つづき “呪力のある植物は呪的儀礼はもちろん、神祭りにも、祭場に立てたり、祭りに従事する人々の挿頭、鬘、手繦(たすき)として用いられた。それは儀礼の場や儀礼に従事する人を聖化するためで、神聖とは元来生命力に満ちた状態を言うのである。” 昔の人は、ものやことばの持つ力を、霊力や呪力ととらえ、 その力をものやことばの魂と考えた。 先史時代の宗教や未開の人々の宗教が、原始宗教と言われる。 宗教学的には、教祖、教義を持つものが宗教とされ、 原始宗教は、宗教以前の呪術に分類される。 宗教以前の原始宗教を呪術とした場合、 ・「呪術」 人が自然や他者を直接的にコントロールする行為 ・「宗教」 神仏などの力を借り間接的に願望を達成しようとする行為 と考えられる。 ただし宗教ができた後も、原始宗教的呪術は消え去ることはなく、 宗教の中に残っている。 ・2009-12-06 中世芸能の発生 258 マナ 原始宗教 土橋寛においては、 「イ」は元来、生命力・霊力を意味する名詞と考えられる。 ・2010-02-04 中世芸能の発生 268 古代における聖性とは “呪力のある植物は呪的儀礼はもちろん、神祭りにも、祭場に立てたり、祭りに従事する人々の挿頭、鬘、手繦(たすき)として用いられた。それは儀礼の場や儀礼に従事する人を聖化するためで、神聖とは元来生命力に満ちた状態を言うのである。” 生命力が強いものは霊威が強い、威力が強い、影響力が強い、呪力が強い と考えられたことは、現代人にも感覚的に理解できる。 ぴちぴちとれたての魚、美味しくって身体に良さそう!とか。 笑い声につられて、こちらも元気になる、とか。 ・2009-12-07 中世芸能の発生 259 類感 感応 それで神聖な植物を身につけることは、 身体に生命力「イ」をうつして満たすこと。 結果として人や場は、神聖化される。 万葉集 “同じ月九日に、諸僚、少目秦伊美吉石竹の舘に会ひて飲宴す。時に、主人、百合の花蘰三枚を造り、豆器に畳ね置きて、賓客に捧げ贈る。各々この蘰を賦して作れる三首” から一首。 ------------------------------------------------- 万葉集 巻第十八 四〇八六 あぶら火の光に見ゆるわが蘰(かづら)さ百合(ゆり)の花の笑(え)まはしきかも (4086) 右の一首は、守大伴宿禰家持 燈火の光の中に見える私の蘰、この百合の花がほほえましいことよ。 ------------------------------------------------- 役人たちが少目(せうさいくわん)の秦伊美吉石竹(はだのいみきいはたけ)の宅に集って宴会をした。この時、主人の石竹が百合の花蘰を三枚作って食器の上に重ねて置き、客たちにさし上げた。 家持、ユリの歌。 花や酒(クシ 薬の認識あり)を客に勧めるのは、 その人の命を祝うこと。 これは、植物や酒といういってみれば呪物によって 直に家持のイノチをイハフもので、呪的効果を期待した行為である。 現代では呪術というとおどろおどろしいものを想像するけれども、 いいものが感染(うつ)りますようにという、 良いおまじない。 客のイノチを生命力で満たそうとする、おもてなしの心だ。 よい宴の情景。 「イノチ」は「イ」の「チ」であって、 「イ」は生命、「チ」はチカラ(力)。 例えば「イカツチ」(雷)は「イ」変化の「イカ」つ「チ」。 「カグツチ」は「カグ」つ「チ」。 「チ(血)」「チチ(乳)」「ミチ(道)」「ヲロチ(大蛇)」他、 これら名詞は生命力・霊力をしての「チ」の性質を内蔵するという観念に基づく。 また「チカラ(力)」は「チ・カラ」で、「カラ」はウカラ・ヤカラのカラと同じ。 つまり「チカラ」は「チ」そのもの、霊力・霊威の観念を顕す語とみられる。 昔、租稲・租税を「チカラ」と言った。(例:主税寮 ちからのつかさ) 今も秋祭りでその年の初めの収穫を神前に奉ずるが、 それは最も「チ」に満ちていると考えられていた最初の収穫を神(王)へ捧げ、 繁栄を願う(イハフ)行為だった。 「チ」を語根とする動詞の「チハフ」は、「チ」の恩恵的な働きを意味する。 また「チハヤブル」は、「チ」が烈しく活動する意で、 「チ」には、恩恵的な働きと、破壊的な働きとの両面がある。 チは、力そのもの。 