中世芸能の発生 265 田児(たご 田子)の浦ゆ



つづき


万葉集 巻第三 三一八
田児(たご)の浦ゆうち出(いで)てみれば真白(ましろ)にそ不尽(ふじ)の高嶺(たかね)に雪は降りける (318)

田児の浦を通って出て見るとまっ白に富士の高嶺に雪が降っていたことだ。


山辺赤人が詠んだ。
赤人の富士を称える長歌と対の反歌(短歌)。

その長歌は、
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山辺宿禰赤人(やまべのすくねあかひと)の不尽山(ふじのまや)を望(のぞ)める歌一首

天地(あめつち)の 分(わ)れし時ゆ 神(かむ)さびて 高く貴(たふと)き 駿河(するが)なる 布士(ふじ)の高嶺(たかね)を 天(あま)の原 振(ふ)り放(さ)け見れば 渡る日の 影(かげ)も隠(かく)らひ 照る月の 光も見えず 白雲(しらくも)も い行きはばかり 時じくそ 雪は降りける 語り継(つ)ぎ 言ひ継ぎ行かむ 不尽(ふじ)の高嶺(たかね)は (317)


天地の初めて分かれた時からずっと、神々しく高く貴い駿河の富士の高嶺を、天遠くふり仰いでみると、空渡る太陽の光も頂に隠れ、照る月の光もさえぎられ、白雲も流れなずんで、いつも雪が降っている。これからも語りつぎ、言いついでいこう、富士の高嶺は。


・神さびて  「・・さぶ」は「・・らしくなる」の意。

・影も隠らひ  影は光のこと。

・い行きはばかり  「い」は接頭語。「ゆ」の変化あり

・語り継ぎ 言ひ継ぎいかむ  「つぐ」は次々と言い伝える意。ことばの伝承は神聖な行為であり、文学者の最初はこの行為者であった。詞の嫗(おみな)も宮廷歌人も。
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参照:中西進著『万葉集(一)』



この長歌に次いで反歌をよむとさらに、はっと、胸をうたれる。
富士が目の前にあらわれた、その時が、そのまま反歌にあらわれている。


テレビで、作家の町田康さんが、この田児(田子)の浦ゆ の歌を紹介されていた。

「富士山というよりも、その時にそこにあったものなんでしょうね、きっと。真白な雪が降ってるということ自体も驚きだったんでしょうね。心とことばと景色が、なんか直列でつながっている気がします。」

つづけてテレビの中で町田さんは、
旅行はいやなんです、とお話しされている。

自分の家の近所にないような雄大な自然や大平原や瀑布を見た時、
すごいじゃないかと驚く。
そんな時、実に雄大な自然ですみたいなことを話さなきゃならない。
実に雄大な自然です、と言った瞬間、
目の前で見ているものとは違うものになっていることがある。
だから、そういうところに行かないように、心を動かさないようにしている。
心が動いても、心がついてくことばがないから。

とおっしゃる。
ことばと、ことばを使うことの強い自覚。

そして山辺赤人の田児の浦ゆの歌を、

「富士山を見た時にその見た富士山、見てどう思うっていうか、どういう状態なのかっていうことが、全て歌の中に書いてあって、あ、真っ直ぐだな、つながっているなって思いますね。ことばと景色が一本の棒のようなもので、ことばという棒のようなものでつらぬかれているような印象がありますね。」



以前、田辺聖子さんが、
万葉人は心がそのままことばになっている、歌になっている、
ということをおっしゃった。

この田辺さんの感慨は、町田さんの、
心とことばと景色がなんか直列でつながっている、
ことばと景色が一本の棒のようなもので、
ことばという棒のようなものでつらぬかれている、
ということと同じに思われる。



私は、古代歌謡や万葉集の歌に、祈りのようなものを感じる。

願いごとや宗教感が詠まれているということでない。
万葉集の歌は、身体を通って口からふうっと出る息のようだ。
草の息

それは町田康さんのおっしゃる、
心とことばと景色が直列でつながっている、
ことばと景色が一本の棒のようなものでつらぬかれている、
ということに近い気がする。


自然と、心と直(じか)な、万葉集の中に生きていることばは、
川辺に舞う蛍を追って、蛍来い、と口にすることばのように、
呪術的意識がうまれる前の、先呪術原語のようで。

自然と魂と直接つながっていることばは命、生命の風がある。




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さびる
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光と影は同じ
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い 生命力 霊力
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「命っていうのは、やっぱり生き物を見ていますとね。みんなつづいていこう、つづいていこうって一所懸命生きてるなって思うんです。それはもちろん死というものもあるんですけど、なんか自分だけじゃなく、他の生き物たちも含めてつづいていってほしい、っていう、そういうことがみんなの生き物の中にこう、こもってる。」

そうした行動が、人間だったら、歌や、花を植えるとか、そういう行為で、
それが生き物としての人間の表現、

と、おっしゃって、
そういう意味でもこの歌を素晴らしい、と中村さんは思われたそうだ。

日本の信仰というか、信仰ともいえない、謂わば民俗の底には、
自然という水流がずっと続いていると私は思う。

それは個人の教祖や教義など、つけようもないもの。
体系的でも哲学的でもない、
自然の実感としかいえないようなものだ。

中世芸能が生まれるまでの、
芸能と宗教と分化していない古い日本の芸能は、
自然に寄せてヨ(イノチ)をことほぐ、祝福の系譜だ。



つづく
by moriheiku | 2009-12-13 08:00 | 歴史と旅
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