靖国




日本人は、ものやひとに霊(たま)が宿っていると考えていて、
大昔から鎮魂に精を出してきた。

その、自然の森羅万象等、ものやひとに宿る霊魂は、
荒らぶるものほど、恩寵に転じた時に効果も高いと思われていた。


不本意な死、非業の死をとげたひとの魂は熟しておらず、治まらず、
神道的なことばなら荒御魂(荒魂 あらみたま)となって、
荒々しさがこの世に災害など災いなすことがある。と考えられた。

それが鎮魂されると和御魂(和魂 にきみたま にきたま にぎみたま)となり、
われわれに恩寵を与える存在になる。

仏教的な考え方では、
鎮魂されない魂は、あの世で苦しむ。

と、そう考えられていたから、
人々は、

例えば菅原道真や早良親王も鎮魂し神と祀り、

亡くなった身近な人たちが、あの世で苦しんではいないかと思いやり、
この世で追善して、亡き人の後生を弔った。


死者の亡霊が現れて思いを語り供養を頼み、生者が弔って死者は成仏する、
お能の筋にそんな話は多い。

古典や芸能、いえ、人々の生活の歴史を少し見れば、
いたるところに人々が
亡くなった人にどんな思いを注いできたかわかるだろうに。


靖国神社はその延長線上にあって、
戦死した人の魂を鎮め、慰める。
そういう施設だろうに。

犠牲になって亡くなっていった人々の荒れぶる魂が
安らかに鎮まることを思わなければ、
生者の心もおだやかではいられなかった。




日本の神は、他国の創造主のような神と概念が違う。

そのくらいのことも他国に説明できず、
なにが政治家じゃ。


靖国神社を、不戦の誓いをする場所、と言う表情のとんちんかんさ。

そこは誰のための場所か、生きている自分たちのための場所なのか。
死者を祀りなぐさめる思いはあるのか。
と思わず言いたくなった。

この風土で、長く
育まれてきた文化や人々の思いを踏みにじるように思われる。

日本の政治家なのに。






8月16日
by moriheiku | 2009-08-11 08:00 | 歴史と旅
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