参考:土橋寛『日本語に探る古代信仰』 中西進『万葉集(四)』 ・2010-05-15 中世芸能の発生 310 くすり 呪術 イノチを活気づける共感 花見 (山見、鳥を見ること、国見) の習俗 ・2011-02-24 中世芸能の発生 382 ビターオレンジ ダイダイ(橙) ・2013-02-06 日本の命の概念 日本の古来の命の考え方は、 大陸から入ってきた命の考え方とは違う。 大陸的な考え方では、命はもっぱら動物、また植物の生命のことを指す。 (今は日本人にもこれに近い考え方だろうか。) 古来の日本の命は、 その生命力、圧倒的な力、横溢するエネルギーのことを、命と感じていた。 したがって昔の日本では、山にも岩にも命がある。 滝も水の流れも、風も、命そのものだ。 光も、音も。何かの中におこる力や性質自体も。 ごく古い時代の日本のこうしたイノチの感覚がやがて、 日本における精霊やタマの概念になり、日本における神の概念になり、 仏教が入ってからは民俗信仰と習合した仏の概念になっていった。 かつて命はエネルギーのようなものに概念されていたので、 古い時代の日本では、命の概念で生物と無生物は分かれない。 したがって日本では、 森羅万象に命があり、森羅万象に神が宿り、 岩にも木にも仏がいるという理解になっていった。 日本の信仰の流れ。 木(キ) ・2011-09-05 中世芸能の発生 412 キ(木) 毛(ケ) キ・ケ(気) ・2011-09-06 中世芸能の発生 413 ことばと植物 ・2009-12-06 中世芸能の発生 258 マナ 原始宗教 ・2009-12-07 中世芸能の発生 259 類感 感応 ・2009-12-08 中世芸能の発生 260 呪術・宗教と身体感覚 ・2010-02-04 中世芸能の発生 268 古代における聖性とは ・2010-02-06 中世芸能の発生 270 イハフ ・2010-03-04 中世芸能の発生 291 サチ 弓矢 狩人 開山伝承 ・2009-09-23 中世芸能の発生 203 狩猟 採取 ・2010-03-05 中世芸能の発生 292 海幸山幸(ウミサチヤマサチ) ことばの音 ・2010-03-16 中世芸能の発生 297 土地の木 ・2010-04-08 中世芸能の発生 303 日本料理 湯屋 湯聖(ひじり) ・2010-05-05 中世芸能の発生 304 仏塔 心柱 刹柱 ・2010-02-14 中世芸能の発生 295 奄美のユミグトゥ(ヨミゴト) ・2010-02-15 中世芸能の発生 296 ヨム 和歌を詠む(よむ) 芸能 ・2010-06-21 中世芸能の発生 330 主客の分かれないところ 宗教の原型 ・2010-09-02 中世芸能の発生 353 ことほぎ 自然 ・2010-08-30 中世芸能の発生 352 滝 木綿花 ・2009-12-17 中世芸能の発生 267 一つ松 声の清きは ・2010-10-12 中世芸能の発生 358 扇の民俗 ケヤキ ・2010-02-03 命の全体性 ・2011-06-19 中世芸能の発生 400 遊び 神楽 ・2010-12-01 中世芸能の発生 399 九州新幹線全線開通 祝福 類から個へ ・2011-07-20 中世芸能の発生 401 個の意識と宗教 ・2011-08-18 中世芸能の発生 410 生命の連鎖 歌から掬(すく)いとる方々 「命っていうのは、やっぱり生き物を見ていますとね。みんなつづいていこう、つづいていこうって一所懸命生きてるなって思うんです。それはもちろん死というものもあるんですけど、なんか自分だけじゃなく、他の生き物たちも含めてつづいていってほしい、っていう、そういうことがみんなの生き物の中にこう、こもってる。」 そうした行動が、人間だったら、歌や、花を植えるとか、そういう行為で、 それが生き物としての人間の表現、 と、おっしゃって、 そういう意味でもこの歌を素晴らしい、と中村さんは思われたそうだ。 日本の信仰というか、信仰ともいえない、謂わば民俗の底には、 自然という水流がずっと続いていると私は思う。 それは個人の教祖や教義など、つけようもないもの。 体系的でも哲学的でもない、 自然の実感としかいえないようなものだ。 中世芸能が生まれるまでの、 芸能と宗教と分化していない古い日本の芸能は、 自然に寄せてヨ(イノチ)をことほぐ、祝福の系譜だ。 つづく
by moriheiku
| 2010-02-11 08:00
| 歴史と旅
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