中世芸能の発生 343 倭文(しつ) 神聖なもの



つづき


万葉集歌中、倭文(しつ しづ しず)が
神聖さを表す用例いくつか。

神聖さを表す用例を見ると、
万葉の時代、倭文が、神聖なものとして用いられるのは、
神祀り、神への祈願の道具に用いられている時。
倭文は万葉以前に呪具だったのだろう。



神に祈る幣帛(ぬさ)としての倭文。

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巻第十三 三二八六

玉襷(たまだすき) 懸(か)けぬ時なく わが思へる 君に依(よ)りては 倭文幣(しつぬさ)を 手に取り持ちて 竹珠(たかだま)を 繁(しじ)に貫き垂れ 天地(あめつち)の 神をそあが乞(こ)ふ 甚(いた)もすべ無み (3286)

玉襷をかけるように心にかけぬ時なく、私が慕うあなたによってこそ、倭文織の幣を手にとり持ち、竹珠をたくさん貫き垂らし、天地の神々に逢瀬をお願いする。恋しさにせん方なく。
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倭文(しつ しづ しず)は、垂(しつ しづ)と重なる。

倭文(しつ しづ しず)は、鎮(しづ しず)、
垂らして揺らす鎮魂(たまふり たましずめ)の呪術と交わる。

上記大伴坂上郎女の氏神を祭る歌にも竹玉などを垂らす。
これらは祈願の道具だ。


また、木綿(ゆふ)の垂(しで)を垂(し)でて祈る。

昔からかける、垂らすということに意味があった。
故に長い尾の鶏も慶ばれた。

長いものが揺れると、イノチが動き、活発化すると思われていた。
イノチが長く続くことにも考えられるようになった。




大伴家持が国守として越中に赴いていた時、家持が大切にしていた鷹が逃げた。
その逃げていった鷹を夢に見、家持が喜んで作った歌。

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巻第十七 四〇一一

大君の 遠(とほ)の朝廷(みかど)ぞ み雪降る 越(こし)と名に負へる 天離(あまざか)る 鄙(ひな)にしあれば 山高み 川雄大(とほしろ)し 野を広み 草こそ繁き 鮎走る 夏の盛りと 島つ鳥 鵜養(うかひ)が伴は 行(ゆ)く川の 清き瀬ごとに 篝(かがり)さし なづさひ上(のぼ)る 露霜(つゆしも)の 秋に至れば 野も多(さは)に 鳥多集(すだ)けりと 大夫(ますらを)の 伴誘(ともいざな)ひて 鷹はしも 数多(あまた)あれども 矢形尾(やかたお)の 吾(あ)が大黒(おおぐろ)に[大黒は蒼鷹(おほたか)の名なり] 白塗(しらぬり)の 鈴とり付けて 朝狩(あさかり)に 五百(いほ)つ鳥立て 夕狩に 千鳥踏み立て 追ふごとに ゆるすことなく 手放(たばな)れも をちもかやすき これを除(お)きて またはあり難し さ並べる 鷹は無けむと 情(こころ)には 思ひ誇りて 笑(ゑま)ひつつ 渡る間(あひだ)に 狂(たぶ)れたる 醜(しこ)つ翁(おきな)の 言(こと)だにも われには告げず との曇(ぐも)り 雨の降る日を 鷹狩(とがり)りすと 名のみを告(の)りて 三島野を 背向(そがれ)に見つつ 二上(ふたがみ)の 山飛び越えて 雲隠(がく)り 翔(かけ)り去(い)にきと 帰り来て 咳(しはぶ)れ告(つ)ぐれ 招(を)く由(よし)の そこに無ければ 言ふすべの たどきを知らに 心には 火さへ燃えつつ 思ひ恋ひ 息衝(づ)きあまり けだしくも 逢うことありやと あしひきの 彼面此面(をてもこのも)に 鳥網(となみ)張り 守部を据ゑて ちはやぶる 神の社に 照る鏡 倭文(しつ)に取り添へ 乞(こ)ひ祈(の)みて 吾(あ)が待つ時に 少女(をとめ)らが 夢に告ぐらく 汝(な)が恋ふる その秀(は)つ鷹は 松田江の 浜行き暮(くら)し 鯯(つなし)取る 氷見の江過ぎて ・・(後略)・・ (4011)


ここ、天皇の遠い朝廷は、み雪の降る越を名にもとう、空の果ての鄙なので、山が高くそれゆえに川は雄大に流れている。野が広いので、草は一面生いしげる。そこで鮎の走りおよぐ真夏には、島に住む鳥の鵜を飼う人々は、流れ清き川の瀬ごとに、篝火をたいて水の中に鮎を追いかける。露や霜がおりる秋になると、あちこちの野に鳥が群れ騒ぐとて、大夫たちは仲間を誘って鷹狩に出かける。さて、鷹狩の鷹も多くいるだろうが、わが大黒[「大黒」というのは大鷹の名である]銀色の鈴をとりつけ、朝狩・夕狩にたくさんの小鳥たちを追い立て驚かし、手から飛び立つのも、手元に戻るのも自在であった。これ以外には鷹はいないだろう、比べられる鷹もないだろうと、心の中で自慢して喜んでいたのに、やがて何というきちがいの老人だろう、一言も私にいわず、空が一面に曇って雨の降る日に、鷹狩をしますと形だけ告げて、大黒をつれ出したところ、大黒は三島野を後にして、二上山を飛び越え雲の彼方に翔り去ってしまったと、帰って来て咳をしながら言うことよ。こうなれば呼び戻す方法もないので、心の無念さはいいようもなく、心の中は火が燃えるように恋しく思い、嘆きつづけた果てに、ひょっとして逢えるかもしれないと、あしひきの山のあちこちに鳥網を張り、見張りを立て、神威ふるう神の社にはりっぱな鏡を倭文(しつ)幣(ぬさ)に添えて捧げ、大黒が帰るのを祈りつつ待っている時に、巫女の娘が夢の中でこう私に告げた。「あなたの慕っているあのすぐれた鷹は、松田江の海岸を飛びくらし、鯯をとる氷見の入江を過ぎて ・・(後略)・・ 」

