ニュートラル


人は、外で遊べばいい。

葉っぱとはどういうものかを辞書で見るより、
葉っぱに触れることで、葉っぱを理解できる。

それは近道であり、全体性を知ることになると思う。


匂いがする、手触りがある、
葉っぱに触れた時の夜空は暗かった、風が吹いていた、ちぎった葉脈に露がついていた、
それら広い情報が一度に蓄えられる。

比較的偏らず、その物の全体像を捉えられる。


神経細胞が結びつくようにそこから様々の情報は結びあって、像を結んでいく。



言語や感情や脳みそやだけに頼るのは、偏った、
永遠にたどり着くことのない遠回り。


身体感覚をできるだけニュートラルにしていることだ。



って、思う。




・2008-03-19 『第三の脳』 皮膚は考えてる 06
・2007-04-26 小さいほうき
アボリジニの描いた犬。内臓まで含めて犬。





猟は残酷か?

・2013-02-07 中世芸能の発生 451 『ぼくは猟師になった』 殺生 肉食 イオマンテ

著者の千松さんは若手猟師さん。
猟をする暮らし。狩猟についての目線。

『ぼくは猟師になった』を読んで私は、
ワナをかけること、獲物を獲ること、
臓器、骨、革ひとつひとつの処理の仕方を知ること、
その肉をおいしく食べることは、
その動物を知るということだと思った。

それは身体で自然を知ることだと思う。


『ぼくは猟師になった』についてと、
説話集、今様歌、猿楽能など、古典や史料の中に見る、
日本の古来の肉食と、
新しく入ってきた仏教思想の殺生肉食の戒の狭間のきしみについて。





食と香り、薬などの境のないことは、古くからある植物の用いられ方の典型。
・2011-02-24 中世芸能の発生 382 ビターオレンジ ダイダイ(橙)
柑橘のダイダイ(橙)。
食と香り、薬などの境のないことは、古くからある植物の用いられ方の典型。

現代では別のものと考えられることの多い食、香、薬等の境界は
時代をさかのぼるほどなくなる。

時代をさかのぼるほど、概念の境界は重なり、消えていく。
つまりこうした概念の境界がなかったということだ。

こうしたもののとらえかたは、教科書で学ぶことよりそのものの本質に近く思われる。
現代よりも、そのものの全体をひとつのものとしてとらえていたように思う。

五感というか、身体的経験によって
対象(この場合ならダイダイ=ビターオレンジ♪)の性質をとらえていたと思われる。

柑橘は世界中の人気者。
日本ではダイダイ(橙)と呼ばれるビターオレンジの木が、
たとえば(イタリア)で、
木や実の姿を愛され香りを愛され、味が親しまれ、利用されてきたことは、

学問や宗教以前の
自然と人の関係の実感の根を結ぶようなものに思われて、
おもしろいこと。
by moriheiku | 2010-09-22 08:00 | つれづれ
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