中世芸能の発生 315 仏教と和歌の習合



つづき



西行法師が明恵上人に、歌について語ったことには(2008-12-16 本来空)、

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目や耳に満ちる華も鳥も、月、雪、万物はみな空(くう)だ。

それを詠み出す言葉は、真言と同じではないだろうか。

華を詠んでも、華と思って詠んでいるのではない。
月を詠んでも、月と思って詠んでいるのではない。

ただそのごとく、縁に随い、興に随い、詠んでいる。

それは、
紅虹がたなびいて、虚空がいろどられることに似ている。
月が白く輝けば、虚空が明るく見えるのに似ている。

しかし虚空は虚空、
本当は明るいものでもないし、いろどられるものでもない。


私の心もその虚空のような心で、
様々な風情を歌でいろどるけれども、
どちらもあとかたもないものだ。


こうした歌が、如来の真の形体だ。


だから
一首詠み出でては、空の中に一体の如来の形を造る思いをする。
一句を思い続けることは、秘密の真言を唱えることと同じ。

私はこの歌によって、法を得てきた。

もしここに思いを至らずに、この歌の路を学ぼうとしても邪路に入るばかりだ。

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(訳はだいたいこんな感じかなって;)


西行の、無常を知ること、そしてそれでも歌を詠む理由が述べられる。


仏教では、
目や耳にうつるものはみな空(くう)、無常であり、
仏の真理だけが、常住、生滅変化しない真実とされる。

仏教は空を知って仏を目指すものなのに、
和歌は、無常であるものを歌い、心をいたずらに動かすことであり、

それは仏の真理から離れることだから、
仏教側に狂言綺語と疎まれたいきさつがある。


狂言綺語(きょうげんきご・きょうげんきぎょ)
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道理に合わない言と、巧みに飾った語。無いことを装飾して言い表したつくりごと。小説・物語・戯曲などを卑しめていう語。
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しかし同時に多くの僧が和歌を詠んだ。
日本製の声明(しょうみょう)の和讃が和歌の形式でつくられている。

こうした日本仏教における歌のありかたの矛盾は、
どういうところに生まれたのか。

またこの矛盾は、
どういう論理で正当化され、解消されていったか。

西行のことばにみてみたい。



西行もわざわざ口にしていることにもうかがえるように、
当時の宗教者にとって和歌と仏教の問題は
ことわっておかなければならないものだった。

歌を道とする西行のような出家にはなおさらだったと思われる。
作歌聖(ひじり)ともいえる西行には、仏教と和歌の関係が整理習合されており、
西行が明恵に語ったことばに、
当時の仏教における和歌のありようのひとつがうかがえる。



先に述べたように、
やまとことば(日本語)で詠まれる和歌は、

無常のものに心を動かし、
言葉を飾り立てて詠むものとなっていた。

同時にやまとことばがその発生から日本の自然風土を含むことば。
仏教の原典を重視する人々にとってやまとことばはあらきことばとも言われており、
仏の真理からはずれる古い迷信的な世界を詠むことばだったという面も
あったのではないかと思う。

それらのことから、仏教における和歌の受容の経緯は、
仏教の日本化の経緯でもあり、神仏習合の経緯でもあったと思う。




やまとことばがその発生から日本の自然風土を含むものであるから、
大歌に名残が見えるように、古い時代には
やまとことばを用いた和歌は日本の神々をあらわすことばでもあった。

祝詞、歌占、宣託などが和歌でされてきた経緯がある。

和歌のルーツないしは代表に、詠(よ)み歌があったと考えられる。
・2010-02-15 中世芸能の発生 296 ヨム 和歌を詠む(よむ) 芸能


また和歌は、人の心を種として、
心の機微を語るものにもなった。

自然を詠むにしても
雅語で個人の感情を通して語ることを専らとするようになる。
(これはこれで美しい歌の文化を生んだのだけど。)




仏教で和歌が避けられた理由には、

和歌が日本の古来の、つまり未開の信仰に親しいものだったから、
和歌が無常や人の心に親しいものだったから、
和歌が、いたずらに心を動かすものだったから。
和歌が仏教における無常も、
美しく飾って詠むものになっていたから。

つまり和歌(やまとことば)におきかえて仏法を語ることは、
純粋な仏の真理から離れること。


そのように
和歌は仏教側から見て迷妄と思われるものに結びついているため、
仏教から退けられたところもあったのじゃないかな。

純粋な渡来の仏教に近づこうとするほど、
古来の民俗はまぼろしや迷信に満ちた世界になっていく。


仏教と和歌のせめぎ合いは、
渡来の仏教と、仏教以前の日本の古い民俗のせめぎ合いだ。


この矛盾の解決のひとつが、
先にあげたの西行のことばに見られる考え方で、

歌を詠むことは、いたずらに心を動かし、
装飾して無常のことを歌うたわごとであるが、

ひたすら作歌に励むことは、
無常を越えて真実の仏性を見出すわざになる、
という理解。

止観・三昧にもつながる性質のもの。

“一首詠み出でては一体の仏像を造る思ひをなし
 一句を思ひ続けてては秘密の真言を唱ふるに同じ 
 我れ此の歌によりて法を得ることあり”



こうした力技で発想を逆転するような論理の展開は、
中世に多く見出される。

当時の人々がそれを必要としたのだろう。




作仏聖 作歌
・2009-08-17 中世芸能の発生 188 作仏聖 円空 棟方志功
・2008-12-16 本来空




・2010-02-12 中世芸能の発生 293 ヨ
・2010-02-13 中世芸能の発生 294 よごと 寿詞
・2010-02-14 中世芸能の発生 295 奄美のユミグトゥ(ヨミゴト)
・2010-02-15 中世芸能の発生 296 ヨム 和歌を詠む(よむ) 芸能






和歌と仏教シリーズ
・2010-05-16 中世芸能の発生 311 狂言綺語
・2010-05-17 中世芸能の発生 312 ことばの神聖視
・2010-05-18 中世芸能の発生 313 やまとことば
・2010-05-19 中世芸能の発生 314 仏教が和歌を退けた理由
・2010-05-21 中世芸能の発生 316 今様即仏道 芸能者と仏教




・2010-06-18 中世芸能の発生 327 ことば 倭文 薬 捨身 自然のイノチとの一体化




神仏習合は、矛盾の中で苦しむ精神の整合性をとるために
切実に求められ一気に進んだのではないかと思う。
・2011-07-22 中世芸能の発生 402 神仏習合思想 日本人の仏教
神仏習合の底に流れているもの



つづく
by moriheiku | 2010-05-20 08:00 | 歴史と旅
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