つづき 木食という昔の修験道の実践は、 ただ五穀・十穀を食べない、という意味でなく、 木食戒の実践であったようだ。 修験道は思想を書き記すより実践の宗教だったことと、 戒が秘密伝授や私的伝授だったことから、 木食戒の内容は、 はっきり定め、書き残されたものはないそうだ。 五来重氏が、近世の木食行者の行動の共通点から、 木食戒を推定されたところでは、 1 遊行回国と抖そう(とそう)行道 2 行道木食と断食 3 勧進 4 作仏(仏像・神像・千体仏・万体仏) 5 作歌 6 加持祈祷(呪術・呪文・真言・経典) 7 窟籠りと禅定 8 苦行と懺悔滅罪 9 島渡りと辺路修行 10 念仏・密教・法華経の併修 11 一心観(唯心観) 12 即身成仏観 13 入定と捨身 (五来重『修験道の歴史と旅』) があげられる。 これですべてを充足するのではないが、 これらを目標、理想とされたのは確かなようだ。 弘法大師(空海)の自伝小説『三教指帰』に、 空海自身が山岳修行時代にしていた草衣と木食の記述があるが、 それよりも前の、古代の修験道では、 すべての修行が木食であっただろうと五来氏は推測される。 山中で行う修行期間分の五穀の携帯が困難という実際もあろうが、 修験道に原始回帰の志向があったからだと考えられる。 ------- 前に、数人で緑の多い庭園でランチしてたとき、ボスに、 「自然の中でいただくのって気持ちいいわね! あなたは山へしょっちゅう行くから、 山の中で食べるおべんとうはおいしいでしょう。」 って聞かれて。 ボスにはとても楽しい時間なので、 「? あたし、山の中で特に食べることはほとんどないです。」 なんてこと答える必要ないわって、 「山の中ではあんまり食事しないで、戻ってからです。 戻って温泉でぷはーっとしてから。」 なーんて言ってあいまいにしてたけど。 びっくりした。 あんまり、自然の中で食べるってこと思いついたことなかったから。 自分の好みで山や森へ行く場合は、 実際、食べ物よりも山の匂いのほうが大事なので、 お弁当を広げることが楽しみなんてことはない。むしろ非常に違和感がある。 そこ、自然を異質なものでよごしたくない、っていうような。 日常では、何日も籠ることはなく、 数時間で山や森から出てくるので、特に食事の必要はない。 水分補給や、とったとしても最小限の栄養補給くらい。 なんていうか自然がご馳走で。 自然にひたって忘れている。 私はおなかを空でさっぱりきれいな状態で仕事をしたいけど、 ボスは「どんなときもまず腹ごしらえ」という人なので、 その点、ぜんぜん目線が違う。 もちろん自分だけでないときは、切り替えて自然の中でお食事するし、 自分だけのときも、お宿に戻ったら、 お宿のかたが出してくださったお茶と甘いお菓子を わー美味しそうーーー♪とさっそくいただいてるわけ。(だってお菓子大好き♪) ・2009-07-04 中世芸能の発生 163 修験道 ・2009-07-13 中世芸能の発生 172 山伏の作歌、作仏 ・2009-07-13 中世芸能の発生 173 修験道 原始回帰 ・2009-07-06 中世芸能の発生 165 捨身 ・2009-09-23 中世芸能の発生 203 狩猟 採取 つづく
by moriheiku
| 2009-07-12 08:00
| 歴史と旅
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