中世芸能の発生 310 くすり 呪術


つづき


五月には、菖蒲の葉をお風呂に浮かべた。

切ってはかわいそうなほど瑞々しい菖蒲の葉は、
湯船の中で緑に輝いていた。

命の喜びと痛ましさがある。

菖蒲にふれて、輝く緑の息を吸いこんだ。

こうして命をもらいあって生きるのだ。



薬は、現代では、薬効が体のどこに効いてという理解だろうけど、
遠い昔は、薬の原料の草木や動物の力が、
身体に伝染する(うつる)ととらえられていただろう。

薬の原料の草木や動物の生命の力が自分の一部になる。

祭りで、神饌を下げて分け合っていただく直会が
重要なことであった(ある)のも、
こうした意識に基づく。

私も様々の一部になっていく。
全てが様々の一部になっていく。


相互に伝染させて効果を及ぼそうとした古い時代の
原始的、呪術的な芸能は、
ものや人がつながりあっている実感があたりまえに前提にある。


田植神事やことほぎや家ぼめのような予祝は、
あらかじめ望ましい状況を演じほぐことで
物事がその通りに進むことを期待して行われる呪術の展開だ。


ものや人がつながりあって影響しあう実感がなければ
予祝の効果は及ばない。
ものや人がつながりあって影響しあう実感がなければ、
そもそも呪術などありえない。


観念的哲学的な思想をもって心を救う宗教以前の、
原始宗教の呪術の始まりは、
ぴちぴちした土地に行けば身体がぴちぴちするし、
生気あふれる食べ物を食べると、元気になる気がする、
風や水に威力を感じる、そういう素朴な身体の実感にある。


強いものの名を名前に付けて強く育てと願ったり、
美しい音を名にしてそういう子に育つことを願うのもそれで、

それなのに、現代の日本人の多くが、
自分は呪術や宗教とは無関係と考えているのはどうして?


でなければ非常に抽象的な概念や、
人格的な神々をまず前提に物事を説明されたりして。



日常にごく身近な実感を忘れてるんだろうか。
忘れることができるものだろうか。
それとも切り離して考えるものなのかしら。


霊や神仏ということばが盛んに出てくるわりには、
私はとことん現実的で、うんと罰あたりなのだろうか。


このことと日本化した仏教の考え方の齟齬を埋める習合の思想。
それから天台本覚論。




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・2010-03-05 中世芸能の発生 292 海幸山幸(ウミサチヤマサチ) ことばの音
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ウグイスの声
・2008-07-10 神仏習合思想と天台本覚論 01
・2008-07-11 神仏習合思想と天台本覚論 04







類から個へ
・2010-06-21 中世芸能の発生 330 主客の分かれないところ 宗教の原型
・2008-06-01 自然と我 04 古代の信仰
・2009-12-08 中世芸能の発生 260 呪術・宗教と身体感覚
・2009-12-07 中世芸能の発生 259 類感 感応
・2011-07-20 中世芸能の発生 401 個の意識と宗教
・2010-08-25 中世芸能の発生 348 神「を」祈る 融通念仏
・2010-08-29 中世芸能の発生 351 神「を」祈る 宗教の瞬間 他力本願
・2010-06-25 中世芸能の発生 332 類感から魂の概念への移行 翡翠(ひすい)
・2010-02-21 中世芸能の発生 288 自然 身体 実感




万葉集
・2011-08-18 中世芸能の発生 410 生命の連鎖 歌から掬(すく)いとる方々
「命っていうのは、やっぱり生き物を見ていますとね。みんなつづいていこう、つづいていこうって一所懸命生きてるなって思うんです。それはもちろん死というものもあるんですけど、なんか自分だけじゃなく、他の生き物たちも含めてつづいていってほしい、っていう、そういうことがみんなの生き物の中にこう、こもってる。」

そうした行動が、人間だったら、歌や、花を植えるとか、そういう行為で、
それが生き物としての人間の表現、

と、おっしゃって、
そういう意味でもこの歌を素晴らしい、と中村さんは思われたそうだ。

日本の信仰というか、信仰ともいえない、謂わば民俗の底には、
自然という水流がずっと続いていると私は思う。

それは個人の教祖や教義など、つけようもないもの。
体系的でも哲学的でもない、
自然の実感としかいえないようなもの。

中世芸能が生まれるまでの、
芸能と宗教と分化していない古い日本の芸能は、
自然に寄せてヨ(イノチ)をことほぐ、祝福の系譜だ。



つづく
by moriheiku | 2010-05-15 08:00 | 歴史と旅
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