中世芸能の発生 175 堂衆と千日回峰行


つづき 


比叡山に密教の天台宗、
高野山に真言宗の寺院が開かれた。

もともとそこの土地に住んで土地の信仰
(古い修験道、自然山岳系の宗教)を持っていた人の中に、
僧の従者童子として山に上がる人々があった。


たとえば比叡山の僧侶は、
・学生(がくしょう)
・堂僧
・堂衆(どうしゅ)
があったが。

学生は、学問を修める僧侶のこと。貴族の師弟などがなる。
堂僧は、諸堂の用事をし、不断念仏など三昧の行を行う僧のこと。
堂衆は、僧の雑役をする童子から僧になった者が多い。
寺院の雑役をする下級僧侶だ。


古い信仰の人々で、寺に入った者は堂衆になった。
僧兵になったのは、この堂衆らしい。

堂衆は立場は下だが、ある時代、力を持った。
平家物語に、叡山の学生と堂衆の対立が描かれてる。





修験道は、
昔の原始性を内部に保っている、と私は思っている。
洗練された仏教からは、未開とみられるもの。

昔の修験道の捨身は、
自然への没入、自然に内在するものとの一体化の極致だったのじゃないだろうか。


昔の修験道は、自然の中で修行し、
自然と自然に内在するものと一体化することを理想にした。
自然の中で修業し、験力を得ようとした。

自然との一体化は身体の求めるものだし、
生命力の強いことが何よりもあこがれだった昔には、
捨身は自然の強い命の力そのものになることだっただろうし。

古い修験道は、命を捨てるほどの激しい修行をして、
自然(と自然に宿る神霊)と一体化して、その力を得、
それを人々に生かそうとした。

自然が、人々の暮らしと命に直結していた大昔は、
それが切実に望まれた。

身を捨てて、生かす。
修験道のその部分は、
仏教における衆生救済・衆生済度の思想と結びついたと思う。

時代が下るとともに修験道は仏教色を強めていった。



官の僧でない、山野で修行してきたこうした系統の
聖や優婆塞、僧たちたちが、
民衆の間に入り、病人を世話し、橋をかけ、道を作り、
神仏の霊験や経典をわかりやすく物語って民衆に仏教を広めた。

日本にもたらされた密教仏教は、
仏教より前の古い信仰と重なることで、
人々に広く根を下ろした。



比叡山の最澄も、高野山の空海も、
どちらも山林山岳の修行の経験がある人。

その頃までは一般的に僧(や優婆塞、聖などの宗教者)は、
山野で厳しい修行をするものだった。
また山野での修業を経て得た力を人々に還元してこそ、
人々の信頼と帰依をうけた。



寺院の中でされた学問的な洗練された仏教は、
そこが山野で修行した僧の開いた寺院であっても、
しだいに古い時代の原始性からは離れた。



仏教の山となる前の比叡山にもあった古来の民俗信仰の系統の行は、
堂衆の中に伝えられた。

比叡山の行としてとりあげられることの多い千日回峰行は、
堂衆のする修行だったようだ。


原始性の強い古来の民俗信仰や古い形の修験道は、
寺院で洗練された仏教とは異なる野蛮野卑と考えられることがあって、
そのためマスコミなどで回峰行がとりあげられることについて、
比叡山内部の洗練に重きを置く僧たちからは、
あまり良い顔がされないことがあったようだ。

しかし根源的な感動をよぶ回峰行は、
現代においても一般大衆に支持される。





寺院の法会のあと行われた延年は、芸能大会だった。

修験の山伏の延年の舞が各地に残り
宮中の御神楽ではない神楽や田楽となっている。

歌舞伎の『勧進帳』で、弁慶が延年を舞う。
謡曲に、弁慶は三塔(比叡山)の遊僧だったと謡われている。

能をする猿楽の人の、
弁慶がそうであってほしいという願いだったかもしれない。



比叡山出身の親鸞聖人は学生出身と考えられていたが、
堂僧の出身であることがわかった。

堂僧は常行堂で不断念仏を三昧する僧で、
比叡山の声明は、不断念仏につながった。


ここから親鸞上人の
「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えることで
衆生は皆救われるとする浄土教も生まれる。

親鸞は和歌の形式で和讃を作っている。


・2008-06-24 比叡山 千日回峰行


・2009-07-04 中世芸能の発生 163 修験道


八瀬童子 比叡山麓の八瀬大原の人々
・2009-01-31 中世芸能の発生 58 天皇と山人
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・2009-06-14 中世芸能の発生 149 優婆塞の衆生救済意識


・2009-07-04 中世芸能の発生 163 修験道


説経師、唱導師の影  芸能の担い手
・2009-05-26 中世芸能の発生 134 芸能の担い手


三昧
・2009-09-13 中世芸能の発生 201 陀羅尼 三昧


・2009-10-27 中世芸能の発生 232 僧兵






和歌と仏教 古来の信仰と仏教 対立と習合
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・2010-05-17 中世芸能の発生 312 ことばの神聖視
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・2010-05-19 中世芸能の発生 314 仏教が和歌を退けた理由
・2010-05-20 中世芸能の発生 315 仏教と和歌の習合
・2010-05-21 中世芸能の発生 316 今様即仏道 芸能者と仏教




堂衆は、僧の雑役をする童子から、僧になった人が多い。
童子(古来の信仰に連なる人々)は仏(僧侶)の従者の位置づけとなっていったこと、
童子の原型。

異能の童子 仏教への帰依
・2009-02-03 中世芸能の発生 61 異能の童子

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・2010-11-12 中世芸能の発生 366 酒呑童子

童子形 先立って祓えをする人々
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有髪、長髪の思想と系譜
・2009-07-13 中世芸能の発生 173 修験道 原始回帰

堂童子 呪師
・2009-05-13 中世芸能の発生 131 だだ 足踏み
・2010-11-07 中世芸能の発生 362 呪師




・2011-07-22 中世芸能の発生 402 神仏習合思想 日本人の仏教
神仏習合の底に流れるもの

神仏習合は、古来の民俗信仰と渡来の仏教思想のはざまの
ひずみを解消し整合性をとるために切実に求められ
一気に進んだのではないかと思う。




つづく
by moriheiku | 2009-07-16 08:00 | 歴史と旅
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