中世芸能の発生 171 木食




つづき


木食という昔の修験道の実践は、
ただ五穀・十穀を食べない、という意味でなく、
木食戒の実践であったようだ。


修験道は思想を書き記すより実践の宗教だったことと、
戒が秘密伝授や私的伝授だったことから、
木食戒の内容は、
はっきり定め、書き残されたものはないそうだ。


五来重氏が、近世の木食行者の行動の共通点から、
木食戒を推定されたところでは、

1 遊行回国と抖そう(とそう)行道
2 行道木食と断食
3 勧進
4 作仏(仏像・神像・千体仏・万体仏)
5 作歌
6 加持祈祷(呪術・呪文・真言・経典)
7 窟籠りと禅定
8 苦行と懺悔滅罪
9 島渡りと辺路修行
10 念仏・密教・法華経の併修
11 一心観(唯心観)
12 即身成仏観
13 入定と捨身
(五来重『修験道の歴史と旅』)

があげられる。
これですべてを充足するのではないが、
これらを目標、理想とされたのは確かなようだ。


弘法大師(空海)の自伝小説『三教指帰』に、
空海自身が山岳修行時代にしていた草衣と木食の記述があるが、

それよりも前の、古代の修験道では、
すべての修行が木食であっただろうと五来氏は推測される。


山中で行う修行期間分の五穀の携帯が困難という実際もあろうが、
修験道に原始回帰の志向があったからだと考えられる。





-------
前に、数人で緑の多い庭園でランチしてたとき、ボスに、

「自然の中でいただくのって気持ちいいわね!
 あなたは山へしょっちゅう行くから、
 山の中で食べるおべんとうはおいしいでしょう。」

って聞かれて。 ボスにはとても楽しい時間なので、

「? あたし、山の中で特に食べることはほとんどないです。」

なんてこと答える必要ないわって、

「山の中ではあんまり食事しないで、戻ってからです。
 戻って温泉でぷはーっとしてから。」

なーんて言ってあいまいにしてたけど。
びっくりした。
あんまり、自然の中で食べるってこと思いついたことなかったから。

自分の好みで山や森へ行く場合は、
実際、食べ物よりも山の匂いのほうが大事なので、
お弁当を広げることが楽しみなんてことはない。むしろ非常に違和感がある。
そこ、自然を異質なものでよごしたくない、っていうような。

日常では、何日も籠ることはなく、
数時間で山や森から出てくるので、特に食事の必要はない。

水分補給や、とったとしても最小限の栄養補給くらい。
なんていうか自然がご馳走で。
自然にひたって忘れている。

私はおなかを空でさっぱりきれいな状態で仕事をしたいけど、
ボスは「どんなときもまず腹ごしらえ」という人なので、
その点、ぜんぜん目線が違う。


もちろん自分だけでないときは、切り替えて自然の中でお食事するし、
自分だけのときも、お宿に戻ったら、
お宿のかたが出してくださったお茶と甘いお菓子を
わー美味しそうーーー♪とさっそくいただいてるわけ。(だってお菓子大好き♪)



・2009-07-04 中世芸能の発生 163 修験道


・2009-07-13 中世芸能の発生 172 山伏の作歌、作仏
・2009-07-13 中世芸能の発生 173 修験道 原始回帰

・2009-07-06 中世芸能の発生 165 捨身


・2009-09-23 中世芸能の発生 203 狩猟 採取



つづく
by moriheiku | 2009-07-12 08:00 | 歴史と旅
<< 中世芸能の発生 172 山伏の... 中世芸能の発生 170 苔の衣... >>