つづき 一般の人々は、仏典からでなく、 聖や遊行の僧尼ら、あるいは宗教者としての芸能者のする説教・唱導から、 仏教の地獄・極楽を知った。 天台宗の僧源信(恵心僧都)の著した『往生要集』が、 地獄のおそろしさを人々に知らしめ、 往生の方法を説いたものとよく言われるけれども、 五来重氏は『往生要集』はむしろエリート階級のものだったと考えられた。 というのも、ひとつには、 庶民の知っていた地獄のイメージにつきものだった 「賽の河原」「三途の川」「死出(しで)の山」 「奪衣婆(だつえば)」あるいは「葬頭河婆(そうずかば)」などは 『往生要集』に出てこない。 『往生要集』は、 『正法念処経』や『阿毘達磨俱舎論』『優婆塞戒経』『大智度論』などからの 引用をまとめたもので、 自然信仰、山岳信仰などの民俗信仰に重ねることで 仏教を受容してきた庶民の仏教とはへだたりがある。 庶民の地獄には、同じ場所に菩薩や神々がいて、 地獄の苦から救う、恩寵を与えられる場でもあった。 一般の人にとっての地獄極楽は、 名ものこらない僧尼らから語られた、 より日本化された世界だった。 ・2009-05-28 中世芸能の発生 136 優しい誤解 原典のみを仏教と信じることのできたごく限られた人々はともかく、 一般の人々は、この世とあの世のさかいに三途の川があり、 死者の魂は、三途の川をわたってあの世へ行くと思っていた。 葬頭(そうず)河は、三途川にあたる。 五来氏は、 墓所と村のさかいの河を精進川というところがあり、 葬送が終わって墓地から帰るとき、 そこで手を洗ったり、足を水に漬けたりする習俗があること、 葬頭河の文字も「葬送の頭(ほとり)の河」の意があることなどから、 葬頭は、 しょうじん→しょうじ→そうじ→そうず と転化と考えられている。 また平安時代の西行の和歌や『蜻蛉日記』、しばらく後の『平家物語』ほか 和歌や古典文学に、 死者の魂のわたる川を「みつせかは(川、河)」と詠まれ 書かれているのを見かけるけれども、 五来氏はこのことは、この川(三途の川)を渡るのに三つの瀬があること、 厳重な禊をするのに三つの瀬で行われたことが、 「みつせ」という別名になったと考えられた。 (たとえば、記紀の伊弉諾命(いざなぎのみこと)が黄泉国から帰ったとき、 日向の小戸の橘の檍原での禊除(みそぎはらい)に、 「上瀬は是れ太(はなは)だ疾(はや)し。下瀬は是れ太だ弱し。便ち中瀬に濯ぎたまひき」) 三途川の「三途」は、 漢訳仏典の「三塗」(地獄道、餓鬼道、畜生道の三悪道(三悪趣))と 考えられることが多く、また実際混同されて使われてきたが、 やはり三途川は葬頭河(そうずか)から出ており、その前は精進川(しょうじんがわ) から出ているであろうとされる。 私は、 私は、三途の川は、精進川からきているのだと思う。 つたない考えだけれども、 それはただ五来重氏びいきでなく、 「みつせ」、「みつ」から考えてそう思う。 ・2008-01-12 みつ 01 水 折口信夫 “時を限って”海の彼方の常世から岸に寄せる水が、 川を遡り、山野の井泉の底にも通じて春の初めの若水となる” 水。みづ。みず。みつ。 水の寄せる満ち潮の「みつ(満つ)」。 瑞々しい(みずみずしい)の「みつ」。 「みつせ」の「みつ」は、 禊(みそぎ)をした「みつ」に関係があると思う。 “「みつ」はまた地名にもなった。 そうした常世波のみち来る海岸として、禊(みそぎ)の行われた場所である。” 万葉集に詠まれたみつかわ(三川)のみつに、 若水の匂いがのこる。 ・2008-01-14 みつ 03 常世の水のとどく川 ・2008-01-16 みつ 06 春の若水 お水取り イノチの湧くところイノチのいくところ、 常世(とこよ)から寄せる禊(みそぎ)の水、「みつ」は、時を限って山河に遡った。 やがて常世は忘れられ、 禊(みそぎ)の川がのこった。 禊(みそぎ)の川は、精進の川。 こうした禊(みそぎ)の川は、みつやそうずの名でなくても、 各地の山の霊場や聖地あるいは墓所と集落のさかいに流れており、 この世とあの世をさかいした、 あとの意味はあとづけなのだ、と、 私はそう思っている。 