中世芸能の発生 274 イノチ ユリの花


つづき 


“呪力のある植物は呪的儀礼はもちろん、神祭りにも、祭場に立てたり、祭りに従事する人々の挿頭、鬘、手繦(たすき)として用いられた。それは儀礼の場や儀礼に従事する人を聖化するためで、神聖とは元来生命力に満ちた状態を言うのである。”


昔の人は、ものやことばの持つ力を、霊力や呪力ととらえ、
その力をものやことばの魂と考えた。


先史時代の宗教や未開の人々の宗教が、原始宗教と言われる。

宗教学的には、教祖、教義を持つものが宗教とされ、
原始宗教は、宗教以前の呪術に分類される。


宗教以前の原始宗教を呪術とした場合、

・「呪術」 人が自然や他者を直接的にコントロールする行為 
・「宗教」 神仏などの力を借り間接的に願望を達成しようとする行為 

と考えられる。


ただし宗教ができた後も、原始宗教的呪術は消え去ることはなく、
宗教の中に残っている。
・2009-12-06 中世芸能の発生 258 マナ 原始宗教



土橋寛においては、
「イ」は元来、生命力・霊力を意味する名詞と考えられる。
・2010-02-04 中世芸能の発生 268 古代における聖性とは


“呪力のある植物は呪的儀礼はもちろん、神祭りにも、祭場に立てたり、祭りに従事する人々の挿頭、鬘、手繦(たすき)として用いられた。それは儀礼の場や儀礼に従事する人を聖化するためで、神聖とは元来生命力に満ちた状態を言うのである。”


生命力が強いものは霊威が強い、威力が強い、影響力が強い、呪力が強い
と考えられたことは、現代人にも感覚的に理解できる。

ぴちぴちとれたての魚、美味しくって身体に良さそう!とか。
笑い声につられて、こちらも元気になる、とか。
・2009-12-07 中世芸能の発生 259 類感 感応

それで神聖な植物を身につけることは、
身体に生命力「イ」をうつして満たすこと。
結果として人や場は、神聖化される。



万葉集
“同じ月九日に、諸僚、少目秦伊美吉石竹の舘に会ひて飲宴す。時に、主人、百合の花蘰三枚を造り、豆器に畳ね置きて、賓客に捧げ贈る。各々この蘰を賦して作れる三首”
から一首。

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万葉集 巻第十八 四〇八六
あぶら火の光に見ゆるわが蘰(かづら)さ百合(ゆり)の花の笑(え)まはしきかも (4086)

右の一首は、守大伴宿禰家持

燈火の光の中に見える私の蘰、この百合の花がほほえましいことよ。
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役人たちが少目(せうさいくわん)の秦伊美吉石竹(はだのいみきいはたけ)の宅に集って宴会をした。この時、主人の石竹が百合の花蘰を三枚作って食器の上に重ねて置き、客たちにさし上げた。


家持、ユリの歌。

花や酒(クシ 薬の認識あり)を客に勧めるのは、
その人の命を祝うこと。

これは、植物や酒といういってみれば呪物によって
直に家持のイノチをイハフもので、呪的効果を期待した行為である。

現代では呪術というとおどろおどろしいものを想像するけれども、
いいものが感染(うつ)りますようにという、
良いおまじない。

客のイノチを生命力で満たそうとする、おもてなしの心だ。

よい宴の情景。



「イノチ」は「イ」の「チ」であって、
「イ」は生命、「チ」はチカラ(力)。

例えば「イカツチ」(雷)は「イ」変化の「イカ」つ「チ」。
「カグツチ」は「カグ」つ「チ」。
「チ(血)」「チチ(乳)」「ミチ(道)」「ヲロチ(大蛇)」他、
これら名詞は生命力・霊力をしての「チ」の性質を内蔵するという観念に基づく。

また「チカラ(力)」は「チ・カラ」で、「カラ」はウカラ・ヤカラのカラと同じ。

つまり「チカラ」は「チ」そのもの、霊力・霊威の観念を顕す語とみられる。

昔、租稲・租税を「チカラ」と言った。(例:主税寮 ちからのつかさ)
今も秋祭りでその年の初めの収穫を神前に奉ずるが、
それは最も「チ」に満ちていると考えられていた最初の収穫を神(王)へ捧げ、
繁栄を願う(イハフ)行為だった。


「チ」を語根とする動詞の「チハフ」は、「チ」の恩恵的な働きを意味する。
また「チハヤブル」は、「チ」が烈しく活動する意で、
「チ」には、恩恵的な働きと、破壊的な働きとの両面がある。