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大伴家持が国守として越中に赴いていた時、射水郡の古江村で大鷹を獲り得た。
形麗しく、雉を獲るにも秀れていた。

家持はこの鷹を大黒と呼び、
姿も、狩りをする様子も、手元から立ちまた戻るのも自在で
これ以上の鷹があろうかと誇りに自慢に思っていた。

しかしある日、鷹飼の役人(鷹匠)山田史君麿(やまだふひときみまろ)が
大黒を逃してしまった。

家持は怒り、また残念でならず、
なんとかしてまた大黒に逢いたいと網を張り見張りを立てて、
神威をふるう社に倭文(しつ)の幣に鏡も添えて神に祈って待っていたところ、
夢の中に少女が現れて家持に告げた。

大黒は氷見の入江を過ぎて、おとといと今日は多祜の島の上を飛び回っています。
「苦念(くるしみ)を作(な)して空しく精神(こころ)をな費(つひや)しそ。」
苦しんで徒に心をわずらわせないでください。
早ければ二日後、遅くても七日後にもどってきます。
そう家持に告げた。

家持はほんの僅かの間で目をさまし、夢を大いに喜び、
感応の効果を明らかにするために、この歌恨めしさを払う歌を作った。

と万葉集にある。

感応したと考えられていたことは、
当時の人々の感覚の、理解の鍵になることだろう。



歌中の
“ちはやぶる 神の社に 照る鏡 倭文(しつ)に取り添へ 乞(こ)ひ祈(の)みて”

万葉人が神への祈願の祈りに鏡を用いることは、モダンに感じられる。
なんといっても鏡は金属だし。

祈願に、自然の力の生きた織り物の倭文(しつ)を用いることは、
鏡よりも前の祈願に思われる。

万葉の時代以前に倭文は、神を媒介せず、
直接影響を与える呪具になっていたのだろう。
そして呪術が発展し、さらに新しい思想が入って、
宗教や神の概念のできた後は、
呪具の倭文は神への祈願に用いる幣になったと思う。


本気で祈ったんだろう。
家持の本気の祈りは、はるか昔につながる祈りだった。

この人は古来の倭文(しつ)や野生の命の感覚を、充分身体に満たせながら、
次の時代へ走って行った人。好き。




死(みまか)りし妻を悲傷(かなし)びたる歌一首
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巻第十九 四二三六

天地(あめつち)の 神は無かれや 愛(うつく)しき わが妻離(さか)る 光る神 鳴(なり)はた少女(をとめ) 携(たづさ)はり 共にあらむと 思ひしに 情違(こころたが)ひぬ 言はむすべ 為(せ)むすべ知らに 木綿襷(ゆふたすき) 肩に取り掛け 倭文幣(しつぬさ)を 手に取り持ちて な離(さ)けそと われは祈れど 枕(ま)きて寝し 妹は手本(たもと)は 雲にたなびく (4236)

天地の神がいないからか、私のいとしい妻は遠く去ってしまった。稲妻の光る神が鳴りはためくような少女よ。手をとり合っていっしょにいようと思っていた気持ちは、違ってしまった。どう言い表し、どうすればよいか、その方法も知らず、木綿の襷を肩から結び、倭文布の幣を手にもって、行ってしまわないでくれと祈るのだが、枕として寝た妻の手本の袖は、雲となってたなびくことよ。
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ああかわいそう。憶良の息子古日を亡くした歌に似た絶唱。
神が遠ざけるなと、こんなに愛したのか。


万葉集の歌には、当時の神に祈願する方法が具体的に出てくる。

万葉の時代において神への祈願というものは、
胸の内で思うものでなく、
具体的な物を用いて具体的な願いを達成しようとしたことだったとわかる。

具体的な物を用いて自分の願いを達成しようとした。
それは宗教的な思想の洗練とはちがう。
それはつまり呪術だ。当時の神への祈りは発達した呪術の名残だ。


参考:『万葉集(三)(四)』中西進(著)




■倭文のシリーズ
・2010-08-19 中世芸能の発生 341 倭文(しつ しづ しず 倭文織)
・2010-08-20 中世芸能の発生 342 倭文(しつ) 真間の手児名
・2010-08-22 中世芸能の発生 344 倭文(しつ) つまらないもの
・2010-08-23 中世芸能の発生 345 倭文(しつ) 狭織(さおり)
・2010-08-24 中世芸能の発生 346 しづやしづ しづのをだまき くりかえし





・2009-12-11 中世芸能の発生 263 ほうほう蛍 まじないのことば

・2009-02-06 中世芸能の発生 270 イハフ
・2010-06-05 中世芸能の発生 320 祈(イノ)リ イ罵(ノ)り



・2009-12-01 中世芸能の発生 255 照る鏡 倭文(しつ)に取り添へ




つづく
by moriheiku | 2010-08-21 08:00 | 歴史と旅
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