参考:『日本人の地獄と極楽』五来重 うんと古い時代、 海の彼方にイノチの湧くところイノチの往くところがあると考えられていた。 時代の経過とともに、それに神仙思想や神話や仏教思想が重ねられ、 それぞれの物語(神話、お伽噺おとぎばなし、寺社縁起、説話、伝説)、 習俗が形成されていった。 渚の神聖に見る 海の彼方に対する思想とその変遷 寄せる若水 みそぎ(禊)の水 ・2012-01-20 中世芸能の発生 421 若水 渚に寄せる水 ・2012-01-21 中世芸能の発生 422 渚の砂 うぶすな 産砂 産土 ・2012-01-22 中世芸能の発生 423 白砂 白沙 お白州 古墳に見える 海の彼方に対する思想とその変遷 ・2011-08-16 中世芸能の発生 408 『他界へ翔る船 「黄泉の国」の考古学』 ・2011-08-16 中世芸能の発生 409 船の棺 浦島太郎。補陀落渡海。平家物語。 二位の尼が幼い安徳天皇を抱き、 「波の下にも都のさぶろふぞ(波の下にも都がございます)」と壇ノ浦で波に沈んだ ・2009-08-26 中世芸能の発生 190 他界 浄土 海のかなたのイノチの満ちる水、常世の思想に、蓬莱の思想を重ね、 さらに仏教が入って後は、南方の補陀落浄土、菩薩浄土ということになって ・2011-08-15 中世芸能の発生 407 直越の道 難波の海 常世 日想観 みつ ・2008-01-12 みつ 01 水 折口信夫 ・2008-01-13 みつ 02 水 津 ・2008-01-14 みつ 03 常世の水のとどく川 ・2008-01-15 みつ 04 みつかは みかわ ・2008-01-16 みつ 05 みあれ ・2008-01-16 みつ 06 春の若水 お水取り ・2008-01-17 みつ 07 ひくま ・2008-01-21 みつ 08 大伴の御津(みつ) ・2008-01-22 みつ 09 みつから防人へ 庶民仏教の担い手 ・2009-05-28 中世芸能の発生 136 優しい誤解 ・2009-05-26 中世芸能の発生 134 芸能の担い手 ・2009-05-25 中世芸能の発生 133 俗の土壌 ・2009-05-27 中世芸能の発生 135 伝統芸能の土壌 日本の仏教 ・2009-06-05 中世芸能の発生 140 聖典 ・2009-06-06 中世芸能の発生 141 日本の仏教 方便 ・2009-01-02 中世芸能の発生 49 中世仏教の衆生救済 ・2009-07-24 中世芸能の発生 176 大乗 比叡山 法華経 ・2008-09-26 水波之伝 ・2009-07-10 中世芸能の発生 169 修験道の方便 ・2009-05-30 中世芸能の発生 138 密教的禅的解釈 ・2009-08-28 中世芸能の発生 192 死出の山 意味の変遷 意味を幾重にも重ねていく経緯 ・2011-01-27 中世芸能の発生 379 根元 ・2011-10-04 中世芸能の発生 418 意味の変遷 ・2010-05-05 中世芸能の発生 304 仏塔 心柱 刹柱 ・2010-03-16 中世芸能の発生 297 土地の木 ・2011-10-03 中世芸能の発生 417 杖の民俗 ・2011-10-07 中世芸能の発生 420 一本の棒 ・2010-04-07 中世芸能の発生 302 一刀彫 常世(とこよ)。 ・2010-02-12 中世芸能の発生 293 ヨ ・2010-02-15 中世芸能の発生 296 ヨム 和歌を詠む(よむ) 芸能 世 代 夜 黄泉(よみ) 常世(とこよ) 詠む(よむ) 寿詞(よごと) 暦(こよみ) ・・ ずいぶん昔の「よ」は、 現代のように、時刻や、刻々と刻まれる時間でない。 「よ」の音は、 くりかえしくりかえし、命が再生し、生まれつづける、 永遠の時のイメージ。 古い和歌や詞章に使われた「よ」には、 営々と栄えつづける時のイメージが重なっている。 「よ」は命のことだ。 つづく
by moriheiku
| 2009-08-27 08:00
| 歴史と旅
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