つづく 中世の猿楽の作者が、作品蟻通の中で平安時代の紀貫之に、 昔の人はことばの力を持っていたけど、言葉の末にある今の自分は、 っていうこと語らせてた。 豊田国夫氏の言霊観でいうなら、 すでにコトは「事(コト)」と「言(コト)」に分かれて、 中世になると、 言葉と事物は一体をなしていた感覚から遠ざかっていた。 言葉の末、か。 作者の世阿弥は、 古い時代の人のように歌(ことば)に真実が入らなくなったことを 感じてたみたい。 現代人のほとんど忘れているようにみえるけど、 中世の世阿弥は、 ことばと真実の一致していた世界を知っていたみたい。 だからその乖離が意識されたと思う。 世阿弥の生きた時代は、それでもまだ中世だったし。 この人が芸能者であったから、余計そのことが意識されたかもしれない。 だって世界を立ち上げる、 何かを呼ぶ、何かをそこへ表出させるには、 うわっつらな言葉ではだめで、真実味なんかない。 言葉や動作や音と真実を一致させてこそ 芸能と思うから。 芸の力 ・2009-06-21 中世芸能の発生 155 振幅 事(コト)と言(コト) ・2009-06-28 中世芸能の発生 157 『日本人の言霊思想』 歌の力 蟻通 ・2008-07-30 芸能の発生 古代~中世 06 和歌と祝詞 蟻通 つづく
by moriheiku
| 2009-07-02 08:01
| 歴史と旅
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