中世芸能の発生 157 『日本人の言霊思想』



つづく


名前はその事物そのものであると捉えられる事例は、
未開の人々に多く見られる。

人名にはその傾向は顕著で、万葉の時代にも本名は隠された。

名を明かすことは命を渡すこと、
結婚は互いの本当の名を明かすことでもあった。


名前に限らず、古代の人々にとって
言葉と事物は一体をなすものと感じられていた。

豊田国夫氏は、
それが「言事融即(げんじゆうそく)」の言葉観、
つまり言霊観であるとされる。



万葉集は和語(やまとことば)の音を
漢字に置き換えた万葉仮名で書かれている。
同じ音の言葉は、場面場面でいくつかの漢字で表記される。
和語の漢字表記は、『古事記』編纂でも太安万侶が苦心したところだ。



万葉集中、コトの音の語に「事」「言」が混同して使われている。
たとえば柿本人麻呂は「事霊」、山上憶良は「言霊」と用いる。

豊田氏は「事(コト)」と「言(コト)」の混同表記に、
かつて一体であった「事」と「言」が分離しつつあること、
言霊観の変化のプロセスをみられた。



『日本人の言霊思想』では
この言事融即の言葉観(言霊観)を中心に、

言葉の神格化としての言葉神について。
コトアゲ・コトムケなどの古語の用法の考察。
祝詞・宣命。
神名・地名・人名の命名と禁忌の習俗。
仏教儀礼にみられる宗教と言霊思想の関係。
がまとめられている。



また、私にとって
この本をこの本たらしめているのは、

私がこの本を美しいと思うのは、
後半以降に近世から現代までの言霊観が述べられていることにある。


釈契沖、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤をはじめとする
近世国学者たちの言霊思想の研究とその内容の紹介と考察があり、

そしてそれらが
「言霊の幸はふ国」の思想を同化原理として
二十世紀、他民族、他国の人々を皇民化しようと
狂奔したことにつながったことにふれる。


“ここには「かくいえば、かくなる」という、古来の自然的な「成る思想」はなく、まことに不自然な「かくいう言葉の力で、かくする」という、まことに激しい姿勢があった。言葉そのものに畏れ慎しみの感情を抱いていた古来の純朴な思想に比べ、いささかこれは言霊の威力を驕慢にとりあつかった行為であり、つつましき信仰のカキを乗りこえたものである。反言語主義の思想にもとづく暴政といってもよい。思いあがった言葉の力の過信でもあったといえよう。”


このことは古代からの言霊思想の隆盛時期にもあって、

“さて、言霊信仰(思想)は、まずおのが母語の霊威信仰であるが、民族語同士が対立葛藤に追いこまれた時は、双方にいっそう盲目的な母語の言霊の信仰心がかき立てられてくるものとみられる。万葉人が遣唐使の餞別に言霊の佑(たす)けを祈念したことや、新興の独立国家がおしなべて自民族語の自主性を憲法に規定するなどは、このよい例ではないだろうか。”

と述べられる。

 
“ いってみれば、おのが母語に対する認識を強化せねばならぬときが、いっそう言霊のはたらき(民族語の生命)を認識せねばならぬときではなかろうか。
(略)
どの民族も、原始の姿で自分の言霊思想を根強く保有するものである。皇民化政策のころの日本人の言霊観は、それにしてもこの盲信的な傾向にあったのではなかろうか。”


分量は少ないが、日本だけでなく、
列強の国々の言語政策にもふれられている。



・2009-06-29 中世芸能の発生 158 母語 母国語 民族語



参考:豊田国夫『日本人の言霊思想』




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つづく
by moriheiku | 2009-06-28 08:00 | 歴史と旅
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