つづき 倭文(しつ しづ しず)木綿(ゆふ)栲(たへ)をつづけるにあたり前置きとして、 原始宗教について。 ~~ 先史時代の宗教や未開の人々の宗教が、原始宗教と言われる。 教祖、教義を持つものを宗教とするなら、 原始宗教は宗教以前の呪術に分類される。 世界中の原始宗教には共通点がある。 呪術があること、祭祀者やシャーマン的な役割の人が居ること、 霊魂の観念があること、など。 (この場合の霊魂は、人の霊魂に限らない。) 宗教と呪術は、定義する人によって少しづつずれがあり、 宗教と呪術の境は必ずしも明確でない。 また教祖、教義のあるものを宗教とする分類でも、 それ以前とされる呪術は、宗教の中に残っている。 国語辞典の大辞林でみると、呪術は、 “非人格的・超自然的な存在にはたらきかけて、種々の現象を起こそうとする信仰と慣行。” 宗教は、 “(1)神仏などを信じて安らぎを得ようとする心のはたらき。また、神仏の教え。 (2)〔religion〕経験的・合理的に理解し制御することのできないような現象や存在に対し、積極的な意味と価値を与えようとする信念・行動・制度の体系。アニミズム・トーテミズム・シャーマニズムから、ユダヤ教・バラモン教・神道などの民族宗教、さらにキリスト教・仏教・イスラム教などの世界宗教にいたる種々の形態がある。 とある。 土橋寛においては呪術と宗教の区分ははっきりしているようで、 “呪術は人間が自然物や他者を直接的にコントロールすることによって、願望を遂げようとする行為であり、宗教は超自然的な存在としての神・仏の力に頼って、間接的に願望を遂げようとする行為である。” 「呪術」は、人が自然や他者を直接的にコントロールする行為、 神仏などの力を借り間接的に願望を達成しようとする「宗教」からは区別される、 とのこと。 また人が直接的に自然や他者をコントロールしようとする点で、 “呪術は科学に似ているが、科学が自然の法則を研究し、それに基づいて自然をコントロールするのに対し、呪術は「こう言えば、こうなる」「こうすれば、こうなる」という思考様式に基づく、願望の客体化によるコントロール” である。 土橋寛を参考にすると、 J・G・フレイザーにおいては、 呪術は「誤った科学」であり、呪術の失敗から宗教が起こると考えた。 霊魂の観念は、呪術と宗教の両方に関係している。 霊魂は人間に属するものばかりでなく、自然物や人工物に属するものもある。 人間の霊魂には二種類あると考えられ、その一つは身体とは独立に存在し、 時に遊離したり、人の死後も存続するものであり、 「遊離魂」とか「自由霊」と呼ばれる。 このような霊魂の観念は、 その人が夢の中に現れたり幻や記憶として現れたりする「陰影霊」から 信じられるようになったと考えられる。 もう一つの霊魂は身体と結びついているもので、人の死と共に亡びる。 「身体霊」「生命霊」と呼ばれる。 人間以外の自然物や人工物に存在するものもあり、 それらと人の生命霊とは同質であり、交流できると考えられた。 E・B・タイラーは、 霊魂的なものの信仰を宗教の基本であるとし、 ラテン語の「アニマ」(霊魂)に基づいてこれを「アニミズム」と呼んだ。 タイラーの説は、未開人は夢や幻の経験から、 身体そのものとは別の生命原理の存在を考え、死を身体からの生命原理の離脱と解釈し、 さらにこの生命原理を動植物、無生物、自然現象にも拡大し、 霊魂の編在を信じるようになった。というもので、 このアニミズム論を受けて、その後の進化主義者は 霊魂→精霊→神→多神教→一神教という一系的進化図式を 構成するにいたったといわれるそうだ。 日本の民俗学でも馴染みのある「マナ」の概念は、 イギリス人宣教師で民俗学者R・H・コドリントン著『メラネシア人』で 広く知られるようになった。 “「マナ」は、神秘的・呪的な力能と作用を意味する語として、タイラーが主張した「霊魂」(遊離霊)とは別種の霊魂(生命力、霊力、呪力)の存在を明らかにしたものであり、その意義は大きい。” “タイラーの弟子であったR-R・マレットは、この観念を取入れて、アニミズムでいう「霊魂」以前に、「すべてのものに生命力がある」という信仰があったとし、これをプレアニミズム、アニマチズムと名づけた。霊力・呪力としてのマナの特徴は、ある物から他の物に感染し、転移させることができる点にあり、初めに述べたフェティシズム(呪物崇拝)や自然崇拝も。マナイズムと無関係ではないことになる。”(土橋寛著『日本語に探る古代信仰』より) なるほど、『メラネシア人』のこの、 霊魂(遊離魂)とは別種の、 生命力、霊力、呪力というエネルギーを霊魂とした「マナ」の概念は、 日本における古来の霊や神霊の捉え方に大変近い。 ・2008-10-03 中世の人の感性 そしてタイラーの弟子のマレットの、 アニミズムでいう「霊魂」以前に 「すべてのものに生命力がある」という信仰があったという考え方は、 呪術、宗教の根本に近いものと思われる。 (※ただしそれ以前に個々の分離のない感覚があったと私は考えている) というのも、 日本の神々は分霊し増やすことができるし、 呪物がご神体となる特徴があること。 なにより日本の原始的な祀りの数々は、 柱の崇拝や、自然の命を分けることで増やすこと、たまふりなど、 生命力を満たそうとしそれにあずかろうとするものであったから。 それから、自分たちもその一部である自然の生命の働きが いつもはじめにあると身体が感じているから。 参考:土橋寛著『日本語に探る古代信仰』 ※ 私は、マレットの言った 「霊魂」以前に「すべてのものに生命力がある」という信仰があったという考え方は、 さらに上流があると考えている。 すべてのもの、つまり個々に分かれたすべてのもの、という考え方より前に、 個々の分離のない、主客のない感覚があったと考える。 それは個の意識以前。 同じ生命力の一部であるというような捉え方で、 類感の感覚の根拠となる。 類感 ・2009-12-07 中世芸能の発生 259 類感 感応 ・2010-05-15 中世芸能の発生 310 くすり 呪術 イノチを活気づける共感 花見 (山見、鳥を見ること、国見) の習俗 ・2011-02-24 中世芸能の発生 382 ビターオレンジ ダイダイ(橙) 個の意識以前 ・2010-06-21 中世芸能の発生 330 主客の分かれないところ 宗教の原型 ・2008-06-01 自然と我 04 古代の信仰 ・2009-12-08 中世芸能の発生 260 呪術・宗教と身体感覚 ・2009-12-07 中世芸能の発生 259 類感 感応 ・2010-03-16 中世芸能の発生 297 土地の木 ・2010-02-11 中世芸能の発生 274 イノチ ユリの花 ・2010-05-15 中世芸能の発生 310 くすり 呪術 マナ的特徴 ある物から他の物に感染し転移させることができる ・2010-05-14 中世芸能の発生 309 はやし はやす ・2007-04-18 はやし ・2009-12-10 中世芸能の発生 262 はやし 分霊 ・2010-03-16 中世芸能の発生 297 土地の木 タマ アニマチズム(アニマティズム アニミズム) ・2010-02-21 中世芸能の発生 288 自然 身体 実感 ・2010-07-05 中世芸能の発生 333 二種類のタマ ・2009-12-09 中世芸能の発生 261 たまふり たましづめ 鎮魂 ・2010-07-06 中世芸能の発生 334 タマシヒ 魂 天分 才能 生命力 霊力 ・2010-06-25 中世芸能の発生 332 類感から魂の概念への移行 翡翠(ひすい) ・2009-03-01 草の息 ・2009-09-23 中世芸能の発生 203 狩猟 採取 ・2009-07-22 五来重を読むこと ・2008-08-13 さ行 イノリ 原始的な願望のコントロール ・2010-06-04 中世芸能の発生 319 宜(ノル) 祝詞(ノリト) 法(ノリ) 呪(ノロフ) ・2010-06-05 中世芸能の発生 320 祈(イノ)リ イ罵(ノ)り ・2009-05-13 中世芸能の発生 131 だだ 足踏み 類から個へ 主客の分かれない類感の原始的呪術的な信仰から、救済の哲学のある宗教への移行 ・2011-07-20 中世芸能の発生 401 個の意識と宗教 ・2009-12-11 中世芸能の発生 263 ほうほう蛍 まじないのことば ・2010-06-25 中世芸能の発生 332 類感から魂の概念への移行 翡翠(ひすい) ・2010-02-21 中世芸能の発生 288 自然 身体 実感 ・2010-08-25 中世芸能の発生 348 神「を」祈る 融通念仏 ・2010-08-29 中世芸能の発生 351 神「を」祈る 宗教の瞬間 他力本願 ・2011-01-10 中世芸能の発生 377 突端の花 倭文(しづ)について ・2010-06-18 中世芸能の発生 327 ことば 倭文 薬 捨身 自然のイノチとの一体化 木綿(ゆふ)について ・2010-08-30 中世芸能の発生 352 滝 木綿花 つづく
by moriheiku
| 2009-12-06 08:00
| 歴史と旅
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