中世芸能の発生 268 古代における聖性とは


つづき


土橋寛『日本語に探る古代信仰』によると、

“イノチは「万葉集」でも、現代語でも、生命を意味し、命が長いとか短いというが、語源的には生命“力”で、「イ」は生命、「チ」はチカラ(力)であって、若い人のイノチは完全であり、年をとるにつれてイノチは衰えてゆく。”


「イ」は元来、生命力・霊力を意味する名詞であったから、
「イ」は、

【A】 生命力の強い自然物(植物や岩)の称辞的接頭語 

として用いられ、

【B】 日常的な自然物や器物に霊力を与えることによって
    神聖化することを意味する動詞 

にも用いられる。
この場合「イ」は音韻変化して「ユ」となることも多い。


それから「イ」「ユ」を基にして、

【C】 「イ」「ユ」およびその下に連帯格の助詞「ツ」を添えた
    「イツ」「ユツ」を修飾語とする名詞 

および、

【D】 「イ」「ユ」を語源とする動詞とその派生語

がある。


それらの用例として、

・イ=イ槻、イ笹、イ串、イ杙(くひ)、イ籬(かき)
・ユ=ユ槻、ユ笹、ユ甕(か)、ユ酒(き)、ユ種、ユ斧(をの)、ユ鍬、ユ庭
・イツ=イツ橿(かし)、イツ柴、イツ藻、イツ瓮(へ)、イツ幣(ぬさ)
・ユツ=ユツ真椿、ユツ楓(かつら)、ユツ五百篁(いほたかむら)、ユツ磐群、ユツ爪櫛

・生(いく)井、生(いく)太刀、生(いく)弓矢、生日 
・イカシ穂、イカシ八桑枝、イカシ桙(ほこ)、イカシ日、イカシ御世 

・「イハフ」

・「イム」

等があげられる。



現在「イ」「ユ」「イツ」「ユツ」は、
一括して神聖、清浄、タブーの意と説明されることが多いが、
土橋氏においては、その説明ではおおざっぱ過ぎる。

土橋氏の、日本語の丁寧な調査に見える古代の「神聖」の考え方に、
現代と過去が具体的に結ばれる。


記紀や万葉の時代に見られる「イ」「ユ」「イツ」「ユツ」の諸例は、
正確には、神聖と解されても、清浄・タブーの意味は認められない。

また神聖という観念も、
必ずしも清浄・タブーにつながるものではなかった。


「イ」「ユ」を冠した名詞の内、自然物では
槻(つき、今のケヤキ)、橿(かし 樫)、椿、楓(かつら 桂)などの樹木、
笹、柴、藻などの草木が多い。

それらが神聖な樹や草と考えられたのは、そもそも
清浄の意ではなく、生命力・霊力の強さの意である。


具体的な用例は『日本語に探る古代信仰』に掲載がありここでは省くが、
古い歴史書や詞章に、
枝を多く出し高く広がる槻を「百枝槻」、
木全体の葉が広がっていることを「葉広」とほめ、
多くの枝が交差しているのを「クマ橿」とたたえられた。
「葉広斎つ真椿」の語に示されるよう椿は
葉が拡がっていることや花が深紅であることなどから、
生命力の強い神聖な木として、椎に作って武器にしたり、市に植えられてきた。


語の使用に見る「イ」「ユ」は、
本来生命力(威力、霊力、呪力)の強いことを表す語である。

古代における「神聖」の観念内容は
生命力(威力、霊力、呪力)の強さであり、
清浄の観念とは異なる。



「神聖」の反対語である「ケガレ」は現在「穢れ」と考えられることが一般的だが、
「ケガレ」は、語源的には「気涸(けか)れ」であり、
生命力・霊力としての「ケ」が枯渇した状態であったということは、
古代におけるこの「神聖」の意からスムーズに理解される。



参考:土橋寛『日本語に探る古代信仰』





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・2011-08-18 中世芸能の発生 410 生命の連鎖 歌から掬(すく)いとる方々
「命っていうのは、やっぱり生き物を見ていますとね。みんなつづいていこう、つづいていこうって一所懸命生きてるなって思うんです。それはもちろん死というものもあるんですけど、なんか自分だけじゃなく、他の生き物たちも含めてつづいていってほしい、っていう、そういうことがみんなの生き物の中にこう、こもってる。」

そうした行動が、人間だったら、歌や、花を植えるとか、そういう行為で、
それが生き物としての人間の表現、

と、おっしゃって、
そういう意味でもこの歌を素晴らしい、と中村さんは思われたそうだ。

日本の信仰というか、信仰ともいえない、謂わば民俗の底には、
自然という水流がずっと続いていると私は思う。

それは個人の教祖や教義など、つけようもないもの。
体系的でも哲学的でもない、
自然の実感としかいえないようなものだ。

中世芸能が生まれるまでの、
芸能と宗教と分化していない古い日本の芸能は、
自然に寄せてヨ(イノチ)をことほぐ、祝福の系譜だ。




・2013-02-06 日本の命の概念
日本の古来の命の考え方は、
大陸から入ってきた命の考え方とは違う。

大陸的な考え方では、命はもっぱら動物、また植物の生命のことを指す。
(今は日本人にもこれに近い考え方だろうか。)

古来の日本の命は、
その生命力、圧倒的な力、横溢するエネルギーのことを、命と感じていた。

したがって昔の日本では、山にも岩にも命がある。
滝も水の流れも、風も、命そのものだ。
光も、音も。何かの中におこる力や性質自体も。


ごく古い時代の日本のこうしたイノチの感覚がやがて、
日本における精霊やタマの概念になり、日本における神の概念になり、
仏教が入ってからは民俗信仰と習合した仏の概念になっていった。

かつて命はエネルギーのようなものに概念されていたので、
古い時代の日本では、命の概念で生物と無生物は分かれない。

したがって日本では、
森羅万象に命があり、森羅万象に神が宿り、
岩にも木にも仏がいるという理解になっていった。
日本の信仰の流れ。



つづく
by moriheiku | 2010-02-04 08:00 | 歴史と旅
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