中世芸能の発生 162 芸の力



つづく


中世の猿楽の作者が、作品蟻通の中で平安時代の紀貫之に、
昔の人はことばの力を持っていたけど、言葉の末にある今の自分は、
っていうこと語らせてた。


豊田国夫氏の言霊観でいうなら、
すでにコトは「事(コト)」と「言(コト)」に分かれて、

中世になると、
言葉と事物は一体をなしていた感覚から遠ざかっていた。



言葉の末、か。

作者の世阿弥は、
古い時代の人のように歌(ことば)に真実が入らなくなったことを
感じてたみたい。


現代人のほとんど忘れているようにみえるけど、
中世の世阿弥は、
ことばと真実の一致していた世界を知っていたみたい。
だからその乖離が意識されたと思う。



世阿弥の生きた時代は、それでもまだ中世だったし。
この人が芸能者であったから、余計そのことが意識されたかもしれない。


だって世界を立ち上げる、
何かを呼ぶ、何かをそこへ表出させるには、
うわっつらな言葉ではだめで、真実味なんかない。


言葉や動作や音と真実を一致させてこそ
芸能と思うから。




芸の力
・2009-06-21 中世芸能の発生 155 振幅


事(コト)と言(コト)
・2009-06-28 中世芸能の発生 157 『日本人の言霊思想』


歌の力 蟻通
・2008-07-30 芸能の発生 古代~中世 06 和歌と祝詞 蟻通



つづく
by moriheiku | 2009-07-02 08:01 | 歴史と旅
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