チは、力そのもの。



参考:土橋寛『日本語に探る古代信仰』
   中西進『万葉集(四)』






・2010-05-15 中世芸能の発生 310 くすり 呪術


イノチを活気づける共感  花見 (山見、鳥を見ること、国見) の習俗
・2011-02-24 中世芸能の発生 382 ビターオレンジ ダイダイ(橙)



・2013-02-06 日本の命の概念
日本の古来の命の考え方は、
大陸から入ってきた命の考え方とは違う。

大陸的な考え方では、命はもっぱら動物、また植物の生命のことを指す。
(今は日本人にもこれに近い考え方だろうか。)

古来の日本の命は、
その生命力、圧倒的な力、横溢するエネルギーのことを、命と感じていた。

したがって昔の日本では、山にも岩にも命がある。
滝も水の流れも、風も、命そのものだ。
光も、音も。何かの中におこる力や性質自体も。


ごく古い時代の日本のこうしたイノチの感覚がやがて、
日本における精霊やタマの概念になり、日本における神の概念になり、
仏教が入ってからは民俗信仰と習合した仏の概念になっていった。

かつて命はエネルギーのようなものに概念されていたので、
古い時代の日本では、命の概念で生物と無生物は分かれない。

したがって日本では、
森羅万象に命があり、森羅万象に神が宿り、
岩にも木にも仏がいるという理解になっていった。
日本の信仰の流れ。




木(キ)
・2011-09-05 中世芸能の発生 412 キ(木) 毛(ケ) キ・ケ(気)
・2011-09-06 中世芸能の発生 413 ことばと植物



・2009-12-06 中世芸能の発生 258 マナ 原始宗教
・2009-12-07 中世芸能の発生 259 類感 感応
・2009-12-08 中世芸能の発生 260 呪術・宗教と身体感覚


・2010-02-04 中世芸能の発生 268 古代における聖性とは

・2010-02-06 中世芸能の発生 270 イハフ

・2010-03-04 中世芸能の発生 291 サチ 弓矢 狩人 開山伝承

・2009-09-23 中世芸能の発生 203 狩猟 採取

・2010-03-05 中世芸能の発生 292 海幸山幸(ウミサチヤマサチ) ことばの音


・2010-03-16 中世芸能の発生 297 土地の木


・2010-04-08 中世芸能の発生 303 日本料理 湯屋 湯聖(ひじり)



・2010-05-05 中世芸能の発生 304 仏塔 心柱 刹柱



・2010-02-14 中世芸能の発生 295 奄美のユミグトゥ(ヨミゴト)
・2010-02-15 中世芸能の発生 296 ヨム 和歌を詠む(よむ) 芸能



・2010-06-21 中世芸能の発生 330 主客の分かれないところ 宗教の原型



・2010-09-02 中世芸能の発生 353 ことほぎ 自然
・2010-08-30 中世芸能の発生 352 滝 木綿花
・2009-12-17 中世芸能の発生 267 一つ松 声の清きは
・2010-10-12 中世芸能の発生 358 扇の民俗 ケヤキ
・2010-02-03 命の全体性



・2011-06-19 中世芸能の発生 400 遊び 神楽
・2010-12-01 中世芸能の発生 399 九州新幹線全線開通 祝福



類から個へ
・2011-07-20 中世芸能の発生 401 個の意識と宗教




・2011-08-18 中世芸能の発生 410 生命の連鎖 歌から掬(すく)いとる方々
「命っていうのは、やっぱり生き物を見ていますとね。みんなつづいていこう、つづいていこうって一所懸命生きてるなって思うんです。それはもちろん死というものもあるんですけど、なんか自分だけじゃなく、他の生き物たちも含めてつづいていってほしい、っていう、そういうことがみんなの生き物の中にこう、こもってる。」

そうした行動が、人間だったら、歌や、花を植えるとか、そういう行為で、
それが生き物としての人間の表現、

と、おっしゃって、
そういう意味でもこの歌を素晴らしい、と中村さんは思われたそうだ。

日本の信仰というか、信仰ともいえない、謂わば民俗の底には、
自然という水流がずっと続いていると私は思う。

それは個人の教祖や教義など、つけようもないもの。
体系的でも哲学的でもない、
自然の実感としかいえないようなものだ。

中世芸能が生まれるまでの、
芸能と宗教と分化していない古い日本の芸能は、
自然に寄せてヨ(イノチ)をことほぐ、祝福の系譜だ。




つづく
by moriheiku | 2010-02-11 08:00 | 歴史と旅
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