268 古代における聖性とは
・2010-02-11 中世芸能の発生 274 イノチ ユリの花


いちはやぶる ちはやぶる 
・2008-10-03 中世の人の感性
霊威が盛んである。神秘的な力に満ちている。
たけだけしい。荒々しい。




日本人が、強いもの、ありがたいものにぺちぺち触ったりするのは、
その強いもの、ありがたいものが感染すること(御利益 ごりやく)を
無意識に期待してだと思う。
・2010-05-14 中世芸能の発生 309 はやし はやす

ってことはそうする現代日本人も心のどこかで、感染することを信じているんだろう。
・2009-12-07 中世芸能の発生 259 類感 感応

こうした類感的感覚は、
呪術意識・宗教意識をもって理解されるより前の、
あたりまえの身体の実感からきているものだから、
時代が進んでも消え去ることなく残ってきた。





・2011-08-18 中世芸能の発生 410 生命の連鎖 歌から掬(すく)いとる方々
「命っていうのは、やっぱり生き物を見ていますとね。みんなつづいていこう、つづいていこうって一所懸命生きてるなって思うんです。それはもちろん死というものもあるんですけど、なんか自分だけじゃなく、他の生き物たちも含めてつづいていってほしい、っていう、そういうことがみんなの生き物の中にこう、こもってる。」

そうした行動が、人間だったら、歌や、花を植えるとか、そういう行為で、
それが生き物としての人間の表現、

と、おっしゃって、
そういう意味でもこの歌を素晴らしい、と中村さんは思われたそうだ。

日本の信仰というか、信仰ともいえない、謂わば民俗の底には、
自然という水流がずっと続いていると私は思う。

それは個人の教祖や教義など、つけようもないもの。
体系的でも哲学的でもない、
自然の実感としかいえないようなものだ。

中世芸能が生まれるまでの、
芸能と宗教と分化していない古い日本の芸能は、
自然に寄せてヨ(イノチ)をことほぐ、祝福の系譜だ。





つづく
by moriheiku | 2010-09-24 08:00 | 歴史と旅
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